第22話 メンテナンス

「二人共、もっと気合いを入れなさい!」


 ジャックおじさんの工場を後にした後、俺達は立入禁止区域内にある秘密基地を訪れていた。


 赤錆のヴァルキリーのメンテナンスを行う為に、トレーラーの荷台に置かれているコンテナを開け放って清掃を行なっている。こうして、定期的にメンテナンスをしておかないと、ヴァルキリーのボディにこびりついた赤錆がどんどん広がっていくような気がしたからだ。


「イグニス君、もっと右よ! ちゃんと力を入れて擦りなさい!」

「あー、わかってるって!」


 ソフィアは車の運転席の扉を開いた状態で腰掛け、俺とロイドにどこを掃除すれば良いのか指示を出してくれていた。彼女が首から下げているオーブからも、『二人共、しっかり落とすんだよー!』という声援が俺だけに聞こえている。


(くっそー、ちゃんと力を入れて擦りなさいって言われても、この角度じゃ力が入んねーよっ!)


 疲労でイラッとした俺は胸の内で文句を言う。

今、ヴァルキリーの左腕部分を清掃しているのだが、デッキブラシで何度も擦っていても、白い泡が灰色に変色していくのだ。本来、掃除をすれば綺麗になっていくはずなのに、何も変わらない現状にストレスしか感じていなかった。


(まず、こんなデカいのを男二人で掃除するってのが無理があるんだよな。ハァ……孤児院のチビ達にも手伝ってもらいたいぜ)


 ヴァルキリーは約十二メートル程の大きさを誇っているのだ。巨大な鉄の人形を隅々まで清掃するとなると、あっという間に自分の誕生日が終わってしまうような気がしてならなかった。


「あー、もう無理。さすがの俺でも疲れた。ソフィアも少しで良いから手伝ってくれよー」


 俺は持っていたデッキブラシの肢の部分を杖代わりにして、手の甲に自分の顎を乗せたまま、ソフィアに頼んでみる。しかしソフィアは、「それは私のヴァルキリーじゃないもの。メンテナンスくらい自分でやりなさい」と手伝おうとしてくれなかった。


「イグニス兄ちゃーん、右半身の掃除は終わったよ……って、掃除もせずに何やってるのさ?」


 ロイドが良いタイミングでヴァルキリーの胴体の上に登ってきたが、俺のだらけた姿を見て、少し呆れたような視線を向けてくる。生真面目なロイドのことだ。今まで俺が清掃せずに、サボっていたと思われているに違いない。


「別にサボってねぇよ。今、休憩してるんだ。ロイドはもう磨き終わったのか?」


 俺が聞き返すと、ロイドは笑顔で大きく頷いた。


「メカニック科の実技試験では、ヴァルキリーの性能や整備の順序を試験官に説明したり、48分の1スケールのヴァルキリーを組み立てたりしなきゃいけないからね。制限時間の一時間以内に終わらせたよ」

「ちょっと、待て。メカニック科の実技試験? もしかして、入学試験って筆記だけじゃないのか!?」


 予想だにしてなかった話を聞いて、持っていたデッキブラシを落としそうになった。


 俺の慌てようを見たロイドは短く溜息を吐いた後、「ケンタウロスおじさんの手紙にちゃんと書いてあったよ。ちゃんと見たの?」と言われたので、ポケットに仕舞い込んでいた手紙を手に取り、達筆の文字を目で必死に追っていく。


「嘘だろ、手紙のどこにそんなこと――うわっ、本当だ! ちゃんと書かれてあった!」


 俺の慌てっぷりを見て、ロイドは更に呆れたような顔付きに変わった。


「イグニス兄ちゃん。大人の仲間入りしたんだから、もう少ししっかりしないとダメだよ。僕、中等部に入学するから、今までみたいにイグニス兄ちゃんの側にいられないからね」


