2 コンカフェにはキツネがいると思っていた吾川さん

「こっ、今度の日曜って空いてますか?」


 空き教室で二人きりになると、吾川さんはそんなことを尋ねてきた。


 普通に考えれば、このあとは一緒に遊ばないかというような話になる流れだろう。


 ただ、吾川さんのことである。普通では考えられないような、おかしなことを言い出しても不思議はない。たとえば、僕が休日に闇バイトをしていると思い込んで、止めにきてくれたという可能性だって十分ありえる。


 だから、僕は質問に答える前に、その意図を探ることにしたのだった。


「日曜がどうかしたの?」


 しかし、質問に質問で返した僕に対して、吾川さんはさらに質問を重ねてきた。


「清家君って猫が好きなんだよね?」


「まぁ、それなりには」


 僕は曖昧にそう答える。男子高校生としては、猫みたいな可愛いものが好きとは素直に認めづらかったのだ。


「『なんとかキャットの実物を見てみたい』って言ってたもんね?」


「なんとかキャット?」


「この前、戸森ともり君と話してたと思うんだけど」


「?」


 クラスメイトの名前を挙げられても全然思い出せない。最近あいつと猫の話なんてしただろうか。


「た、確か黒とだいだい色のまだら模様をしてるって」


 ああ、そういうことか。具体的な特徴が出てきて、ようやく察しがついた。


「誤解だよ、吾川さん」


 猫の品種にフォレストキャットやクリッパーキャット、オシキャットといったものがあるのは確かだけれど……


「僕が言ってたのは、ナマズのことだよ」


「ナマズ!?」


「ナマズは英語でキャットフィッシュでしょ? だから、橙色の混じったナマズのことをオレンジキャットっていうんだ」


 僕はポケットからスマホを取り出して画像を見せる。体形こそ普通のナマズと変わらないけれど、体色は話に上がった通り独特だった。


「他にも、白黒のしま模様のゼブラキャットとか、体が透けてるトランスルーセントグラスキャットとか、ナマズって結構観賞魚として人気があるんだよね」


「そっ、そうだったんだ……」


 随分とショックだったらしい。吾川さんは呆然としてしまって、そう答えるのがせいいっぱいのようだった。


 僕が魚好きだと何か困ることでもあるんだろうか。


「猫も好きだけどね」


「だよね! 前にラガマフィンの話をしてたもんね!」


 先程とは一転して、吾川さんは明るい表情をする。


 何がなんだかよく分からないが、元気が出たのはいいことだろう。だから、「吾川さんはマフィンの一種だと勘違いしてたよね」なんて意地悪は言わない。


 それに脇道に逸れてばかりだったので、いい加減話を前に進めておきたかった。


「それで僕が猫好きだと、日曜に何かあるの?」


「あの、たまたま猫カフェの割引チケットをもらったから一緒にどうかなって」


 吾川さんは猫の足跡がデザインされた紙を見せてくる。どうやら今回は普通に考えてよかったらしい。


「最初は友達を……あ、私日曜日は部活が休みで。最初は友達を誘おうと思ったんだけど、みんな用事があるみたいで。一人で行ってもよかったんだけど、猫カフェって初めてだから緊張しそうだなって。それで清家君が猫好きだったのを思い出して。清家君には普段いろいろお世話になってるから、お返しにもなるかなと思って」


 改まって感謝の気持ちを伝えるのが照れくさかったんだろう。言い訳じみた台詞を、吾川さんは早口でまくしたててくる。


 迷惑をかけた相手にお礼をしたいという吾川さんの気持ちは分かる。おごりならまだしも割引だけなので、お礼をされる方としても気兼ねしないで済む。それに猫は好きである。


 しかし――


「ごめん、吾川さん。日曜はもう予定が入ってるんだ」


「そっ、そっか」


 吾川さんは落胆したように肩を落とす。小さな体がますます小さくなる。


 下手に猫が好きだと言ったせいで、期待させてしまったようだ。こんなことなら、最初に質問された時点で、予定の有無をはっきりと答えるべきだったかもしれない。


「誘ってくれたのに悪かったね」


「ううん。私の方こそ急にごめんね」


 吾川さんは体どころか声まで小さくしていた。



          ◇◇◇



「吾川と何を話してたんだ?」


 三組の教室に戻るなり、そう問いただされた。


 吾川さんの話にちょうど出てきた、クラスメイトの戸森である。


 特に隠すようなことでもなかったから、僕は一部始終について話すことにした。……オレンジキャットのくだりに関しては、吾川さんのために黙っておいたけれど。


 説明後、戸森の口調はからかうような咎めるようなものに変わっていた。


「せっかくのデートのお誘いをなんで断ったんだよ」


「別にデートじゃないだろ」


「いやいや、男子で吾川と仲いいのお前くらいじゃん」


 確かに、吾川さんが他の男子と話しているところはあまり見たことがない。


 けれど、それは僕が偶然吾川さんの早とちりをフォローすることが多いから、そのお礼としてチンチラの画像を見せてくれたり、マフィンを作ってきてくれたりすることも多いという、ただそれだけのことだろう。


 しかし、戸森はその偶然についても疑っているようだった。


「お前もホントは気になってるんじゃねえの?」


「僕は妹いないから。もしいたらあんな感じかなって」


 そそっかしい吾川さんは、これまでにもいろいろやらかしていたし、これからもいろいろやらかすに違いない。だから、放っておけないというか、目が離せないというか、そういう存在だったのである。


「あーあ、もったいない。代わりに俺が行きたいくらいだぜ」


 まだデートだと邪推しているらしい。戸森はぶつくさと文句を垂れ始める。


 もっとも、猫カフェの代金を節約できなかったという意味では、僕ももったいないとは思っていた。けれど、それでも断らなければいけなかったのだ。


「だから、予定があるんだって」


「どんな予定だよ? キャンセルできないほど大事なのか?」


「……なんでもいいだろ」


 僕はそう話題を打ち切ってしまう。


 詳しく説明すると、それはそれで面倒なことになりそうだったからである。


 吾川さんと格安で猫カフェに行くのを断るほどの予定。それは――



          ◇◇◇



「真琴ー、あれ?」


 隣から高い声が響く。


「ああ、そうだよ、鈴音りおん


 質問に僕はそう頷く。


 鈴音の指差した先には、『アクアパレスととはら』の文字があった。


 吾川さんと格安で猫カフェに行くのを断るほどの予定。それは鈴音と水族館に行くことだった。


「じゃあ、行こっか?」


 そう言って、鈴音は腕を絡めてくる。


 まだ中学生になったばかりの細い腕だった。


 いや、細いのは腕だけではない。肩も、腰も、脚もである。そして、そのスマトラカモシカのような脚を、ミニスカートから覗かせていた。


 もともとだとは思っていたが、こうしてよそ行きの服を着ていると、びっくりさせられるほどに可愛い。


 だからというわけではないけれど、僕は「あ、ああ」と緊張した返事をしてしまうのだった。

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