第4話 日常の終わり
あの日、僕のずっと続くと思っていた日常がガラリと変わってしまった日。
その日もいつも通り一日が始まった。
朝、黄色と白と水色が交じりあう海を横目に砂浜でアマモと、年寄り達と小さい子供を背負った母親達と、そしていつもより多くの大人達と拾い物をしていた。
「昨日の夜は波が高かったから、打ち上げられたものがきっと多いぞ」
「その分船を遠くまで出すのは危ないから、こっちで沢山拾わんといかん」
「忙しくなりそうだね」
「この季節、夜だけ波が高いのは珍しいね」
大人たちが口々に言いながら、腰に下げたカゴに海藻やら貝がらやらを拾っては入れる。
皆が言う通り、海が荒れた次の日や雨が上がった日、それに波が高い日の翌朝は、砂浜に打ちあがる物が多いので、皆でいつもより忙しく、物拾いをするのだ。
いつもは船を出して漁をする大人も、その日は僕らに混ざって物拾いをしていた。
大人達が砂浜の広い所をぱっぱと拾ってしまうから、僕とアマモは、砂浜とがけが交差するところに転がっている岩の陰を見る事にした。
打ち上がるものが多い日は、こういう細かい所を探るのが僕達子供の役割だった。
アマモと一緒に大人達の進む方向と逆の、砂浜が終わる集落の端に向かう。
そこに転がる大きな岩のすぐ下。
そこで、僕は、見た。
始め僕は「それ」を海鳥だと思った。真っ白な体に羽のようなものが付いていて、カモメそっくりの足が付いていたから。
波打ち際でギュイ、ギュイと鳴くその海鳥らしき生き物は、バタバタともがきながら波から離れようとしていた。長い尾の先に小さなカニが数匹集まり、その生き物の体をついばもうとしていたからだった。
それを見て、僕は、その生き物を抱き上げた。羽の下に手を差し込みながら、体を揺すり、たかっていたカニを振り払いながら。
「ねえ!それ!」
アマモが悲鳴のような叫びを上げたのと、僕が驚いて体をビクリと震わせたのは、ほぼ同時だった。
それは見たことも聞いたことも無い、不気味な生き物だった。
まず、顔が海鳥ではない。くちばしはなく、トカゲのように丸みをおびた三角の顔に、ほぼ黒目だけの目玉が付いている。
皮ふは、たまに見かけるイルカみたいにツルツルしていた。持ち上げた時は濡れた鳥だからこういう触り心地なのだと疑わなかったけれど、こうやって気付くと余りにも違う。体温も鳥と違って温かさを感じない。ひんやりとしていた。
羽だと思ったところは、大きなヒレだった。形だけ鳥の羽なのに、質感は体と一緒でイルカそっくり。ヒレの先に曲がったかぎづめが一本だけついている。
こんなに鳥と違うのに、後ろ足の先だけ水鳥そっくりで、水かきの付いた鳥の足がツルツルの皮ふの足先から生えていた。
頭にはまるで角の様にでっぱった皮ふがあるが、だらりと頭のてっぺんから後ろに垂れ下がっていた。
そして何よりそのしっぽ。体の半分くらいを占めるほど長い。だらりと長いそのしっぽの先には、魚のような透明な尾ひれが付いていた。
そんな見たことも無い生き物は、僕を見てギュイ、ギュイ、と鳥の様に鳴いた。
投げ捨てる事が出来なかったのは、驚きすぎて体がこわばって動かなかったからだ。
口先の上には、トカゲそっくりの小さな鼻の穴があった。
ギュイギュイ鳴く口の中には、肉食の魚のようなとげとげした歯と、小さな舌があった。
僕が固まる横で、アマモが「誰かー!誰か来て―!」と叫んでいた。
その様子を見て大人達が何人かやって来た。
そこから、混乱が始まった。
「夢魚だ!」
誰かが叫んだ。それを聞いた他の大人達は皆口々に悲鳴を上げた。
「来るぞ!」
「クロタカナミが」
「いや!どうして!」
「大丈夫。大丈夫。こわくない。皆苦しまずに極楽の島に行けるからね」
「うちの子だけは!」
みんなの叫び声がさざ波のように広がる。
ほとんどの人達は絶望と恐怖でいっぱいの声だった。
十数人しかいないのに、あっという間に皆の声は絶叫の集まりと化し、聞いていておそろしくて、夢魚と呼ばれた魚を抱えたまま首だけを大人達に向けて、僕は身をすくめていた。
一部の年寄りだけが、なだめるように、でもあきらめるように、小さい子を連れた母親に声をかけていた。
小さい子供を連れた母親は子供をきつく抱きしめていた。
アマモも何が起こったか分からなくて、立ちつくしていた。
すると、いきなり空が暗くなった。
雨が降るでもない。空は雲がほとんど浮かんでいなかった。
それなのに、海の向こうまでどこまでも暗い。
夜の暗さとも違う。日差しの強い日に、大きな木の葉の下に出来るようなきつい影が、僕たちの集落と、最果ての海を覆っていた。
それなのに、海の反対側、がけの上はいつものように晴れ渡っていて、その上、真っ暗な海の向こうの極楽の島ははっきりと見えた。
皆が息をのんだり、悲鳴を上げた。
何人かはへたり込み、何人かは目を固くつぶって耳をふさいだ。
手を合わせて「お母さん、お母さん、あっちで待っててね」とすがる声をあげる年寄りもいた。
「その子を離さないであげて」
不意に声がした。いつの間にか母さんが真横に来ていた。
「やっぱり、あなたが選ばれたのね」
母さんが僕の肩に手をのせる。
「いい、その子を離してはだめ。生まれたばかりなの。助けてあげて。いいわね」
母さんが怒ったり真面目な話をするときの声だ。静かだけれど、決して逆らってはいけない時の声。
「きっと、大変な思いをさせることになるわ。ごめんなさいね」
皆が声を上げているのに、母さんの声はなぜか良く聞こえた。
「ずっと、ずっと、大好きよ。私のかわいい大事ちゃん」
僕をまっすぐ見て、母さんが言った。僕が小さいころ、良く言ってくれた言葉。
少し大きくなって恥ずかしがって言わないでと僕が頼んだから、最近は聞かなかった言葉。
その言葉を聞いたすぐ後に、いきなり空が晴れた。
元通り、何もなかったように。
そして、集落には、僕と夢魚以外誰もいなくなった。
元から、誰もいなかったみたいに。
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