第38話 ニコとの会話

「シ……シンラさーん、起きてますか?」


 キャットウォークの手摺りを掴んだまま、床に横たわっている〝グルヴェイグ〟をジッと見つめてみる。しかし、声が小さすぎて聞こえなかったのか、シンラからの返事はなく、どうする事もできないまま、俺はその場にしゃがみ込んでしまった。


「え〜、どうすんだよこれ。〝ヒルディスビー〟が喋ってた時みたいに、寝起きで怒鳴られんの嫌なんだけど」


 俺が大きな溜息を吐くと、〝グルヴェイグ〟の隣で横たわっていた〝ヒルディスビー〟の目に光が宿った。瞬きをするように何回か点滅した後、幼い声で『ねぇ』と、話しかけてきたのである。


『そこの君。若い子が溜息なんか吐いちゃって、どうしたの? 何か悩み事?』

「あ……えっと、悩みって程でもないんだけどさ。タイミングが悪くて、どうしようかと考えてたんだ」


 誰かに声をかけられるとは思っていなかったので、俺は困ったように頬を指で掻きながら、視線の先にいる〝グルヴェイグ〟を見つめる。すると、〝ヒルディスビー〟は何かを察したのか、『あっ』と声を発した。


『もしかして、シンラ君とお話したいの?』

「まぁ、そんなところ。けど、今は寝てるみたいだし、また改めて話を聞きに来ることにするよ」


 そう言ってこの場から去ろうとすると、『待って!』と呼び止められてしまった。


『僕、マリウス以外の人とあんまり喋ったことがないんだ。だからさ、ちょこっとだけで良いから僕の話し相手になってくれない?』

「い、いいけど……また怒られるんじゃないか?」


 先程、シンラに怒鳴られて、大声で泣いていた事を心配していると、『ノープロブレム! 問題なしだよ!』と元気な声で返事をされたので、何故かこっちがヒヤヒヤする羽目になってしまった。


『じゃあ、自己紹介しよっか! 僕の名前はニコ! ニコって呼んで良いよ! マリウスとは生まれた時から一緒で、〝ヒルディスビー〟の身体を使って生活してるんだ! 君の名前はなんていうの!?』


 ニコは何も知らない小さな子供のように、興味津々な様子で俺の名前を聞いてきた。ニコとマリウス先生が話している時も思ったが、やはり声のトーンが俺やロイドよりも幼く聞こえる。恐らく、俺より年齢は年上なのだろうが、不思議と友達のように話せそうだと親近感がわいた。


「俺の名前はイグニス。マリウス先生とは俺が小さい頃から一緒だったから、家族みたいな感じかな」

『イグニス? もしかして……昔、マリウスが抱っこしてた赤い髪の小さな男の子?』


 ニコが嬉しそうに言ったのを聞き、俺は「記憶にないけど、多分そうだと思う」と答える。すると、喜びの感情を爆発させるかのように、〝ヒルディスビー〟の目が激しく点滅し始めた。


『そっか、君がイグニスなんだ!! 僕のボディの上で涎を垂らしながらハイハイしてたのに、もう立って歩ける歳になったの!?』

「まぁ……もう十六歳になったしな。つーか、俺ってここに来た事があるのか?」


 俺が質問に質問で返すと、ニコは『あるよ!』と即答した。


『名前の知らないシスターが、イグニスをよくここに連れてきてくれてたんだ〜! マリウスも赤ちゃんだった頃の君を抱き上げて、高い高いしてあげてたよ〜!』

「えっ、そうなのか?」


 まさかの返事に俺は素っ頓狂な声をあげた。ニコは当時の事を思い出すように話を続ける。


『イグニス君は赤ちゃんだったから、よく覚えてないんだね。君は何に対しても興味津々で、シスターに叱られる度に、この格納庫に反響するくらい元気一杯に泣いてたよ! でも、あの時の赤ちゃんがこんなに大きくなってるだなんて! なんだか感慨深い〜!』

