第12話

あれから更に二日が経った夜、僕らは長旅を終えて自宅に戻ってきた。


「疲れた〜!」


「なんだか家が安心しますね。やっぱりここが一番です」


「そうだね〜。それはまながこの家に馴染んでくれたってことかな?」


もしそうだとしたら、それはとても嬉しい。


まなは一緒に暮らし始めてから、どこか控え気味なところがあった。


それがなくなってくれるならいいことだ。


「ふふっ、そうですね。私もこの暮らしに定着してしまいました」


そういえば旅行の最初に言っていた目標、一つは達成出来たがもう一つは達成できなかった。


ちなみにその目標は、キス。


まなとキスをすることだ。


どうしてこれを目標にしたか、それは僕達が結婚してから数ヶ月経つから、もう少し距離を縮めたかったのだ。


だが、結果的にはキスをすることは出来なかった。


何度かチャンスはあったが、しようとすると緊張がすごくて、できなかったのだ。


まぁ、これは少しづつできるようになるだろう。


「空くん?」


「ん? どうした?」


「旅行中に言っていた、叔母への挨拶の件なのですが、来週辺りにどうですか?」


「わかったよ、来週ね。予定空けとく」


来週か。


まなのおばさんに会ったら、一つ聞きたいことがある。


だがその前に、まなのことを育ててくれたお礼をしないと。


今から楽しみだな。


「それじゃあ今日はもう疲れたし寝ましょうか」


「そうだね、おやすみ」


「はい。おやすみなさい」


次の日、朝一に亮太から電話がかかってきた。


「お前今日ひま?遊びに行こーぜ」


なんでこいつは朝からこんなに元気なんだ。


「僕は旅行から帰ってきたばかりだよ?疲れてるから無理」


「そんなつれないこと言うなよ〜。俺のためだと思ってさ、な?飯食うだけでもいいから!」


「はぁ〜、お前の奢りな?」


「ぜひ奢らせてください!!それじゃあ二時間後に」


「わかったよ」


はぁ〜、面倒くさい。


今日は家でゆっくりしようと思ってたのに。


しょうがない、準備するか。


その後シャワーに入り僕は髪を乾かしていた。


「髪伸びたな〜。どうしよう、短髪とかやってみようかな」


僕の前髪は今鼻先まで伸びていて、前髪をあげないと目がほとんど見えない状態だ。


「でも僕が髪を切ってもな〜、周りに変に思われるだけだしやめておこう」


約束の三十分前に、僕は家を出る。


まなに一言言ってから家を出たかったが、珍しく起きてこなかったので、メッセージで一言入れておいた。


待ち合わせ場所に着いたら、既に亮太は待っていた。


「お前が遅刻しないなんて珍しいな」


「お! やっと来たか。それじゃあ行くぞー!」


「行くってどこに...」


「え? 美容室だよ。お前の髪を切りに行くんだ」


は?


「お前はまた......余計なことをするなよ。お前に髪を切りたいって言った覚えはないぞ?」


「お前さ、せっかくいい顔してんのにその髪の毛で顔の半分隠れてんだもん」


そう言って亮太は歩き出す。


「それにさ、お前とまなちゃん結婚しただろ? 俺は友達として嬉しいけどさ、周りはこう思ってるはずだ。「なんであんな陰キャと若井さんが...」ってね」


確かにそれはその通りだ。


その証拠に僕は色々な人から嫌がらせを受けるようになった。


その筆頭が石井だ。


「こんなことは言いたくないけどさ、確かに俺も今のお前だとまなちゃんとは不釣り合いだと思う。でもよ、さっきも言ったけどお前は顔がいい。だから髪を切って顔を周りに見せるだけで、印象は絶対に変わるはずだ。なにもヤンキーみたいに短髪にしろってわけじゃないさ。ただ、目がちゃんと出るくらい短くすればいい。どうだ?」


こいつがここまで僕のことを考えてくれているとは...


