第36話 重なる偶然

『どういう教育をしてんだ、マリウス! 何年も経ってるのに、ニコの精神年齢が昔のままじゃねぇか! もう少し自立させるように指導しやがれ! それができないんだったら、〝ヒルディスビー〟ごと、スペースデブリに廃棄するからな!』


 シンラが捲し立てるように喚くと、ニコの声が涙声に変わった。それに伴って、緑色の目が悲しげな形に変わる。


『じょ、冗談だよね? 僕をスペースデブリに? あんな所に置き去りにされちゃうの?』と聞き返すと、シンラは『あぁ、そうだ』と間髪入れずに肯定したのだった。


『マリウスに依存してるような甘ちゃん坊やは、一回でも良いから厳しい環境に身を置いて、弱い心を鍛え直すしかねぇだろ』

『い、今のままの僕でも良いじゃん! 心は壊れたら、なかなか元に戻らないんだよ!? ニコはニコらしく笑ってくれたらそれで良いって、マリウスに言われたんだから!』

『そんなの知るかっつーの。とにかく、静かにしてくれよ。こっちは寝不足なんだ。お前の声が耳障りすぎて、ちっとも眠れねぇんだよ』


 シンラがブツブツと文句を漏らすと、ニコはショックを受けたのか、『うっ……うぇぇ……』と嗚咽を漏らし、耳を塞ぎたくなる程の声量で泣き喚き始めた。


『やだやだやだ〜〜!! あんな寂しい所に放り出されたら、気が狂っちゃうよ!! ていうか、なんで〝グルヴェイグ〟の中に、僕の苦手なシンラ君がいるの!? マリウスも黙って見てないで助けてよ!!』


 〝ヒルディスビー〟の目が激しく点滅を繰り返しているのを見て、マリウス先生は「やれやれ、寝起きのシンラ君は気が短いんだから……」と短く溜息を吐いた。


「ねぇ、シンラ君。今の君はそんなこと言える立場なのかな?」


 先程まで優しい面差しをしていたマリウス先生が、咎めるような鋭い目付きに変わった。俺はその横顔を見て背筋に悪寒が走る。あの目をしている時のマリウス先生は、大体おっかないことを考えている時なのだ。


『あん? どういう意味だ?』

「ここはビフレスト宇宙港の格納庫だ。僕の操作一つで〝グルヴェイグ〟だけを宇宙空間に放り出すことができるんだよね。言っとくけど、僕の家族である〝ヒルディスビー〟を一人きりで外に放り出すなんて、親友であるシンラ君でも絶対に許さないから」

『……はぁ? ズレたこと言ってんじゃねぇぞ、マリウス』


 マリウス先生の発言にシンラは納得がいかなかったらしく、すぐさま反論し始めた。


『俺はもう少し静かにしてくれって言ってんだ。お前もこれ以上、ニコを甘やかすんじゃねぇ。アイツは機械で、お前は生身の人間――』

「シンラ君。僕の言うことを聞かないなら〝声〟を使って、君の恥ずかしい過去を皆にバラせって命令するから。ま……命令なんてしなくても、君のことは大体知ってるんだけどね。さぁ、どっちが良い? 僕の言うことを聞くか、聞かないか」


 普段、温和なマリウス先生が珍しく冷たく言い放った。〝グルヴェイグ〟に向かって、薄らと笑みを浮かべているのを見るに、シンラがどういう返事をするのか、分かっているようにも見える。


 すると、暫くして『チート能力者め。反則だろ、それ……』とシンラは力無くぼやき、大きな溜息をわざと聞こえるように吐いた。


『わーったよ、お前の言う通りにする』

「理解してくれたなら嬉しいよ。この先、が上層に行っても、可能な限りニコとは仲良くして欲しいしね」


 フッと笑ったマリウス先生に対し、『マリウス。僕、シンラ君と仲良くできる自信ないよ』とニコが横槍を入れる。声音を察するに、小さな子供が拗ねているように聞こえた。


 マリウス先生は苦笑いしながら、「ニコ。君はもう少し、人に寄り添う努力をしていこうか」と困ったように眉を下げていた。


「君はシンラ君とあまり喋ったことがないから、乱暴な人だと感じるだろうけど、彼は人の気持ちを理解する能力はズバ抜けて高いんだ。話していくうちに、それほど悪くない奴だって分かるから、これから徐々に仲良くなって欲しいな」