 年下のロイドに諌められた俺は恥ずかしそうに頬を掻く。


「オーブが見つかったって書かれてあったから、そっちに意識が向いちまったんだよ! えーっと、なになに……パイロット科の実技試験は学校側で用意するオーブを使って、ヴァルキリーを起動させることが必須条件? なんだこれ? 実技試験がこんな簡単で良いのか?」


 ヴァルキリーを起動させることが必須条件という、訳のわからない試験内容に首を傾げていると、ソフィアがハッとしたような反応を見せてきた。


「なるほど、学校側はシビアな実技試験を考えたわね」

「この試験がシビア? これのどこがシビアなんだよ?」


 実技試験の内容がわからなかったので、尋ねてみるとソフィアは俺にわかるように説明をしてくれた。


「一週間くらい前に、ヴァルキリーとオーブには相性があるって言ったこと覚えてるかしら?」

「あぁ、覚えてる。無理にヴァルキリーと同調しようとすれば、ヴァルキリーが暴走を起こすって話だよな?」


 ソフィアは無言で頷き、話を続けた。


「今回の実技試験はパイロットの素質があるかどうかを見極める為の試験よ。学校側で用意するヴァルキリーとオーブは予め調整された物を使うだろうし、これで起動できなければパイロット側に問題があるとして試験は失格になるわ」

「パ……パイロット側に問題がある場合って、どんな状態を指すんですか?」


 急に不安に襲われた俺はソフィアに対して敬語になってしまった。


 一週間前にオーブの説明を受けた時のように、また難しいことを言われたらどうしようかと俺は身構えるが、ソフィアの口から聞かされたのはとても意外な言葉だった。


「ヴァルキリーの操縦桿グリップを握れるか、否かにかかってるわ」

操縦桿グリップを握れるか、否か? なんだ、楽勝じゃん! 操縦桿グリップなんて誰だって握れるだろ?」


 車を運転するような感覚で言った俺に対し、ソフィアは「誰でも操縦できるんだったら、こんな実技試験は設けないでしょ」と真顔で言う。


「小さい見た目に反して、オーブから発せられるエネルギーはとてつもなく膨大よ。そのエネルギーは操縦桿グリップを通じて、パイロットの身体に電流のように流れ込むの。そのエネルギーにパイロットの身体が耐えられるかどうかが、この試験の肝になると私は推測するわ」


 ソフィアがネックレスを外し、ピンク色に輝くオーブを自分の手のひらの上に乗せると、『そうだよ! 見た目はとっても綺麗なアクセサリーに見えるけど、たくさんエネルギーが詰まってるんだなー、これが!』と、アメリアが興奮気味に答えてくれた。


「ふーん。じゃあ、その膨大なエネルギーとやらに耐えれなかったパイロットはどうなるんだ?」

「無理にヴァルキリーを動かそうとすれば、脳が焼き切れて一生寝たきりよ。生存例はあるみたいだけど、死んでしまうことが殆どらしいわ」

「の、脳!? ってことは、命懸けの試験になるのか!?」


 予想外の返事に俺は強張った表情になってしまった。『イグニス君、ビビってるの〜?』と、アメリアがクスクスと笑いながら揶揄ってきたが、今はソフィアと話をしている最中なので、言い返すことはしなかった。


「そんなわけないでしょ。試験の時はヴァルキリーとオーブを介して、起動実験用のコックピットが用意されると思うから安心しなさい」


 ソフィアがすかさずフォローしてくれたお陰で、俺はなんとか気持ちを持ち直すことができた。


「いい? 貴方が思っている以上に科学は進んでるの。入学試験中に死人が出てしまったら、アークスグループ全体の信用が落ちてしまうわ。それにうちの学校は少人数精鋭が基本なの。筆記が良くても実技で駄目だったら、そこでお終いだからね」

「うっわ、マジかよ。それなら、事前にパイロットの素質があるかどうか試してみたいんだけどなぁ……」


 俺はソフィアのオーブをジッと見つめる。この前、オーブの姿になってしまったというソフィアの姉・アメリアに、『このヴァルキリーはだから――』と言われてしまい、コンテナの中で横たわるヴァルキリーを起動させられなかったのだ。


