素敵な圧迫

呉勝浩/小説 野性時代

1

 いいすきを見つけると、胸がおどった。

 まだ小学生になるかならないかのころ、押入れの隅っこに身体からだを滑り込ませたことがある。冷えた木の壁に鼻先がくっついて、布団の弾力に背中を押された。ふすまを閉じると暗闇が、そして静けさがおとずれた。

 ほうように似た、素敵な圧迫。以来、押入れの隙間に寝転ぶのが、ちようひろひそかなたのしみとなった。

 成長するにつれ、身体が隙間を追い抜いた。押入れの圧迫はたんなるきゆうくつになり下がり、それはまったく、広美を満足させなかった。たんの引き出しは狭すぎたし、浴槽は広すぎた。誕生日に「ぴったりくる隙間がほしい」とねだったが、まゆをひそめた両親は真面目に取り合ってくれなかった。それどころか隙間にはまる習性を𠮟しかられた。

 どうやら世の中に、寝転べる隙間は多くない。隙間に寝転ぶこと自体、一般的ではないらしい。このさい寝転べずともよかったが、そういう問題でもないようだった。

 通学路の排水溝、バスの長椅子の床。よさげな空間を目にするたび、その圧迫を想像し、むらむらするのを我慢した。教室の後ろに置かれた掃除用具入れ。いじめられっ子でなくちゃ閉じ込めてもらえないじんみした。

 仕方なく、勉強に励んだ。上京を認めさせるため、大学のブランド力を利用した。念願の一人暮らし。このワンルームに、どんな隙間をこしらえようか。つないだネットでかんおけのつくり方を印刷し、材料を求めホームセンターへ。しかしすぐ、まずいと気づいた。世話焼きの母親が来たときに、棺桶の言い訳は難しい。下手をして、病院につれていかれたらたまらない。

 結局、冷蔵庫に行き着いた。トレイを抜き取った冷蔵室は、ひざを抱えた広美をすっぽりとおさめてくれた。扉を閉めても、ぎりぎり痛くない範囲。寝転ぶことはできないが、ほどよい圧迫。ああ、気持ちいい──。

 身体が、大きく跳ねた。

『自由をこの手に取り戻しましょう!』

 若い男性のたけびが遠くから響いてくる。ラジオか何かの音らしい。

『この息苦しい社会の、腐った大人の、権力者たちの、好き勝手はもうたくさんだ!』

 みんなで声をあげようぜ──絶叫が途切れ、いかにも機械的なアナウンサーの声が、国会がどうしたとかデモ隊の人数だとか強行採決の時期なんかを伝え、それがブチッと演歌に替わった。つづいてにこやかなトーク番組に、CMに、ダンスポップへと細切れに移り、そして消えた。

 もうろうとしていた意識が、現実に戻ってくる。

 がくがくと、揺れは小刻みにつづいた。舗装道路じゃないようだと、ぼんやり思う。

 手足を動かそうとしてみたが、上手うまくいかない。後ろに組まれた両手首、むき出しの両足首、どちらもきつくひもで結ばれている。口にはガムテープだ。視界に光は見当たらない。

 また、大きく揺れた。身体が前後にふられた。膝小僧がぶつかった。次いで後頭部に痛みが走った。ぶるるるるんと、エンジンの音だけが響いている。

 せわしなく騒がしい、なんて中途半端な隙間だろう。乱暴で息苦しい、なんといたわりのない圧迫か。

 うんざりしつつ、広美は状況を整理する。

 ここは車のトランクの中。行き先は山の奥。たぶん、ダム。

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