『…………マリウスがそう言うなら、頑張る』


 長い沈黙の末、ニコは渋々といった様子で返事をしていた。


「偉いね、ニコ。僕は素直な君が好きだよ」


 まるで、自分の子供を見るような慈愛のこもった眼差しを〝ヒルディスビー〟に向けるマリウス先生と、床に横たわるヴァルキリー達を気にしつつ、「マリウス先生も上層に行くつもりなのか?」と俺が代表して聞く。「あぁ、順番が前後してごめんね」とマリウス先生から謝罪を受け、ようやく話を戻してくれた。


「イグニス君がオーブの中で眠ってる間、シンラ君と話し合って決めたんだけど、僕も上層に移動することにしたんだ。勿論、〝グルヴェイグ〟も〝ヒルディスビー〟も一緒に移動させるつもりだよ」

「えっ!? ヴァルキリー達も連れて行くんですか!?」


 ロイドが嬉しそうな表情で驚いていると、マリウス先生は大きく頷いた。


「そのつもりでいるよ。僕は元々、上層にも住めるようにIDを偽造発行してるからね。上にも下にも自由に行き来できるんだ」

「へー、そうですか……」


 次々と明らかになる新事実に、俺とロイドが然程驚かなくなっている中、顔を顰めたソフィアが真っ先に口を開いた。


「ちょっと待って下さい。ヴァルキリー達をどうやって移動させるつもりですか? オーブも公的機関に登録されていない物ですよね? IDは上手く偽造できたかもしれないですけど、ヴァルキリーやオーブはそう簡単に誤魔化せませんよ?」


 ソフィアは床に寝かされているヴァルキリー二機を、チラチラと見ながら聞く。しかし、マリウス先生は焦る素振りを一切見せる事なく、理解していると言わんばかりに、うんうんと頷いていた。


「そうだね。ヴァルキリーを移動させるんだったら、下層と上層を繋ぐ高速エレベーターに積み込むか、一度外に出て上層の宇宙港から入港するしかないね。けど、僕的に後者の案はなしだ。〝ヒルディスビー〟と〝グルヴェイグ〟を起動させて、宇宙船の外に出てしまったら、ミッシングインアクションになったはずの機体を感知した本国が、不審に思って宇宙船・アスガルドに向けて、スパイを送り込んでくるかもしれない」


 マリウス先生はニヤリと口角を上げたまま、ジッとソフィアの事を見つめる。不穏な空気を感じ取ったのか、ソフィアの表情が少し曇った。


 俺にはこれ以上、厄介事に巻き込まれたくないと尻込みしているようにも見えたが、ここまで足を突っ込んでしまったのだ。もう後戻りはできないと、覚悟を決めたかのように軽く深呼吸をした後、ソフィアの目に力が入る。


「じゃあ、高速エレベーターにヴァルキリーを積み込むしかないと?」

「現時点では、それしか方法がないと思ってるよ」


 マリウス先生の開き直ったような態度を見て、ソフィアの表情がさらに険しいものになった。更に不安に感じているのか、無意識のうちに首から下げているオーブを強く握り締めている。


「じょ……冗談ですよね? 上層は下層の動きに敏感になってるんですよ? ついこの間、警備隊のヴァルキリーを撃沈させたばかりなのに、未認可のヴァルキリーを上層に移動させたら、間違いなく目をつけられるんじゃ――」


 マリウス先生の目がギラリと輝き、唇が綺麗に弧を描いた。ソフィアは蛇に睨み付けられたかのように固まったまま、首から下げているオーブをより強く握り締める。


「……私を嵌めたわね?」


 ソフィアが眉根を寄せながら聞くと、「まさか。誓ってそんな事はしていないよ」とマリウス先生は真剣な面持ちになった。


「いろんな偶然が重なった結果、こうなっただけだ。君が下層に降りて来なかっただけで、結果は今と違うものになっただろう。それに〝グルヴェイグ〟が、鉄屑の火葬場に廃棄されるとは思わなかったし、イグニス君が〝グルヴェイグ〟を見つけ出すなんて思ってもみなかった。全ての歯車が噛み合った結果が、今のこの状況なんだと僕は思ってるよ」


 マリウス先生は俺の事をジッと見つめてきた。しかし今、マリウス先生がどんな気持ちになっているのか分からない。けれど何かを悟ったり、全てを受け入れているような表情にも見えた。


「さて、ソフィア・ロスヴァイセさん。改めて君に頼みたい事がある」


 マリウス先生はソフィアの前まで歩み寄り、握手を求めて手を差し出した。


「僕の望みはただ一つ。ロスヴァイセ家の力で、ヴァルキリーとオーブを上層へ運びたいんだ。できれば、〝グルヴェイグ〟をアークス専門学校で使用できるように、認可してもらいたい」


 ソフィアは警戒しているのか、マリウス先生の手を握ろうとはせず、眉根を寄せたまま睨んでいた。

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