第20話 誕生日の朝

 ソフィアと約束を交わした一週間後、俺は十六歳になった。孤児院の子供達からは朝から、「おめでとう、イグニスお兄ちゃん!」と朝から声をかけられ、シスター達にも「貴方に神の祝福がありますように」と額にキスを落としてくれたのだった。


 今日は皆から祝福される一日になるのだろう。

朝から浮ついた気持ちでいたのだが、食堂の机の上に置かれた教科書の山を見て、俺は絶句することになった。


「マリウス先生……。何、この教科書の山は?」

「ケンタロウさんからの贈り物だよ。明日から専門学校の入学試験に向けて勉強頑張るんでしょ? はい、これお祝いの手紙」


 マリウス先生からアマテラス式の手紙を受け取った俺は、封を開けて香の匂いが染みついた便箋を取り出し、端から端までびっしりと書かれた達筆を目で辿っていった。


「えっと、なになに……十六歳の誕生日、おめでとう。イグニスと初めて出会ってから、もう十年以上経ったのかと思うと感慨深いものがあるね。専門学校に入学する為の段取りはこちらで全て済ませておくから、送っておいた教材に目を通しておくように。後、勉強を教えてくれる先生のことだが、マリウス先生に決まったから、彼から教わるように……えー、マジかよ」


 俺は気怠そうに少し離れた所に立っているマリウス先生を見やると、「そんな嫌な顔しないでよ。よろしくね、イグニス君」とウィンクを飛ばしてきた。


(ハァ……マリウス先生から勉強を教わるのか。先生は理解するまで離してくれないから、嫌なんだよなぁ……)


 テンションが下がった俺は手紙の内容を流し見していたが、最後の三行に俺が欲しがっていた〝オーブ〟のことが記されていた。〝オーブ〟の文字が書かれている行の部分だけを食い入るように読み込み、俺は勢いよく立ち上がる。


 手紙にはこう記されてあった――。ジャックおじさんの工場でオーブらしき物が見つかったようだ、と。


「マジかよ! こうしちゃいられねぇ、マリウス先生! 今からジャックおじさんの所に行ってくる!」

「こらこら、イグニス君。ちょっと待ちなさい」

「なんだよ、先生! 俺、急いでるんだ!」


 出鼻を挫かれた俺は足踏みをしたまま、その場に留まっていた。


「まぁ、落ち着きなさいって」


 いつものマイペースさで話しながら、マリウス先生は胸ポケットからある物を取り出す。


 先生の手に握られていたのは、黒い長方形型のお守り袋だった。掛け紐は赤色で結びはよく分からなかったが、炎の絵柄の中心に『焔』という文字が描かれている。


 ケンタウロスおじさんがいつも持っているお守り袋の形に良く似ているような気がした。マリウス先生はいつも神父のような格好をして、教会の女神像に祈りを捧げているから、アマテラス製のお守りを持っていることに少し違和感を感じてしまう。


「何これ、アマテラス製のお守り? マリウス先生、アマテラス出身だっけ?」


 マリウス先生は俺の問いに肯定も否定もせず、「誕生日おめでとう、イグニス君。成人を迎えた君にこれを渡しておくよ」と、にっこりと笑ったまま強制的にお守りを手に握らせてきた。


「これは僕の大事な物なんだ。肌身離さず、絶対に無くさないようにね」

「えっ? そんな大切なお守り袋をなんで俺に渡してくるのさ?」


 俺は握らされたお守り袋を怪訝な目で見つめていたが、マリウス先生はいつものようにニコニコとした表情で、「そうだねぇ、イグニス君はアマテラスの大神様に守ってもらう方が似合ってる気がしたから?」と意味深なことを言う。


「……ねぇ、イグニス君。晴れて大人の仲間入りになったんだし、君がこの孤児院に入った経緯を知りたくないかい?」

「俺がアストラル孤児院に入った経緯? それって、俺の親が誰かっていうような話?」


 珍しくマリウス先生が真剣な顔で頷いたので、俺は自分の出生について考えてみたが、特にめちゃくちゃ知りたいと思わなかった。


 物心ついた頃からこの孤児院にいたし、似たような境遇の子供達が常に側にいたので、特に寂しさを感じたことがなかった。自分の両親がどこかで生きていたとしても、会いたいという感情が全く湧いてこなかったのである。


