第39話 シンラの正体
「あっ、あっ! だーっ!」
紅葉のような小さな手。その手に握られていたのは、チリンチリンと鈴の音が鳴る玩具。この小さな手が自分のものだと気付くのに、そう時間は掛からなかった。何故なら、この小さな玩具は幼い頃の俺が気に入って肌身離さず持っていた物だと、マリウス先生にアルバムを見せてもらっていたからだ。
「あーうっ、うー!」
俺は手に持っていた玩具をあっさりと手放し、床に転がっていたスパナに向かってハイハイ歩きをする。鈍く光る銀色のスパナのどこに魅力を感じるのか分からないが、俺は目を輝かせながら進んでいた。
「だぁーっ! あっ!?」
後もう一歩で掴めるという所で、俺は誰かに抱き上げられてしまった。手足をジタバタさせて困惑していると、頭上から女性の声が降ってきた。
「こーら、イグニス。これはお父さん達が使ってる物だから、勝手に触っちゃ駄目よ」
黒い修道服に身を包んだ色白の女性――恐らく、この人がニコが言っていたシスターだろう。黒曜石のような大きな黒い瞳に水色の涎掛けを付けた俺の姿が映っている。
綺麗な目をしてる人だなと見入っていると、みるみるうちに涙が盛り上がり、視界がボヤけて目尻から大粒の涙が溢れていった。「うわぁーんっ」と俺が大きな声で泣き始めると、背中をトントンと優しく叩き、泣き止むように宥め始める。
「イグニスにはこの玩具があるでしょう? あの道具は貴方には早すぎるから、だーめ」
目の前で鈴の鳴る玩具を揺らしてみるも、俺は一向に泣き止む気配はなかった。
「貴方はなんでも口にしちゃうでしょ? あの道具は工具用の油が付いてるかもしれないから、貸してあげたくてもあげられないのよ」
シスターが優しく諭そうとしても、相手は言葉の通じない赤子なのだ。欲しい物が手に入らなかったせいか、だんだん劈くような鳴き方に変わっていった。
「あらあら、今日は一段とご機嫌斜めね。やっぱり、お父さんと同じ物を持ってみたいのかしら?」
シスターは困った顔をしているが、嫌な顔は一切見せなかった。むしろ、何をするにも可愛いというような表情。物心ついた頃に感じていた一部の大人達の冷たい視線とは正反対の視線だった。
「――、僕が抱っこするよ」
突然、後ろから見知った声がした。マリウス先生だ。それも髪が短くて若々しい頃の。でも、余裕そうな表情は今と全く変わらない。そんな先生を見て安心するかと思いきや、赤子の俺は火が付いたように泣き叫び始めた。
「今日も元気だねぇ、イグニス君。浮き沈みの激しい所はお父さんに似ちゃったかな? それとも、君もお父さんみたいに〝特異体質者〟だから、人の心に敏感なのかな――ブフッ!?」
いきなりマリウス先生が吹き出したので、俺は驚いて泣くのを止めた。視線を上げると、マリウス先生の背後に顰めっ面をした赤い髪の男が立っていた。
「俺の息子に変な事を吹き込むな、ペテン師」
そう言って、マリウス先生から俺を奪い取ったが、赤子をあやすのは慣れているらしく、荒々しい口調とは裏腹に優しい手付きで抱っこをしてくれた。
(この人が俺の父さん……?)
天井の照明が逆光になって、自分の父親がどんな顔をしているのかまでは見えなかったが、俺は泣くのをやめて赤い髪の男をジッと見つめていた――。
◇◇◇
気が付くと俺はコックピットの中にいた。ハッと顔を上げると、コックピット内に『おはよう。やっと起きたか?』とシンラに声が響き渡った。
「……ここは?」
『〝グルヴェイグ〟の中だ。もう日を跨いで、すっかり朝だぜ。お前がずっと起きないから、コックピットの中から摘み出して、揺さぶってやろうかと思ってた所だ』
ぶっきらぼうな言い方だったが、シンラはずっと俺の事を心配していたようだった。俺はグッと背筋を伸ばして、ボーッとしたまま辺りを見渡す。
「うっ、眩し……」
コックピットの扉が開いたままだったようで、天井に設置してある照明の光に目が眩み、俺は手で視界を遮った。シンラと会話した事もそうだが、眩しさを感じるということは、これは夢ではないらしい。
「俺……ちゃんと生きてる?」
照明の光をまともに見たせいで、目の奥がズキズキと痛む。けれど、あれは確かに第八格納庫内の天井だった。もし、ここが天国なら第八格納庫ではなく、もっと綺麗でちゃんとした所だろうなとも思った。
俺の呟きを聞いたシンラは、『大丈夫、ちゃんと生きてるよ。目が覚めるのに随分とかかったようだが、お陰で良い夢を見れたみたいだし、結果オーライじゃないか』と驚くほど優しい声音で言ったので、俺は目を丸くしてしまう。
(おっかない表情ができる人に優しくされるのって、なんか裏があるみたいで少し警戒するな。ニコやマリウス先生と話してた時みたいに怒鳴り散らさないし、少しよそよそしい気がする。けど、〝グルヴェイグ〟のコックピットにいるなら、助けてくれたのはシンラだよな。なら、ちゃんとお礼を言わないと――)
シンラの話し方や声音に違和感を感じつつも、面と向かってお礼を言うのは少し照れ臭かったので、俺はドキドキしながら自分の気持ちを吐露し始めた。
