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新商品のアピールに訪ねてくる営業マンは何人もいたけれど、胃の底がぶるっとふるえる感覚に襲われたのは、遼と対面したときが初めてだった。のちに噂で聞いた。若いがデキる男。快活な口調と甘いマスクを武器に、メキメキと頭角をあらわしているホープ。どうやら独身。
そんなことは、どうでもよかった。広美が目を奪われたのは、まず彼の服装だった。どこにでもありそうな黒いスーツの、仕立ての良し悪しはわからなかったが、それは彼に、ぴったりと合っていた。
名刺を交換しながら、テーブル越しに商品の説明を聞きながら、広美は遼を観察しつづけた。すっと肌に寄り添う生地の、その二の腕の、絶妙なふくらみと締めつけ感に
別れ際、立ち上がった遼の全身を眺め、まいった。身体つき、身長、腕の長さ。遠ざかってゆく太ももの張り具合に、問答無用でそそられた。
この人に抱きしめられたなら、どんなに気持ちいいだろう。
大学時代、サークルの女の子に誘われ男遊びに精をだしていたころ、広美は毎週のようにとっかえひっかえ、男に自分を抱かせてみた。相棒の子が彼氏をつくってフェードアウトするまで、のべ三十人くらいは試しただろうか。セックスが上手い男、おしゃべりが楽しい男、気配りができる男、イケメン、金持ち。本気で告白してきたインテリアデザイナー、
いろんな男がいたけれど、ついぞ満足できる男には出会えなかった。
圧迫が、いまひとつ。
そんな彼女の、すっかり
ささいな用事を
商談が一つまとまったおり、それらしいくすぐりを入れると、遼から食事に誘われた。少し
彼に抱かれ、自分の目利きに自信をもった。反面、修業不足も痛感した。想像の何倍も、遼はよかったのだ。
理想的な肉づきだった。骨格が最高だった。過不足なく、広美がぴったりおさまるサイズ。しっとりしていながらべとつかない、肌質。さざ波のように押しては返す、力加減。こうなると、心拍音すら好ましい。
何より遼は、果てたあと、頼まずとも抱きしめてくれた。そそくさと下着を身につけたりテレビをつけたり、無遠慮に一服かます
毎晩でも抱かれたいと願う広美に、やはり遼はそつなかった。のめり込むそぶりはなく、彼氏
それはわかっていたけれど、遼への想いはぶくぶくぶくぶくふくらんだ。遼のいない日、コンセントを抜いた冷蔵庫の味気なさにほろりと涙がこぼれた夜、決心した。思いのたけをぶつけよう。正式に恋人同士となって、毎晩抱きしめてもらうんだ。
結論からいうと、願いは
お
結婚は、遼から切りだしたそうだ。向こうの両親は猛反対で、別れるよう命じられたが、めげずに粘った。持ち前の
聞けば、大層な家柄のお嬢さまらしい。少なくとも炎天下の街を歩き、取引先に頭を下げる生活とはオサラバできる。広美だって悪くない給料をもらっていたが、大の男を
「なら、仕方ないか」
ぽつりともらした広美の言葉に、後ろから抱きしめてくる遼が反応した。後頭部に、彼の
「ずいぶん、あっさりしてるね」
「だって仕方ないんでしょう?」
まあそうだけど……苦笑のような声がした。たぶんこれまで幾度となく、「お願いだから捨てないで」といった
広美は昔から、素直にあきらめるタチだった。どんなに魅力的な隙間を見つけても、どうせ寝転べない。はまれない。あきらめが日常化した人生を、広美は送ってきたのだ。
しかしこのときばかりは、簡単に
「結婚したいとはいわない。恋人じゃなくてもかまわない。だからこの先も、たまにこうして抱きしめて」
遼の二本の腕が、ぎゅっと広美を締めつけた。
「おれ、広美さんのこと、好きだよ」
くすぐったげなふりをしつつ、そんなことはどうでもいい、と広美は思っていた。抱きしめてくれるかくれないか。重要なのはそれだけだ。
なんならセックスも不要である。抱き枕として扱ってほしいのだ。さすがに気味悪がられるだろうと思い口にするのは控えたが、これが広美の本音だった。
抱きしめられたまま、痛感する。この圧迫は、やっぱりいい。
まだしばらく先の話だよ、それまでゆっくり、二人の時間を楽しもうよ──。いずれ別れる気でいる浮気男の
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