第37話 曲げない意思

 ソフィアがマリウス先生を睨んだまま、一分は経過した。誰も言葉を発しないまま、微動だすらしない。ただ時間だけが過ぎていく。


 そろそろ、アクションがあっても良いんじゃないか――そんな事を思っていたら、ソフィアが仏頂面のまま腕を組み、「……貴方が言った〝声〟とやらで命令しないんですか?」と口にした。


 ソフィアがずっと黙り込んでいた理由――それは、マリウス先生の〝声〟を警戒していたからだったようだ。一方のマリウス先生は人から警戒される事に慣れているのだろう。不快感を露わにする事なく、「使わないよ」と小さく笑っていた。


「僕はね、人に無理強いさせるのは嫌いなんだ。たまたま〝特異体質者〟だっただけで、基本的に〝声〟は使いたくない。だから、こういう決断は自身で決めてほしいんだ」


 真っ直ぐな目で見つめられたソフィアは考え込むように、視線を逸らした。そして、暫くしてからゆっくりと顔を上げ、「じゃあ、私からもお願いがあるんですが……」と口にしたのである。


「私、どうしても地球へ行きたいんです。最短で地球へ行く為のルートを教えて頂けませんか? 教えて頂けるなら、貴方に協力します」


 それを聞いたマリウス先生は少し硬い表情になった。いつもよりも低い声で、「君は……地球が今、どんな状況になっているのか知っているのかい?」と聞いたので、俺達の間に緊張が走る。


「それは……」


 その問いにソフィアは言葉に詰まった後、「すみません、あまりよく知りません」と素直に答えると、「あぁ、ごめん。少し真剣になりすぎたね」とマリウス先生はすぐに謝っていた。


「地球に行く方法だけど、現時点ではないよ」

「えっ……じゃあ、マリウス先生達はどうやってここにきたんだ?」


 俺は驚きの声をあげると、マリウス先生は「僕達がこの宇宙船に来る前と、今とじゃ状況がまるで違うんだ」と教えてくれた。


「昔、宇宙船群との交流規制がかかる前に〝宇宙間通信〟っていう超アナログ通信が流行った事があったんだ。それくらいの頃は、どの宇宙船も入港理由とID、滞在日数を提示さえすれば、地球と宇宙船群との往来は許されてたと思う」


 〝宇宙間通信〟というワードに俺はすぐにピンときた。シンラの記憶を垣間見た時、若い頃のマリウス先生と黒髪の少年ルイの三人で話している時に出たワードだったからだ。


「どの時代でもそうだけど、地球との交流をよく思わない連中がいてね。この宇宙船群のお偉いさん方は、地球を自分達の所有物――つまり、植民地コロニーにしようという計画が持ち上がったんだ」


 マリウス先生の疑問にロイドは小さく挙手し、「あの……皆、仲良く地球に住もうという流れにはならなかったんですか?」と質問すると、俺達も同意するように頷いた。すると、マリウス先生は「皆、君達と同じ考えだったら良かったんだけどね」と渋い顔になった。


「イグニス君。テラ・リストーリングプロジェクトって言葉、覚えてるかい?」

「確か……地球が元の環境に戻るまで、地球の外に退避してようぜって計画だっけ?」


 昔、孤児院の授業で習ったはずだが、記憶が定かではなかったので自信なさげに言ってみる。「うん、合ってるよ」とマリウス先生がにっこりと微笑んでくれたので、俺はホッと胸を撫で下ろした。


「宇宙船群側の人間は地球の事をどう思ってるか分かんないけど、地球の老人達偉いさん方は、とにかく天上人の事が大嫌いでね。何千年も昔の事を未だに根に持ってんの」


 迷惑そうに言うマリウス先生を見て、俺達はどう答えたら良いのか分からず、苦笑いしたままだった。


「後はそうだね……ソフィア嬢みたいな可愛い女の子は地球には行かない方がいい」

「ど、どうしてですか?」


 ソフィアが目をパチパチと瞬きさせながら聞く。すると、マリウス先生は視線を逸らし、言い難そうに口の形を歪めた。


「うーんとね、今の地球は〝純血種〟――つまり、がとても少ないんだ」

「えっと……つまり、どういう事でしょうか?」


 遠回しに言われ過ぎて、言葉の意味を全く理解できず、三人同時に首を傾げる。


 俺達の反応に、マリウス先生にしては珍しく言葉を詰まらせた後、ゴホンと大きめの咳払いをし、極々小さな声で「人間の女の子を拉致して、生殖機能だけを抜き取るんだよ」と話してくれた。


「せ、生殖機能を……抜き取る?」


 さすがにそこまでされると予想していなかったのか、ソフィアの顔が一気に青ざめた。俺とロイドも地球では拉致が横行し、生殖機能の一部を取られるという闇を孕んでいるとは思ってもみなかった為、皆が絶句している中、マリウス先生だけは話を続ける。


「昔の地球は今よりも過酷な環境だったんだ。動物の遺伝子を組み込んだりして、環境に適応しようとあれこれやってたら、人獣や獣人と呼ばれる生き物の方が圧倒的に多くなっちゃってね。だから、君みたいな遺伝子を弄っていないフレッシュな人間の卵子や精子はとっても貴重なわけ。だから、地球に行きたい理由が何であれ、行く事はオススメしないよ」