確かに、僕もまなに少し負い目を感じてはいた。


旅行中に言われた卑屈だって、その負い目から出てきてる気がするんだ。


「そうだな、切るか! このウザったい長い髪」


「よし、決めたか。それじゃあもう予約してあるから早速行こう」


僕が連れてこられたのは、いつも通ってる千円カットではなく、いかにも人気がありそうな超オシャレな雰囲気を醸し出している店だった。


「な、なぁ、ほんとにこの店なのか? 僕じゃちょっと不釣り合い過ぎないか?」


「何言ってんだよ。お前の髪をオシャレにしてくれるんだぞ? 雰囲気で勝手に怖気付くな」


「あ、あぁ。しかし、僕お金をあまり持ってきてないぞ?」


「言っただろ? 俺の奢りだ」


「いいのか? 絶対高いだろここ」


「お前のためだ。俺も一肌脱ぐよ」


「ありがとう、亮太」


そんな会話をしていると、店員さんがこっちに来て、個室に案内された。


「今日はどうしますか?」


「あ、」


「こいつの長い髪をざっぱりいっちゃってください! こいつ顔はいいんで、雰囲気を作ってあげればイケメンなんですよ」


「なるほど。長さはどうしますかね。僕的には、そうだな〜。あんまり切らずにワックスで前髪をあげるセットをしてあげるのがいいかなっておもいますが」


「お任せします! とりあえずかっこよくしてやってください!」


「かしこまりました。それではカット始めていきますね」


それから一時間、カットとシャンプーを終わらせた僕らはセットの練習に入っていた。


「まずドライヤーね。だいたい六対四で髪を分けて、ドライヤーをします。この時に前髪は潰さないで、根元をふっくらさせてあげるといいよ」


そう言って僕にドライヤーを渡してくる。


「こんな感じですか?」


「そうそういい感じ。この時に四の方、君だと右側だね。こっちは後ろに向かって乾かしてあげて、耳にかかるようにしよう」


「わかりました」


僕は言われた通りに髪を乾かす。


「で、乾いたらアイロンね。今日はナチュラルに行くから、毛流れだけ作っていくよ。まず前髪は、S字カールっていうカールをつけていくよ。この時に、根元を持って一回、カールが着いたところを持ってもう一回やると綺麗に形ができるからやってみて」


「は、はい」


僕は言われた通りにやってみるが中々上手くいかない。


「もう少し挟む力を強めてみようか。あとスピードも下げてゆっくりやってみよう」


「わかりました。こんな感じですか?」


「そうそうそんな感じ」


褒められた。


それにしても難しいなこれ。


手首が疲れるし、中々思うように形がつかない。


亮太はこれを毎日やっているのか。


「それじゃあワックスつけようか。まずワックスを人差し指で枝豆一つと半分ぐらいとろう」


言われた通りにワックスをとる。


随分と分かりにくい表現だな。


「とったら手のひらで薄く伸ばして、分け目からペラペラめくっていくよ。そうそうそんな感じ」


「これはなんか楽しいですね」


「で、全部につけたら中間と毛先を揉んで行くよ。この時にしっかり揉みこもうね」


「こんな感じですか?」


「そうそう。その感じでもう少し」


あ、ちなみに亮太は僕を待ち疲れてそこで寝ているので気にしなくて大丈夫です。


「よし、全部つけたね。それじゃあ振り下ろしていくんだけど、これは僕がやってみせるから今回は見て覚えてね」


「わかりました」


そう言うと美容師さんは素晴らしい手際で髪の毛をセットしていく。


僕が三十分ほどかけて頑張ってきた中、彼は最後の大仕上げを五分ほどで終わらせてしまった。


「こんな感じかな。今回は耳かけセットしてみました! これは家でも結構簡単にできるからやってみてね。ワックスとか持ってる?」


「あ、持ってないです。ここで買えますか?」


鏡を見るとそこには違う僕がいた。


確かに亮太が言っていた通り僕はイケメンだったらしい。


これで少しはまなに近づける。


そう思うと、ワックスなどの整髪料をどうしても買わないといけない気がした。


「売ってるけど、市販のものより少し高いよ? 大丈夫?」


「大丈夫です。そこの友達をここに置いていくので、コンビニでお金下ろしてきてもいいですか?」


「あぁ、行っておいで。僕は精算の準備をしておくから」


「ありがとうございます!」


そう言って僕はすぐそこにあるコンビニへ行き、お金を下ろして美容室へ向かった。


「戻りました!会計お願いします」


「おかえり〜、友達がさっき起きて今トイレにってるよ。ちなみにお会計は1万三千円ね。カットが四千円、ワックスが二千円、アイロンが七千円です」


「これでお願いします」


「はい丁度いただきます。こちら商品と、おまけでもう一つワックス入れておいたから、好きなだけ練習してね」


「はい! ありがとうございます!」


なんていい人なんだ。


あ、そういえばあいつが奢ってくれるって言ってたけど...まぁいいか。


髪を切る決断をしたのはあいつのおかげだし。


「お! いい感じじゃねーかよ!」


丁度よくトイレから出てきた亮太は第一声で僕を褒めてくれた。


「あ! もう会計しちゃった? 奢るって言ってたのに〜」


「いいよそれは。髪を切るタイミングをくれただけで十分だ。お前のおかげで少し自信がついたよ」


「...そっか。じゃあ飯行くか! 今度こそ奢るよ」


そう言って僕達は店を出た。


もちろん美容師さんには改めてお礼を伝えておいた。


店を出る時にスマホを見るとまなから着信が入っていたが、その後にメッセージで「なんでもない」と来ていたので僕は気にせずに亮太と食事に向かった。


しかし僕はこれをすぐに後悔することになる、電話をかけ直せばよかったと。

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