第41話 ソフィアの想い

(やった、やったぞ! これで父さんと同じ苗字になったんだ! この事を知ったら、どんな反応してくれるだろう!? きっと喜んでくれるよな!? くぅ〜〜、早く父さんに言いてぇ!)


 俺は手が震えるほどの喜びを感じていた。しかし感情を抑える事ができず、廊下のど真ん中で、「よっしゃあ!! 俺にも苗字が付いたぞぉぉーー!!」と声を張り上げる。


 すると、昼食の準備をしていたシスター達が、何事かと調理場から顔を出したが、子供同士の喧嘩ではないと察したのか、すぐに持ち場へ戻っていく姿が見えた。


「うっし! ソフィアとロイドにも早く報告しないとな!」


 俺は早く自慢したくて、近くを通りかかった食堂の中を覗き込んでみると、食堂の隅で本を読んでいるソフィアと目が合った。


「おはよう、ソフィア! 今、一人か!?」


 ソフィア以外の人間がいない食堂に足を踏み入れ、彼女の近くまで歩み寄ると、『誰でも分かる数式』という参考書が机の上に置かれていた。


 きっと、俺の為に復習してくれていたのだろう。けれど、今日は勉強する気になれなかったので、「ロイドはどこに行ったんだ?」と話題をふったのだった。


「おはよう、イグニス君。ロイド君は外で車を弄りに行ってるわ。そういえば、さっき大きな声で叫んでたけど、何か良い事でもあったの?」

「あぁ、あったぜ! 実は――」

 

 俺はソフィアの隣に座り、格納庫で起こった内容を伝えた。そして先程、マリウス先生とも話し、シンラ・イグニスになった事も伝えると、ソフィアは目を丸くして驚いていた。


「つまり、赤錆のヴァルキリーの中で眠っていたパイロットが、イグニス君のお父さんだったって事?」

「そうなんだよ! 本当にすげぇ偶然だよな!」


 俺は白い歯を見せて笑っていたが、ソフィアは怪しいと言わんばかりに首を傾げていた。


「……確かに奇跡に近い偶然だと思うけど、できすぎてないかしら? 上手くいってる時は、誰かの策略にハマってる時だって、昔からよく言わない? やっぱり、少し警戒した方が良いと思うわ」


 ソフィアが俺の父さんを疑うような発言をしたので、「だぁ〜〜っ! すぐ疑うのは、ソフィアの悪い癖だぞ! それに父さんは俺を騙すような真似はしない!」とすぐに反論する。すると、ソフィアは眉を下げて困ったような顔になった。


(ソフィアの奴、本当に疑り深いよな! 確かに父さんは、少し乱暴な所はあるかもしれないけど、俺を騙すような事は絶対にしないはずだ!)


 俺は腕を組み、フンッ! と鼻を鳴らして、そっぽを向く。いつものように反論してくるかと思って待ち構えていたのだが、「やっぱり、イグニス君もそう思う?」と、しょんぼりとした様子で言ったので、俺は口を開けて唖然としてしまった。


(一体、どうしたんだ!? いつもなら、『貴方は愚直すぎるのよ!』とか言ってくるはずなのに! えー、なんだよ……なんか調子狂っちまうな)


 俺が反応に困っていると、ソフィアが何かを察したのか、ムッとした表情に変わった。


「なによ、言いたい事があるならハッキリと言いなさいよ」

「いや、ソフィアの反応がいつもと違うなーと思ってさ。いつもなら、こう……私の意見が正しい! って、自信満々に発言するはずなのに――あだっ!」


 パチッ! という快音が鳴る。ソフィアから強めのデコピンをくらってしまい、俺は痛みを和らげる為に額をゴシゴシと摩り始めた。


「いってぇ! いきなり何すんだよ!?」

「イグニス君が失礼な事を言うからでしょ。それに私は自信満々に言ってないわ。むしろ自信がないから人を疑ったり、自分の成そうとしてる事が正しいのか、ずっと悩んでるんじゃない」


 ソフィアが背中を向けたので、俺は少しモヤッとしてしまった。彼女のそっけない態度には慣れたものの、突き放すように言われると、やはり気分は良くない。


(んだよ、心配して損した。あーあ、またいつもみたいに口喧嘩に突入かな――って、あれ……えっ、ちょっと待って。何、この感情……?)


 ソフィアから感じ取れたのは、俺に対する不信感でも、嫌悪感でもなかった。むしろ真逆の好意的な感情が、ひしひしと伝わってきたのである。


(どうしてイグニス君にだけ、つっけんどんな態度になっちゃうの? お姉ちゃんが側にいた頃、泣いてた私に寄り添ってくれた時みたいに、もっと優しくしたいのに! 初めてイグニス君と手を繋いだ時も、ずっとドキドキが止まらなかったけど、今も同じくらい心臓がうるさいのはどうしてなのかしら!?)


 俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。ソフィアが俺に対してキツく当たる理由――それは俺の事を過剰に意識しすぎていたからだった。


(う、嘘だろ……聞き間違いじゃないのか!?)