(そういえば、赤錆のヴァルキリーが特別な理由とやらを詳しく聞いてなかったな。一度、アメリアに聞いてみようかな……)

 

 今更聞くのもどうかと思ったが、「なぁ、アメリア」とオーブに向かって話しかける。わざわざ声をかける理由は、独りで喋っている頭のおかしな人間だと、二人に思われないようにする為だ。


「ちょっと、教えて欲しいことがあるんだけど……聞いてもいいか?」

『なぁに? 僕、イグニス君の為だったら、なんでも答えちゃうよ!』


 何故、そんなにテンションが高いのかわからないが、教えてくれるんだったら、まぁ良いか……と特に気にせず俺は続けた。


「この前、このヴァルキリーは特別だって言ってたよな? その特別って、どういう意味だ?」

『このヴァルキリーの中には人が眠ってるの! もう同調してる状態だから、オーブぼくじゃ起動できないんだよ!』

「…………は?」


 アメリアが発した衝撃の言葉に俺は目が点になった。その数秒後、「はぁぁぁぁ!?」と大声で叫んでしまい、剥き出しになった建物の鉄骨に留まっていたカラス達が、ギャアギャアと奇声をあげて飛び立っていった。


「い、いきなり叫ばないでよ! 耳がおかしくなると思ったじゃない!」

「そうだよ、イグニス兄ちゃん。いきなり大きな声をださないで欲しいな」


 前触れもなく大きな声を出したものだから、ソフィアとロイドは両耳を塞いだまま、奇異の目を向けてきた。しかし、俺は眉根を寄せたままオーブに向かって手を伸ばす。


「おい、アメリアッ! 一体、どういうことだ!?」


 苛立った俺はソフィアに断りを入れず、ネックレスを引っ掴んだ。アメリアはオーブの姿になっているから身体を揺さぶれない代わりに、俺は自分の眼前までネックレスを持ち上げて怒鳴り始める。


「なんでそんな重要な事を今まで黙ってたんだ!?」


 アメリアは俺の怒声に怯える様子もなく、いつもと変わらない口調で話し始める。


『イグニス君もコックピットの中を見たでしょ? あの日、操縦席に人が乗っていなかったのを、皆で確認したんだ。あのタイミングで人間が眠ってるから起動できないんだー、なんて言っても信じなかったでしょ? 実際、ヴァルキリーはオーブがないと起動できないしね。だから、このヴァルキリーは特別って言ったんだ。この場にいる三人以外の人間を見ていないのに、僕の言葉なんて信じるわけないよ』


 アメリアはオーブになっているから、どんな表情で喋っているのかわからない。けれど、喋り方が拗ねたような口調に変わっていたので、少なからず気分は良くないようだ。


「それはそうかもしれないけど、理由くらい教えてくれたって良かったじゃないか! そしたら、いろんな人に頼んでオーブを探し回ることもなかったかも――あっ、ソフィア」


 アメリアを責めるような物言いで捲し立てていると、ソフィアが物凄い形相で、「早く返して!」とオーブに向かって手を伸ばしてきた。


「貴方一人で理解しようとしないでよ! 強引にオーブを奪ったかと思えば、いきなり怒鳴り散らすし! 後、お姉ちゃんに向かってそんな口調で怒鳴らないで!」


 ソフィアは俺から強引にオーブを奪って、自分の胸に抱き寄せていた。彼女の悲痛な表情を隣で見たいたロイドが、「早く謝って!」と俺に口パクで伝えてくる。


 ハッと我に返った俺は、「大切な物のはずなのに、乱暴に扱ってごめん」と少し頭を下げた。


「……二人で何を喋ってたのよ」


 ソフィアは誰とも視線を合わせないまま、不貞腐れたように聞く。俺は気まずそうに、アメリアと喋った内容を話し始めると、二人は目を丸くしながら俺の話を聞き入っていた。

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