「マ、マジか。そんな昔からの知り合いだったなんて思わなかったぜ……」


 まさか既に顔見知りだとは思わず、俺は苦笑いしていると、〝ヒルディスビー〟の腰回りに装着されているハニカム状の装甲の一部が、パズルのようにバラバラと崩れていった。


 小さな六角形の装甲の一部が、キャットウォークの上にいる俺に向かってV字飛行で飛んで来る。何をするのだろうと眺めていると、装甲の側面から細い光線が放たれた。その光線が磁石の役割を果たしているかのように、装甲同士が繋ぎ合わさり、一枚の宙に浮く足場となる。


『イグニス! せっかくだから、もっと近くで話そうよ!』

「も……もしかして、これに乗るのか?」


 こんな薄い装甲の上に乗っても落ちないかと心配になったが、『そうだよー! ほら、怖がってないで早く乗って!』とニコに催促されたので、俺は慎重にキャットウォークの手摺りを跨ぐ。今いる所から床まで、およそ15メートル。誤って落下してしまったら――と想像するだけで、足が竦んでしまいそうになった。


(う〜、頼むから移動してる途中で起きないでくれよ? バランスを崩して落っこちて、打ちどころが悪かったら最悪の場合、死んじまうかもしれないからな)


 眠っている最中のシンラに向けて念を飛ばしながら、ニコが作ってくれた足場に、そーっと片足を乗せる。軽く体重を乗せても沈まないのを確認してから、もう片方の足を乗せてみた。


「すげぇ……本当に乗れた……」


 俺は素直に感動していた。ノートのような薄さの装甲なのに、どういう原理で浮遊しているのだろう? 人一人が乗っているのに、高度が下がったりしないところを見ると、ヴァルキリーは非常に謎が多い機体なのだと再認識した。


『も〜、イグニスったら! そんなに慎重にならなくても大丈夫なのに〜!』


 ニコがケラケラと笑い飛ばしながら言う。対する俺は、「いや、これは大の大人でも怖いと思うぜ?」と、バランスを取るように両手を広げ、自分の足元を見ながら答えていた。


『じゃあ、移動させるよー!』

「な、なるべく、ゆっくり運んでくれよ? ニコはヴァルキリーだから大丈夫かもしれないけど、俺は生身の人間なんだからさ。真っ逆さまに落ちて床に叩きつけられたら、大怪我じゃ済まないからな」


 俺が警戒するように言うと、ニコは余裕の声音で『わかってるよ〜!』と返事をしてきた。


『この装甲は僕の為に作ってくれた特殊装甲でね! いろんな応用が効くから、すっごく重宝してるんだ〜! 後は寝起きの悪いシンラ君が起きないのを願うだけ――あれ、シンラ君? いつから起きてたの?』

「お、おい! ちょっ……嘘だろ!?」


 ニコの意識が〝グルヴェイグ〟に向いた途端、足元の設置面の一部分が、落とし穴のように突き抜けた。バランスを崩して立っていられなくなり、俺の視線は自然と格納庫の照明に向く。嫌な浮遊感に囚われた俺はギュッと目を瞑った。


(ヤバイ! このままじゃ、受け身がとれない! この高さで床に叩きつけられたら、本当に大怪我じゃ済まないぞ! 変な所を打って、身体が動かなくなっちまったら、ソフィアとの約束も守れない! くそ……くそぉぉ!!)


 全身の毛穴から冷や汗が吹き出て、早鐘を打つように心臓が脈打つ。きっと悲鳴や痛みを感じる事なく、俺は気を失ってしまうのだろう――俺は天井に向かって手を伸ばしながら、そんな事を呑気に考えていた。


(あぁ、こんなしょうもない死に方で人生が終わっちまうかもしれないのか。こんな事になるんだったら、マリウス先生に俺の両親の事を聞いとけば良かったかなぁ……)


 普段は考えない事を思いながら、俺は気を失ってしまった。

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