 ソフィアは、俺に〝特異体質者〟としての能力がある事を忘れているのか、彼女の心の声が絶え間なく聞こえていた。


 一方の俺は話しかけるタイミングが見つからず、発熱した時のような熱さを全身で感じながら、悶々と悩むソフィアの背中をジッと見つめる事しかできなかった。


(私がこんなにも思い悩んでるのは、帰ってきたら口にキスしてあげるって言ったからよね……ど、どうしよう! 私、男の子と手を繋いだのも初めてだったのに! 自分からあんな挑発的な事を言っといてなんだけど、キスなんてした事ないのよ!? けど……私を守ってくれるって、約束してくれたイグニス君とだったら、キ……キスしてみたいかも――)


 俺は〝鉄屑の火葬場〟で初めてソフィアと出会った時の事を思い出していた。あの時、俺の発言が気に障ったのかと思い込んでいたが、手を繋いだ時の恥ずかしさで、ずっと黙り込んでいたようだ。


(マジかマジかマジか!! 一人で勝手に抱え込むし、素直じゃないと思ってはいたけれども! こ……ここは、どうするべきなんだ!? こういうのって男からキスした方がいいのか!?)


 俺はソフィアにキスをするべきか迷っていた。だが、悶々と考え込むソフィアの様子を見るに、いつまでもこのままのような気がしたので、俺は膝の上に置いていた拳をギュッと握り締める。


「……なぁ、ソフィア」


 俺はそっぽを向いていた彼女の肩を指先で数回つついた。口から心臓が出そうなくらい緊張していたが、敢えていつも通りを振る舞い、彼女の名前を呼んで振り向かせる事にしたのである。


「なによ――んむっ!?」


 ソフィアが振り返った瞬間、唇を押し付けるようにキスをした。ソフィアの胸元にあるオーブから、『キャーーッ!! イグニス君がソフィアちゃんとキスしたぁぁっ!!』と騒ぐ声が聞こえていたが、俺はスルーを決め込んだ。


「いっ、た……」


 歯が当たってしまったのか、痛みを感じて唇を離してしまった。試しに自分の唇を舐めてみると、鉄の味が舌に広がっていく。その瞬間、俺は我に返った。


「わ、悪い。俺、キスとか初めてだから下手くそだ……」


 ソフィアの唇に少量の血が付着していたので、俺は慌てて親指で拭った。初めてのキスがこんなにも上手くいかないとは思わず、俺は少し落ち込んでしまう。


「ソ、ソフィアさーん? 一言でも良いから、何か言ってくんない?」


 ソフィアとキスをしてから数秒経過したが、微動だすらしなかったので、俺は彼女の顔を覗き込んでみた。


「ちょ……ちょっと待て! ソフィア、泣いてるのか!?」


 ソフィアは見た事がないくらいに顔が真っ赤になって、目を潤ませていた。パチパチと瞬きをする度に、目尻に涙が滲んでいるのが伺える。それを見た俺は激しく動揺してしまい、勢いよく席から立ち上がった。


「ご、ごめん! 泣くくらい嫌だったなんて、俺――」


 俺の言葉に、ソフィアはすぐに首を左右に振った。どうやら、俺とのキスが嫌だったというわけではないようだったので、一先ず胸を撫で下ろした。


 しかし安堵したのも束の間、ソフィアに服の裾を掴まれ、「早く座りなさいよ」と涙声で催促されたので、「お、おう……」と返事をして素直に着席する。


「…………なぁ、怒ってる?」


 顔色を伺うように声をかけてみるも、ソフィアは無言のまま首を左右に振るだけだった。俺は困り果て、ついには長い溜息を吐いてしまう。


(あー、早まっちまったかなぁ……。これから上層で暮らすかもしれないのに、ソフィアとギクシャクした関係になるのは、気まずくて嫌なんだけど)


 俺が気まずくさせてしまった為、どうしたら良いのか考えていると、ソフィアは俯いたまま、「……初めてのキスだったの」とか細い声で呟いたのが聞こえてきた。


 サラリとした前髪から覗く彼女の顔は真っ赤なままで。けれど、浅紅色の大きな目は前髪の間から俺を見つめていたから、柄にもなく心臓がドキッと跳ねてしまった。


「好きな人とのキスって、もっと甘くて優しいって聞いた事があったんだけど、イグニス君とのキスは痛くて血の味がしたわ」

「う……それは、本当にごめん」


 非常に申し訳ない気持ちになり、俺は頭をガシガシと掻く。胸のドキドキが少し収まってきた所で、ソフィアの口から衝撃的な言葉が飛び出した。

 