「んー、特に興味ないかな!」


 俺があっけらかんとした様子で言ったので、マリウス先生の方が少し驚いたように、「イグニス君、それ本気で言ってるのかい?」と聞き返してきた。


「え? だって、俺の周りには頼りになるマリウス先生や弟のロイドがいるし、おじいちゃん代わりになってくれてるケンタウロスおじさんもいるじゃん。だから、今は自分の出自を知りたいとは思わないかな」


 それを聞いたマリウス先生は、「全く、君らしいね」と苦笑いしていた。


「わかった、じゃあ強制はしない。聞きたくなったら、いつでも聞きにおいで」

「マリウス先生、ありがとう! 俺、めちゃくちゃ出来が悪いから迷惑かけると思うけど、明日から勉強の先生もよろしく! ジャックおじさんの所に行くから、車を借りるね!」

「はいはい、気をつけていきなよ」

「わかってまーすっ!」


 俺はマリウス先生に手を振って食堂を後にし、玄関へ向かった。今日、同部屋の皆は外で野菜を収穫したり、雑草を引き抜く雑用等を任せられている。俺は誕生日だったから当番を特別に免除されたが、孤児院の子供達がまだ建物に戻っていないようだったので、俺は畑に向かって走っていった。


「オーブらしき物ってなんだろう!? くぅぅ〜、めちゃくちゃ楽しみ! ロイド、ソフィア! 今からジャックおじさんの所に行くぞ――って、おいぃぃ! 皆、俺を差し置いてスイカを食べてやがる!」


 建物の外に出ると、孤児院の子供達は穫れたばかりのスイカを畑で頬張っていた。シスター達がスイカを切り分けて大皿に乗せ、アイナとエダに子供達に配るよう指示を出している。


 ソフィアはテーブルの上に乗っているスイカに手を伸ばしていた。隣にいたロイドは、手本を見せるようにスイカを手に持ち、ガブリとスイカに齧り付く。その後、口から種をププッと出しているのが見えたので、どうやらスイカの食べ方の説明を受けているようだ。


(ソフィアの奴、すっかり馴染んでるな。チビ共に質問責めにあって困り果ててたのが、懐かしいぜ)


 ソフィアは孤児院での生活に慣れたようで、持って来たレーションには手を付けず、下層の食べ物だけを食べて生活していた。ここに住んでいる以上、家事洗濯をしなければならないのだが、嫌な顔もせずに子供達と協力しながら頑張っている。洗剤で荒れていた指の赤みは、俺があげた塗り薬を寝る前に塗っているお陰で良くなりつつあるようだ。


「おいおいおーい、今日の主役は俺だぜ!? ちゃんと俺の分は残してくれてるんだろうな!?」


 俺は二人の元へ走って向かうと、ロイドは口元に種を付けたまま、「イグニス兄ちゃーん!」と手を振ってきた。隣にいたソフィアはこちらに目を向けるだけで、スイカをシャクシャクと咀嚼している。


「マリウス先生と話は終わったの?」

「あぁ。聞いてるかも知らないけど、明日からマリウス先生に勉強を教わることになるみたいだ」


 それを聞いたロイドは「そうなの!?」と驚きの声をあげた。


「マリウス先生、勉強も得意なんだね! 本当になんでもできて凄いなぁ……」

「そうだな。けど、今はマリウス先生の話はひとまず置いといて……今日はロイドとソフィアに大事な話があります!」


 そう言って、俺はケンタウロスおじさんから貰った手紙を二人に広げて見せた。「最後の三行を読んでみてくれ!」と俺が指をさすと、二人は目を大きく見開き始めた。


「オーブに似たような物が見つかったって本当なの――あっ、私のスイカ!」


 いつまでもスイカを咀嚼しながら聞いていたので、俺は彼女が持っていた食べかけのスイカを取り上げ、二口で赤身の部分を食べ尽くした。


「いいか? これが本当のスイカの食べ方だ。そんな小さな口でチビチビ食べても美味くねぇだろ? 俺みたいに大きな口で頬張らないと」

「種が邪魔だからゆっくり食べてたのよ。スイカの種をいくつか上層に持って帰って、遺伝子操作を施した種無しスイカでも作ってみようかしら……」


 ソフィアは落ちていたスイカの種を摘みながらブツブツと呟いていたが、俺は強引に彼女の手を取った。


「ちょっと、イグニス君! まだ私はスイカを堪能し尽くしてないわよ!」

「スイカは帰ってからでも食べられるから、早くジャックおじさんの元へ行ってみよう! ロイド、お前も口元に付いてる種を取って早く来い!」


 俺は車のキーを皆の前でちらつかせ、孤児院の裏手へ向かうのだった。

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