 〝フレッシュな人間〟という表現が生々しくて、俺は手が震えてしまった。ソフィアと出会ってから、地球に行ってみたいと考えてはいたが、自分達の身の安全を考えると、地球に行くのはやめた方が良いという考えに傾いてしまう。


「ソフィア、地球へ行くのはやめとけよ。時期をずらして、入念に準備をしてからでも良いんじゃねぇか?」

「そうですよ。ソフィアさんに何かあってからじゃ遅いですし、もう少し下調べしてから地球へ行きましょうよ」


 俺とロイドもマリウス先生の意見に同意したので、地球へ行くのは諦めてくれる――そう思っていた。


 ソフィアは首から下げたオーブを、ギュッと両手で握り締めたままだったが、暫くして覚悟が決まったのか、ゆっくりと顔を上げる。朝紅色の強気な目がマリウス先生を見つめた瞬間、俺は嫌な予感がした。


「心配してくれて、ありがとうございます。でも、今の話が本当だとしても、私は地球へ行きます」


 ソフィアが出した答えに、この場にいた全員が驚く。さすがのマリウス先生も、「正気かい?」と確認を入れたが、ソフィアの出した答えが変わる事はなかった。


「これは私がやらなくちゃいけない事なんです。たとえ身体の一部がなくなって、子供を産めなくなったとしても、私は地球へ行きます」


 ソフィアの確固たる意思を聞いた俺は、何を言ってるんだ、そんな危ない所に一人で行こうとするなよ! と怒鳴る前に、「何が君をそういう風にさせてるのかな?」とマリウス先生が不思議そうに首を傾げながら聞いていた。


「ごめんなさい。これは絶対に言えないです」


 申し訳なさそうに俯くソフィアに対し、マリウス先生は「それはどうしてだい? ねぇ、少しで良いから教えてよ」と優しい口調で話しかける。


 すると、頑なに理由を言おうとしなかったソフィアが、「はい……マリウス先生……」と虚な目で返事をし、強く握っていたオーブを手放した。


(おいおい、ソフィアの様子が変だぞ。マリウス先生の声が頭の中で響いてるし。なんだ、これ……少し頭が痛いかも……)


 一見、普通の会話のように聞こえたが、俺はすぐに違和感を感じた。声音はいつもと変わらない。けれど、マリウス先生の声が二重にも三重にも頭の中で反響して聞こえているせいか、頭痛が止まらなかった。


(マリウス先生が言い放った言葉が何度も頭の中で響いて、気持ち悪い。ロイドは何も感じてないのか?)


 隣にいるロイドに視線を向けると、熱に浮かされたように目がとろんとしていた。様子がおかしいと思い、ロイドの名前を呼んで顔の目の前で手を振るも、何も反応がない。


(一体、どうなってんだ……)


 おかしいと思った俺はマリウス先生を見やる。すると目が合った瞬間、口の前に人差し指を添えたまま、ウィンクで返されたので〝声〟を使っている最中なのだなと空気で察した。


「皆を……巻き込んじゃうから……」

「皆? 皆を何に巻き込んでしまうと、懸念してるんだい?」

「それは――うっ……」


 ソフィアからの返答はなかった。余程言いたくないのか抵抗するように息が乱れていったので、もうやめた方が良いんじゃないかと思ったが、マリウス先生は目を細めながらも構わず話し続ける。


「もう一度聞くよ。君は何が起こるのを恐れてるのかな?」

「こ、このままじゃ……地球と戦争になっちゃうかも――」


 ソフィアの表情が恐怖で強張り、足がガタガタと震え始めた。立っていられなくて膝から崩れ落ちてしまった事で、マリウス先生の集中力が途切れてしまったのか、ロイドがハッと顔を上げる。


「ソフィア、大丈夫か!?」


 俺が声をかけると、ソフィアはキョトンとした顔で、「わ、私……どうして、座り込んでるの?」と何が起こったのか、分からない様子で瞬きを繰り返していた。

 

「疲労が溜まってるのかもしれないね。今日はもう戻ろうか。ヴァルキリーを移動させる件、考えといてね。また後日、返事を聞かせてくれるかな?」

「は、はい。わかりました……」


 マリウス先生がソフィアに向かって手を差し伸べた。何が起こったのか分からないソフィアは、そのまま差し出された手を取って立ち上がっていた。


(ソフィアの奴、本当に何も覚えてないっぽいな……)


 一部始終を見ていた俺は、なんとも言えない表情で二人のやり取りを見つめていると、マリウス先生がいきなり俺の顔を見つめ、「あ、そうだ」と思い出したように言う。


「イグニス君、君は居残りだよ」

「え? な、なんで?」

「厳密に言うと君一人で居残りかな」


 マリウス先生は〝グルヴェイグ〟に指を指し、「シンラ君が君と二人で喋りたいって言ってたのを思い出したんだ」と教えてくれた。


「でも、シンラは寝起きで機嫌が悪いんだろ? また後日でもよくない?」

「気にしない気にしない。イグニス君なら大丈夫だよ。ロイド君とソフィア嬢は僕が送り届けてあげるからさ。後はよろしくね〜」


 マリウス先生はロイドとソフィアの肩を抱き、二人を強制的に第八格納庫から連れ出してしまった。俺は一人、キャットウォークに残される事になり、「えぇ……嘘だろ……」と困ったように独り言を漏らすのだった。

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