「だから、もう一回だけ。もう一回だけ、イグニス君とキスがしたいんだけど、だ……駄目?」

「えっ!? もう一回、俺とキス!?」


 俺が驚いて大きな声を出すと、ソフィアは口元に人差し指を当てて、シーッ! と静かにするように促してきた。


「本当に落ち着かない人ね! 近くに人がいないとはいえ、もう少し静かにしてよ! 誰かに見られたら、噂になっちゃうでしょ!」


 そう言って、ソフィアは俺の両頬をペチンと同時に叩いた。叩かれた頬がジンジンと痛む。お陰で落ち着く事ができたが、また胸がドキドキしてきた。


「い、いくぞ……」


 ゴクリと生唾を飲んだ俺は、改めてソフィアの目を真っ直ぐに見つめる。俺は彼女の頬に優しく手を添えると、「ほ……本当にキスするの?」と照れたような表情に変わった。


「する。俺も痛いままのキスは嫌だからな」


 俺が真剣な表情で言うと、ソフィアの目に涙が滲み始めた。その様子を見ていたら、何故か胸の辺りがキュンとして、小さな唇に齧り付きたくなってくる。


(優しく……そっとで良いんだよな。優しく、優しく――)


 何回も頭の中でシミュレーションしながら、少しずつ互いの顔が近付いていって、最後はどちらからともなく触れるだけのキスをした。


「ハァ……ん……」


 一回で終わるかと思いきや、何度も触れるだけのキスを繰り返し、お互い満足するだけした後、顔を見合わせて微笑み合う。


(やっば……唇が触れ合ってただけなのに、すっげぇ幸せな気分になってる)


 二回目のキスは柔らかくて、あったかくて。初めて他人との距離が縮んだような気がした俺は、感じた事のない高揚感に包まれていた。


 この時、ソフィアはどう思っていたのか分からなかったが、俺の胸にもたれかかっているのを見る限り、嫌な気持ちになっていないように見える。


 俺はソフィアの頭を撫でようと手を伸ばすと、前触れもなく上目遣いで俺の事を見つめてきた。何故か頬がピンク色に染まり、戸惑っている様子が伺えたので、俺は何事かと思い、手を止めてしまう。


「どうしよう……私、イグニス君の事、本当に好きになっちゃったかも……」

「えっ……俺のことが、好き……?」


 突然の告白に驚いて何も言えないでいると、ソフィアは少し不安になったのか、「イグニス君は、まだそこまでじゃない?」と俺の反応を伺うように聞いてきた。


「えっ!? えーっと……この気持ちがなんなのか、まだ分かんなくてさ。多分、俺もソフィアの事が好き……だと思う」


 ソフィアの好意は素直に嬉しかった。俺も好きだと思えたが、この感情がライクという意味で好きなのか、ラブという意味で好きなのか――恋愛経験のない俺には判断がつかなかった為、即答できなかったのだ。


 自分の気持ちをゴニョゴニョと答えると、「なんだか、イグニス君らしいわね」と笑ってくれた。


「少しずつで良いからお互いの事を知っていきましょ。それで、本当にお互い好きになったら――」


 そこまで言って、ソフィアは押し黙ってしまった。


 続きが気になった俺は、「……好きになったら?」と聞く。しかし、ソフィアは何も言わずに椅子から立ち上がり、「ううん、なんでもないわ」と話を濁したのだった。


「さぁ、イグニス君。先ず、数学から教えてあげようかと思ってるんだけど、今日から勉強する? それとも明日からにする?」


『誰でも分かる数式』をいう本に目を向けたの見て、俺は「明日から勉強する!」と大きな声で即答すると、ソフィアはプッと吹き出したのだった。


「そう言うと思った! じゃあ、明日から私が先生として、勉強を教えるからよろしくね! 私は今からマリウス先生と今後の事について話してくる!」


 そう言って、ソフィアは食堂から出て行ってしまった。


 いつもの俺なら、しつこく追求するのだが、今の俺には〝特異体質者〟としての能力がある。だから、ソフィアが言えなかった話の続きを聞こうかと思ったが、無闇矢鱈と使う物じゃないと俺は自分を律した――そのはずだった。


「あ、あれ? 今は能力を使ってないはずなのに、声が聞こえる――ッ!?」


 顔が急激に熱くなっていく。ソフィアが最後に言おうとした言葉――それは、『両想いになったら、私をイグニス君のお嫁さんにして』だった。


「うっわ……暫くの間、ソフィアの顔をまともに見れない気がする。試験に向けて色々頑張らないといけないけど、この能力も使いこなせるようにならないと駄目だな。聞いちゃいけない事まで耳に入ってきたら、神経がすり減りそうだし」


 俺は疲れたように机の上に突っ伏した。


「とりあえず、勉強しないと上層には行けない。ソフィアと一緒の学校にも、ヴァルキリーにも乗れない。だったら、今俺がやるべき事をする。先ずは苦手を潰していかないと――」


 机の上に置かれた『誰でも分かる数式』と言う本を見つめ、俺はギュッと目を瞑る。明日から猛勉強するつもりだったが、来るべき試験に備えて、やれる事はやっていこうと思い、俺は参考書に手を伸ばした。


 第一章 『完』

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