第16話 ケンタロウ・モモチ

 トン……トン……トン……と、階段を静かに降りてくる音が聞こえてきた。黒い足袋と灰色の着物の裾が見えた瞬間、俺とロイドは指先にまで力を入れて背筋をピンと伸ばす。側にいたソフィアも俺達の雰囲気が変わったのを察してか、同じように背筋を伸ばしていた。


「こんばんは、ケンタウロスおじさん」


 俺とロイドが深々と頭を下げて挨拶をする。階段から降りてきたのは、この百道商店の店主であり、俺のお爺ちゃん代わりにもなっている、ケンタウロスおじさんだ。


 この地域では見かけないアマテラス製の着物を着用し、白髪混じりの長い黒髪を紫色の組紐で結んでいる。老化で目尻が垂れ下がり、深いほうれい線が刻まれてはいるが、若い頃は色男だったに違いないと、男の俺でもそう思わせるような雰囲気を今でも纏っていた。


 ケンタウロスおじさんが俺達の姿を視認すると、薄い唇が柔らかく弧を描いた。


「よく来たね、イグニスにロイド。二人に会うのは一週間ぶりかな?」

「はい、今日は隣にいる女の子を紹介したくて挨拶に来ました。彼女の名前は――」


 隣にいるソフィアを紹介しようとしたが、俺はすぐに黙り込んでしまった。草履を履いている最中のケンタウロスおじさんが、喋るなと手を上げて合図を送って来たからだ。


「君のことは知っているよ、上層から来たお嬢さん。確か、アークスグループが経営する専門学校の中等部を主席で卒業する予定の天才少女だ。来年から同校の高等部に通う予定で、名前はソフィア・ロスヴァイセさんで間違いないかな?」


 まだ一言も喋っていないのに、直近の経歴を言い当てられてしまったソフィアは、驚いて口を一文字に結んでいた。まさか、ソフィアのフルネームをケンタウロスおじさんの口から聞くことになるとは思わず、俺はロイドと戸惑ったように顔を見合わせてしまう。


「随分……私のこと、詳しいんですね?」

「フフッ、君はわりと有名人みたいだからね。少し調べたらすぐにわかったんだ」


 ソフィアは眉根を寄せることでしか不快感を示すことができなかった。確かに自己紹介をする前に、初対面の人から自分の経歴を聞いてしまったら、そんな表情になるのも無理はない。


 これ以上、険悪な雰囲気になるのはまずいと思い、助け舟を出そうかと思ったが、その前にケンタウロスおじさんがソフィアの眉間に寄った皺を吹き飛ばすように、ハハハと笑い始めた。


「すまない、怖がらせてしまったね。だが、下層は君が思っている以上に危険で情報が回るのが早い。今、私が話した君の個人情報だってそうだ。あの手この手で君を手に入れようと躍起になる連中が出てくる前に、私が手を打っといてあげるから安心して過ごすと良い」

「あ、ありがとうございます……」


 ソフィアは何が何だかわかっていない様子だったが、首を傾げながらもお礼を述べていた。一方の俺達は、ケンタウロスおじさんが朗らかに笑う姿を見て、ようやく気を抜くことができた。


「さて、順番が前後してしまったが自己紹介をしよう。私の名前はケンタロウ・モモチ。イグニスにはケンタウロスおじさんと呼ばれている。名前と格好でわかるかもしれないが、出身は宇宙船・アマテラスだ。できれば、今後とも末永くお付き合い願いたいものだ」

「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします……」


 ソフィアは最後まで警戒を緩めることなく、握手を交わして頭を下げた。自己紹介を終えたケンタウロスおじさんは、そばにあった椅子にゆっくりと腰掛け、視線を俺に向ける。



「そういえば、イグニス。お前の誕生日は一週間後だったな。何か欲しい物はないか? 私で用意できる物なら、用意しようと思ってるんだが……」

「えっ、俺が欲しい物!?」


 俺が聞き返すと、ケンタウロスおじさん快く頷き、「今回は成人祝いも兼ねてるからね。私で叶えられることなら、なんでも叶えてあげよう」と気前良く答えてくれたのだった。


「マジで!? うっわ、どうしようかな……」


 俺は真っ先に〝オーブ〟を思い浮かべた。しかしそんな珍しい代物、百道商店ですら手に入るかわからない。しかも〝オーブ〟を手に入れて何をするつもりなんだ? と問われたらなんと答えるべきか、今の俺では最適解を持ち合わせてはいなかった。


(うーん、どうするかな。ただオーブが欲しいだけだって言っても、納得してくれないような気がする。でも、〝鉄屑の火葬場〟に捨てられていたヴァルキリーを動かす為だって説明したら、どんな顔をされるだろう?)


