第33話 秘密の階段

 マリウス先生は踵を返し、俺達に背を向けた。側にいたロイドはマリウス先生の後ろ姿と、呆然と立ち尽くす俺達を交互に見た後、こちらに駆け寄ってきた。


「イグニス兄ちゃん……だよね?」


 顔色を伺うように俺の目を見つめてきたので、「あぁ、俺だ」と答えると、ロイドはすぐに安堵の表情を浮かべ、涙を滲ませ始めた。


「あぁ、良かった! ねぇ、身体は大丈夫? 孤児院に帰って来てから、マリウス先生とずっと二人で話し込んでたし、イグニス兄ちゃんの目付きが怖くて、話したくても話しかけられなかったんだ」


 勘の良いロイドのことだ。俺が別人になっていることに、なんとなく気付いていたのだろう。だが、それがどうしてなのか分からずじまいで、今日まで至ったというわけだ。


「心配かけてごめんな。実は――」


 マリウス先生の後ろを一定の間隔を空けて歩きながら、順を追ってロイドに説明した。すると、ロイドは納得したかのように「そっか……」と呟いた。


「やっぱり、あの時のイグニス兄ちゃんは別人だったんだね。実は僕以外にも、アイナとエダも怖がって近づかなかったんだ」

「あー、マジか。話が済んだら二人にも謝んねぇとな」

「その方が良いかも。二人共すっごく心配してたし、安心させてあげて欲しいな」

「わかった。マリウス先生との話が終わったら、速攻で謝りに行ってくる」


 そんな会話を交わしつつ、マリウス先生の後ろをついて歩いて向かった先は、アストラル孤児院の隣に併設されている教会だった。


 教会に続く扉を開けて中に入ると、埃っぽい臭いが鼻についた。教壇の上には金属の燭台が二本置かれており、溶け始めた蝋燭の先には、ゆらゆらと燃える炎が陶器製の女神像を赤々と照らしている。


 俺は教会の中を見渡してみた。薄暗い教会の中は、シスター達が毎日欠かさず掃除をしてくれているはずだが、建物自体が古いせいで天井から木屑と思しき細かい粉が、パラパラと落ちてくるのが見えた。


(相変わらず、いつ崩壊してもおかしくない教会だな。俺は神様とか信じてないから朝の礼拝とか寝てばっかりだったし、悪戯ばっかりして懺悔室に詰め込まれた記憶しかないな)


 当時のことを思い出し、身体がブルッと震えた。思い出すのは孤児院で悪戯をして、マリウス先生に懺悔室に閉じ込められた苦い記憶の数々。


 俺自身が神の存在を信じていないのに加え、ボロボロの小汚い教会に興味を抱くことなく生きてきたのだ。こんな子供が寄り付かない淋しい場所にマリウス先生の秘密が隠されているだなんて、誰が思うだろうか。


(お宝は鉄屑の火葬場に眠ってると思い込んでいたから、ここは盲点だったな。はぁ〜、ここも初めから調べときゃ良かったなぁ……)


 俺は改めて教会の中を観察し始めた。薄らと埃が被った石畳の上にはチャペルチェアが左右に五つずつ置かれ、表面が波打った安っぽいステンドグラスの前には、台座の上で翼を広げた白い女神像がランタンを片手に微笑んでいる。


 マリウス先生は祭壇の後ろに置かれている女神像の背後に回り込み、何かを探すように背中から翼の根本辺りを撫で始めたのを見て、ロイドがソワソワとし始めた。


「せ、先生……さすがにバチが当たるんじゃないですか?」

「大丈夫、バチなんて当たんないよ。神なんて存在、この世にいるわけないじゃん。でもさ、そんな無神論者が牧師を勤めてるだなんて笑っちゃうよね〜」


 マリウス先生はいつものように悪気なく笑っていたが、この場に神を真剣に信仰する人間がいなくて良かったと、俺達は顔を見合わせて苦笑いすることしかできなかった。


「セキュリティがしっかりしてるのはいいけどさぁ。手順を踏まないとバーチャルキーボードが浮き上がらない設定はやめて欲しいなぁ……お、出てきた出てきた」


 マリウス先生の淡い緑色の目に光が反射するのが見えた。俺達は一定の距離を保ったまま、作業を終えるのを待つ。


 マリウス先生がキーボードに何かを打ち込んでから数秒後、台座の上に乗っている女神像だけがゆっくりと回転し始めた。カチッと何かが嵌る音が聞こえた後、今度は台座ごとスライドし、台座の下に隠されてあった階段が露わになる。


 初めて見る仕掛けと隠し階段を見て、俺とロイドは驚きを隠せなかった。


「三人共、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。足元が暗くなってるから気を付けてね」


 マリウス先生は女神像が持っていたランタンを手に取り、スタスタと階段を降りていった。俺達は隠し階段を取り囲み、地下へと続く暗がりの階段を見下ろす。


「ねぇ……このまま、あの人に着いて行っても大丈夫かしら?」


 ソフィアは少し不安そうに言う。恐らく、武器を持って行かなくても大丈夫だろうか? という意味も込められている気がした俺はすぐに「大丈夫」と返事をした。


「マリウス先生は何考えてるか分かんないことが多いけど、俺達に危害を加える人じゃない。だから、きっと大丈夫さ」


 俺は自分自身にも言い聞かせるように発言した後、隠し階段を恐る恐る降りて行った。ロイドもソフィアも行くしかないと覚悟を決めたのか、俺の後ろを着いて歩く足音が続いて聞こえてきた。


◇◇◇


 階段を降りると、見たこともない宇宙船内の通路に出た。宇宙船の構造的に、ビフレスト宇宙港の内部か貨物室かと思ったが、そうなると警備隊と鉢合わせになるかもしれない――そう思った瞬間、マリウス先生が敵かもしれないという疑念が頭を過ってしまった。


「随分と遅かったね。もしかして、僕のこと警戒してるのかい?」


 マリウス先生は少し眉を下げながら、わざと悲しげに微笑む。俺とロイドは困ったように顔を見合わせたのを見て、隣にいたソフィアが一歩前に出て、「当たり前じゃないですか」と答えた。


「廃棄してあったヴァルキリーのアクセスキーを持っている時点で全てが疑わしいですよ。どうして、イグニス君にアクセスキーを渡したのかも不可解ですし。貴方は一体、何者なんですか? 警備隊のヴァルキリーを二機破壊したのに、上層の奴らが何も言ってこないなんて有り得ないわ」


 キッと睨むソフィアを見て、マリウス先生はいつも通りの微笑みを浮かべたままだった。しかしその笑顔はどこか不気味で、俺とロイドは何も言えずに黙り込んだままだった。


「そんなギラギラした目で見ないでくれるかな。それも含めて教えてあげるから、早くこっちに来なよ」


 マリウス先生は手招きをしたまま踵を返し、エアロックで閉じられた扉の向こうへ消えた瞬間、ソフィアは俺達に振り返った。


「ほら、ぐずぐずしてないで早く行きましょう。ここで立ち止まってたって、何も進まないもの」

「あぁ、もちろんだ。〝グルヴェイグ〟のことも、シンラとマリウス先生の関係も、警備隊のヴァルキリーがどうなったのかも全部聞きだすんだ」


 ようやく決心が着いた俺はマリウス先生が入っていった扉を見つめ、ソフィアやロイドよりも一歩先に歩き出した。

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