「心配してくれてありがとう、シンラ。アンタ、ちょっと怖い人だと思ってたけど、意外と優しい一面もあるんだな」
まさか、俺にそんな事を言われるとは思っていなかったのか、シンラは『お、おう……』とぎこちなく返事をした。
『そ、そんなことより! どこも痛みはないか? 俺が咄嗟に受け止めたから、大きな怪我はしてないと思うんだが……』
「怪我? もしかして、足場が抜けた時の?」
シンラに心配された俺は気絶する直前の出来事を思い出し、自分の足首を回したり、腿上げをしたりして動作確認を行ってみる。けれど痛みは全くなかったので、「うん、大丈夫みたいだ」と返事をすると、『そうか』と安堵の溜息を吐いた。
「そういえば、ニコは? 隣で寝てるのか?」
『あぁ。起きたらイグニスに謝るように言ってるから、起きたら相手してやってくれ。お前が起きなくて、ずっと隣でメソメソしてたからな』
言葉の節々に棘があったので、ニコに怒鳴り散らしたのだろうと容易に想像ができてしまい、俺はプッと吹き出してしまった。
『今、おかしな発言をしたか?』
「いや全く。なんか親子みたいなやり取りだと思ってさ」
一瞬の間があった後、『……うん? まさか、俺とニコが親子みたいだって意味か?』と質問するシンラに対し、「そうだけど?」と肯定すると、『ハッ、ありえねーな!』と呆れたような返事が返って来た。
『怒鳴られたくらいでピーピー泣くなんて、俺の息子じゃねぇよ! 俺の息子だったら、やられたらやり返すくらいの根性を見せてくれないとな!』
「ハハッ、シンラならそう言うと思った」
『お、おう……』
またもやぎこちない返事をされたので、疑問に思った俺は腕を組んで首を傾げてしまった。
「なぁ、シンラ。なんでそんなによそよそしいんだよ?」
『は!? よ、よそよそしい態度なんかとってない!』
「嘘だ。さっきからなんか変に意識されてる気がするんだけど?」
俺が問い詰めると、『う、うるさいな! 俺の事は放っておいてくれ!』と返されたので、「ふーん。じゃあ、言われた通り放っておくから」と言いつつ、俺は試しに〝耳〟に意識を集中させてみる。
(……あれ? もしかして、マリウス先生の暗示が解かれてる? 普段は〝耳〟に意識を傾けても聞こえない事があったのに、今日はハッキリと聞こえるぞ)
マリウス先生がかけてくれた暗示が解かれているのか、
シンラが俺に対してよそよそしくなっている理由――それは俺の予想だにしていない事だった。
(くっそー、実の息子と話すのって難しすぎないか!? 俺が〝グルヴェイグ〟の中で眠ってる間にあんなに大きくなってるし、マリウスなんてイグニスから先生呼ばわりされてて、父親の俺よりも仲良すぎるし……なんかすっげぇ、ムカつく!!)
思っても見なかった真実に、俺は口元を押さえて固まってしまった。すると、俺の反応を瞬時に察知したのか、シンラが息を呑むような声が聞こえてきた。
(……は? ちょっ……待て、イグニス!
なんだか悪い事をした気分になってしまい、心臓がドキッと跳ねた。急に落ち着かなくなって、視線をあちこちに向けた後、膝を抱えてジッと座り込む。何も言わない俺の様子を〝YES〟と判断したのか、シンラは取り乱し始めた。
『あ……あ、あの野郎! 俺を揶揄う為に、わざとイグニスにかけた暗示を解いてやがったな!! くっそぉぉ、あのペテン師!! 次会ったら、絶対に容赦しねぇからなっ!!』
シンラの怒りの矛先はマリウス先生に向いていたが、我に返ったのか急に押し黙ってしまった。
『ぜ……全部、聞いてたのか? 本当に?』
とても機嫌が悪そうな低い声だった。だが、これは照れ隠しだと理解していた俺は、「えー、どっちだろうなー」と揶揄うように棒読みで返事をする。『おい、隠すなよ! 本当にどっちなんだ!?』と怒鳴られてしまったが、この時の俺はニヤケ顔になっていた。
(やっば……今、めちゃくちゃ嬉しいかも)
この時、俺は感じた事のない喜びで頬が綻んでいた。シンラにバレないよう、顔を突っ伏したまま、「全部聞こえてた」と答える。すると、シンラは声にならない悲鳴をあげ続けていた。
「なぁ、これからなんて呼んだら良い? やっぱり、父さんって呼んだ方が嬉しいんじゃない?」
『いや、今まで通り苗字で呼んでくれたらいい……父さんって呼ぶのは、今みたいな二人きりの時だけにしてくれ……』
シンラはこっぱずかしくなったのか、それきり沈黙してしまった。
(そっか、今まで呼んでた名前は苗字だったのか……)
良い事を思い付いた俺はニッと口角をあげ、「父さん」と声をかけてシートから立ち上がった。
「俺、一旦孤児院に戻るよ。やらなきゃいけない事を思い出したからさ」
まだ父さんと呼ばれる事に慣れていないのか、『お、おう。気を付けて戻るんだぞ』と照れたように返事をされたので、「じゃあ、また後で!」と声をかけた後、俺はコックピットから這い出たのだった。
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