 俺は秘密基地に置いてあるヴァルキリーのことを、正直に言うべきか悩んだ。けれど現状のままでは、〝鉄屑の火葬場〟で〝オーブ〟を見つけられる可能性は0に近い。であれば、少しでも確率を上げる意味でも、ケンタウロスおじさんに頼むべきではないか――そう思ったのだ。


(鉄屑の火葬場で廃棄されてたヴァルキリーのこと、ジャックおじさんから聞いてたりするのかな? 万が一、ヴァルキリーを廃棄しろって言われたりしたら嫌だし……。あ〜〜、どうすりゃいいんだ!?)


 不安だけが募っていった。別に悪いことをしているわけではないのに、ドクン……ドクン……と心臓が煩くなる。けれど、口に出さないと相手には伝わらないし、どうしても欲しい物を手に入れる為には、使える手札からカードを切るしかないのだ。


 仕方ない。一か八か賭けにでよう――意を決した俺は「オーブが欲しいんだけど、手に入れられないかな?」と駄目元で言ってみる。すると、ケンタウロスおじさんは俺の予想通りの反応を示した。


「オーブ? オーブというのはヴァルキリーを動かす為の宝珠のことか?」

「う、うん。そのオーブが欲しいんだけど、駄目かな?」


 ケンタウロスおじさんの声音がいつもより低くなった気がして、俺は俯きがちに視線を逸らす。すると、暫く間を置いてから、「オーブを手に入れて何をするつもりだ?」と聞かれてしまった。


(そりゃあ、オーブの使い道は気になるよな。俺がケンタウロスおじさんの立場でも絶対に聞くだろうし。けど、どう答えたら納得してくれるだろう? このままだと、返答によっては駄目だって却下されちまう!)


 俺は必死に考えていた。左に視線を向けると、ロイドは心配そうに俺の顔を覗き込んでいるし、右に視線を移すと、ソフィアは不安そうな表情になっている。


(ソフィアの制服……ヴァルキリーの専門学校、パイロット科……そうか、この手があった!)


 たった今、俺は閃いてしまった。彼女の着ている白い制服を見た途端、俺は皆を納得させる良いアイデアが思い付いたのだ。


 ケンタウロスおじさんに決意表明をする前に、俺はゆっくりと深呼吸をした。今から言うことは、ソフィアとロイドも驚かせてしまうだろう。もしかしたら、ケンタウロスおじさんでも叶えられないことかもしれない。


 行き当たりばったりみたいになっているが、どうして俺がオーブが欲しいのかを、知ってもらう真っ当な理由にはなる――そう思った俺は、意を決してあることを口にし始めた。


「実は俺、上層に行くのがずっと夢だったんだ。専門学校で勉強して、ヴァルキリーのパイロットになる為の資格を取りたいって考えてる。学校で〝オーブ〟が必要になるみたいだから、できたら先に欲しいなーって、思ってて……」


 俺の右側にいるソフィアが少し首を傾げていた。『頼む! 何も言わないでくれ!』と目で必死に訴えていたお陰で口を挟むことはなかったが、内心めちゃくちゃヒヤヒヤした。


「専門学校? その為に〝オーブ〟が欲しいと?」

「だ、駄目かな? やっぱり、ケンタウロスおじさんでも難しいよね?」


 専門学校に行くから〝オーブ〟が必要だと、無理やり理由をつけて嘘をついてしまったが、そこら辺はソフィアが何も言わないことを願いつつ、俺は神に祈るように両手を握っていたのだった。

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