第15話 百道商店

「さぁ、着いたぞ。ここがケンタウロスおじさんの城、百道ももち商店だ」


 俺はパンパンに詰まった買い物袋を店の前に置かれている長椅子に置かせてもらい、額に滲んだ汗を袖で拭った。


 ソフィアは店の瓦屋根の上に乗っかっている看板が気になっているようで、「こんな大きな看板とアマテラス製の家、上層でも見たことないわ……」と見入っていた。


 アマテラス製とは地球でいうアジア圏を指し、地元の文化や伝統を取り入れた製品を指す。お茶や着物、お香などが宇宙船・アマテラスで特産品となっており、地球発祥の文化は今も廃れずに根強い人気を誇っている。


 これは余談だが、宇宙船・アスガルドでは、ヨーロッパ圏から出航した宇宙船なので、牛乳・乳製品がアスガルドの特産品となっている。近年は異文化交流を兼ねて他の宇宙船とも行き来しやすくなっているというが、下層に住む俺達には縁のない話だ。


「そりゃあ、ケンタウロスおじさんは闇市を仕切ってる人だからな! 店はこれくらい大きくないと!」


 俺が自慢気にペラペラ話していると、側にいたロイドは、「イグニス兄ちゃんの店じゃないんだけどなぁ……」と苦笑いしていた。


「ほら、早く中に入って挨拶しようぜ! この後も予定が詰まってるんだし、何よりジャックおじさんが持って来た珍しい物が気になるしな! こんばんは――ブッ!?」


 店の戸を開けた瞬間、視界が真っ暗になった。甘い香りと暖かい吐息を頭上から感じる。そのまま後頭部に両腕を回され、俺は柔らかい何かに顔面をグリグリと押し付けられてしまった。


(な、なんだこれ!? めちゃくちゃ柔らかくて良い匂いがする!! これは一体――)


 息苦しかった俺は抜け出そうと必死にもがいていると、マシュマロ饅頭を鷲掴みした時と同じような感触がした。「あんっ、イグニスったら! 皆が見てるのに積極的なんやからぁ!」と聞き覚えのある声が聞こえてきたので、俺は慌てて顔を上げる。


「ユ、ユナ!? なんでお前がこの時間帯にいるんだ!?」

「うふふっ、珍しいやろ? アマテラス劇場はお休みやし、お店は人手不足やから気を利かせて、最近は朝から晩まで出勤しとるんや♡」


 独特な口調で喋っているのは、この店の看板娘であるユナという同い年の娘だった。ユナは艶やかな黒髪を背中辺りまで伸ばしていたが、半年くらい前に前触れもなく、髪の内側だけを赤色に染めた。


 髪を染めた辺りから着物を着てくれなくなったと、ファン達が嘆いていたが、その方がユナらしいと俺は思っていた。


「久しぶりやなぁ、イグニス! ほら、いつもみたいにハグしよや〜♡」


 ユナが両手を広げて待ち構えていたが、俺は即座にかぶりを振った。


「嫌だね。俺は来週で成人だし、そういうことはやらねぇよ」

「な、なんでそんなこと言うん!? ウチとアンタの仲やんか! この前まではハグしてくれてたやん!」

「俺は男だからな。これからは色々と配慮してくれると助かる」


 これにはちゃんとした理由があった。最近、百道商店の常連(ユナの熱狂的なファン)に、彼女とどういう関係なのか詳しく聞かれることが多くて困っていたのだ。なので、最近はできるだけユナがいない時間帯を狙って店に来ていたというわけである。


 いつものユナなら、「嫌や、嫌やー!」と駄々を捏ねるはずなのに、意外にも納得した様子だったので、なんとなく俺は嫌な予感がした。


「ふぅん……わかったわ。でも、ウチにそんなことを言うわりには、後ろにいる女の子と手を繋いでここまで来てたやんな? ここらでは見かけない子やけど、自分どこから来たんや?」


 ユナの深い藤色の目が背後にいるソフィアに向けられた。品定めするようにジロジロと眺めた後、何を見てそうなったのか分からないが、ユナは勝ち誇ったようにフフンッと笑う。


 しかし、ユナからそんな反応をされても、ソフィアはニコニコと笑ったままだった。二人の険悪な雰囲気を感じ取った俺とロイドは、互いに顔を見合わせて苦笑いする。


「なぁ、ロイド。なんか空気が変わったような気がするのは俺だけ?」

「ううん、僕も空気が変わったと思う」


 ソフィアとユナの間で流れている空気がトゲトゲしく感じたのは、どうやら気のせいではなかったようだ。俺は軽く咳払いをした後、自己紹介を簡単に済ませようと割り込む。


「あー、紹介するよ。彼女の名前はソフィアっていうんだ。俺とユナとは同い年で、上層から来た女の子。後は、えーっと……」


 地球へ行く為に下層に来たとか、ヴァルキリーのパイロットになる勉強をしてるという事実は俺の口から言えず、頭をガシガシと掻いて困っていると、ソフィアがユナに向かって手を差し出した。


「ソフィアです。イグニス君とは昨日出会ったばかりですけど、とっても仲良くしてます。どうか、ユナさんもよろしくお願いしますね」

「ユナと申します。本業はアマテラス・キョウノミヤコ流の舞妓でございます。今の時期はお休みなので、この商店で売り子として、お手伝いをしてるんですよ。私、イグニスとの付き合いは長くて、暇さえあれば会ってるんです。ソフィアさんも私達のように長い付き合いになると良いですね。ウフフッ、フフッ……」


 ソフィアとユナは笑顔で握手を交わしているが、言葉の節々にトゲを感じた俺とロイドは、もはや作り笑いしかできなかった。「モテる男は辛いね」とロイドが冷やかしてきたが、俺は渋い顔をして冗談じゃないというように、ブンブンと首を振った。


「まぁ、ええわ。でも、下層は物騒な所やからな。ウチの兄さんみたいに急にいなくなる可能性も何きしもあらずや。用があるんはウチのおじいちゃんやろ? すぐに呼んでくるさかい、少し待っててや!」


 キシキシと軋む木製の階段を慣れたように登るユナの後ろ姿を見て、あの事件からよく立ち直ったものだと感慨深い気持ちで見ていると、ソフィアが俺にコソッと話しかけて来た。


「イグニス君。ユナさんのお兄さんって……」

「あぁ、もう亡くなってる」


 ソフィアは「あぁ……」と力無く言葉を漏らした。姉を亡くしているので、他人事ではいられなかったのだろう。ユナが階段を登り切ったことを確認した後、簡単に当時のことを話し始めた。


「数年前、ユナの兄貴は下層の治安を守る『鷹の目』って役割を担ってたんだ。けど、闇市に視察に来た上層の警備隊に目をつけられて、頭を警棒で殴られちゃってさ。当たりどころが悪かったみたいで、そのまま亡くなっちまったんだ」

「そうだったのね。警備隊の悪い噂は上層にいた時から聞いてたけど、まさか人を殺めていただなんて思わなかったわ」


 ソフィアはそれで納得したのか、それ以上は何も聞いてこなかった。

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