第12話 ソフィアのオーブ

 俺達は秘密基地を後にし、ロイドの運転でミドガルズの中心部にある闇市に向かうことになった。闇市では独自のルートで仕入れた薬や珍しい商品、下層で育てられた野菜などが売られている。


 時には麻薬や覚醒剤のような依存性の高い物も売られているので、闇市にあまり来たことがない人は注意が必要だが、そういう変な商売をしている人はケンタウロスおじさんに目を付けられて、早々に店を畳むことになるのだ。


「闇市まで少し時間がかかると思うから、イグニス兄ちゃん達は楽にしてて良いよ。道はガタガタだから、あんまり休めないかもしれないけど、できるだけ安全運転を心掛けます!」

「あぁ、頼んだ!」


 ロイドはハンドルを握り、アクセルを優しく踏み込んだ。俺の荒っぽい運転とは違って、ロイドは慎重だから安心して任せられるのに、ソフィアは俺より年下の人間が運転することに最後まで反対していたのだった。


「ロイド君を信じてないわけじゃないけど、本当に大丈夫なの?」

「ロイドの運転は俺の運転よりも安全だぜ? いいから、大船に乗ったつもりでゆっくりしてなって!」


 ソフィアは納得いかない様子だったが、下層は上層とは違って法律のない世界なのだ。郷に入っては郷に従えと俺が諭すと、渋々、目を瞑ってくれたのだった。


 今からジャンク屋を営むジャックおじさんと、闇市を取り仕切っているケンタウロスおじさんに会いに行く。二人にソフィアを紹介した後、マリウス先生から命じられた炊き出しを行い、今日の日程は終了となる。


 まだ気を抜いてはいけないが、ロイドに甘えて少し休ませてもらおうと思い、俺は後部座席のシートにもたれかかる。すると、すかさずソフィアが俺との距離を詰めてきた。


「な、何か用か?」

「まだ、お姉ちゃんと話したいことがあって。お姉ちゃんがなんて言ってるか通訳してほしいの」


 浅紅色の大きな目がすぐ側に迫ってきたので、俺は反射的に窓際に身を縮こませるように寄る。ソフィアが美人なのは知っているが、身体を密着させるように近付いてこられると、男としては色々と困ってしまう。


(でも、話したいことはたくさんあるはずだよな。肌身離さず付けてたオーブが自分の姉ちゃんだったんだから)


 三十分ほど前に判明したソフィアのオーブの正体。名前はアメリア。なんと、ソフィアの双子の姉だと言い張ったのだ。


 ソフィアは基本的に自分のことは喋りたがらなかったので、オーブが語ること全てが初耳だった。


 双子の姉という確証もなければ、オーブの声が俺にしか聞こえないという信じ難い現象をどう説明すれば良いのか分からず、俺は悩みに悩んだ末、「アメリアっていう名前の人、知ってる? このオーブ、ソフィアの双子の姉ちゃんだって言い張るんだけど……」と顔色を伺うように質問してみたら、ソフィアがギョッとした顔付きに変わった。


「どうして、イグニス君がお姉ちゃんの名前を知ってるの?」


 そう言葉を漏らし、ポロポロと泣き出してしまったのである。


(でも、オーブが喋るなんてびっくりだよな。立入禁止区域で、赤錆のヴァルキリーを動かせなかったのは残念だったけど……)


 赤錆のヴァルキリーを動かせるか、アメリアに聞いてみると、『ごめんね。このヴァルキリーはだから、僕じゃ動かせないや』と断られてしまったので、こうして闇市に向かっているというわけである。


「ねぇ、イグニス君。私の話、聞いてる?」

「あ……あぁ、ちゃんと聞いてるよ。ソフィアちゃんが泣き虫なのは、大きくなっても変わらないね、だってさ」


 ハッと我に返った俺は慌ててソフィアのオーブに耳を傾ける。オーブの言ったことをそのまま口にすると、ソフィアはプクッと頬を膨らませた。


「お姉ちゃんったら、いつの話をしてるのよ。四ヶ月後にはイグニス君と同じ十六歳になるのに、もう滅多なことで泣かないわ」

「さっきまで号泣してたくせに、よくそんなこと言えるよな――いだっ!?」


 走っている途中で比較的大きな石に乗り上げてしまったらしく、車体が上下にバウンドし、硬いシートに尻が叩きつけられてしまった。尻の痛みに悶絶していると、ルームミラー越しに心配そうな表情をしたロイドと目が合った。


「ごめん、イグニス兄ちゃん! 大丈夫だった!?」

「あ……あぁ、大丈夫! このまま安全運転でよろしく!」


 ロイドは「わかった!」と大きく返事をして車を走らせ続けた。下層は基本的に道が舗装されておらず、砂地の上を走っているので、ガタガタと車体が激しく揺れる。わかっているとはいえ、結構身体が辛い。


(ったく、もう少し道は綺麗に整備して欲しいぜ。誰が作った物で食っていけてると思ってるんだ、上層の奴等はよ! しかも、美味い食材をレーションとやらに作り替えてるだなんて、マジで有り得ねーぜ。人生の大半は損してるな)


 俺は継ぎ接ぎだらけの天井を見つめる度に、心の中で憤ってしまう。


 ここは宇宙船の中だから、冷たい鉄のプレートが上下左右に貼り付けられているのではと思うだろう。しかし宇宙船・アスガルドでは、最低でも千年以上は宇宙で暮らすことを想定しており、農作物や家畜を育てることに重点をおいている。


 つまり、俺達がいるこの下層は人が住む前提で作られておらず、動植物を育てるプラントのような役割を担っており、足元には畑を耕す為の土が敷き詰められ、緑豊かな芝生の上には様々な種類の家畜達が、そこら中を闊歩しているというわけだ。


「……ねぇ、イグニス君。お姉ちゃんは私が地球に行きたい理由を知ってるか、聞いてもらっても良いかしら?」


 突然、ソフィアは俺の肩にもたれかかりながら聞いてきた。よく見ると彼女の瞼が少し落ちてきている。どうやら、睡魔に襲われているようだ。


 俺は肩を貸しながら、オーブから発せられるアメリアの声に神経を集中させる。すると、ハッキリした声で、『知ってるよ。ソフィアちゃんが一人で苦しんでるのも知ってる』と返事があったので、その通りにソフィアに伝えた。


「そっか。実は私ね、お姉ちゃんがオーブになっちゃったって知ってたの。こんなことを話しても誰も信じてくれなかったと思うし、パパ達にお姉ちゃんオーブを渡さなくて良かったとも思ってる。でもまさか、オーブと話ができる人がこの世にいるだなんて思わなかった」

「うん、僕もいると思わなかった……だって」


 ソフィアはガタガタとした車の揺れが心地良いのか、瞼が今にも閉じそうになっていた。


「お姉ちゃん、私ね……地球に行って、皆が仲良くなれるように話をしたいの。それが……私の役目……皆、傷付かない……方、法……」


 そう言ったきり、ソフィアは眠りに落ちてしまった。「おーい、ソフィアさん?」と小声で話しかけるも、俺にもたれかかったまま、何の反応もない。


『ソフィアちゃん、寝ちゃったね。昨日からずっと歩きっぱなしだったし、疲れてたのかも』

「うん……そうだな」

『どうしたの? 何か気になることでもある?』

「いや、こんな華奢な身体してるのに、何を背負って生きてるんだろうなって思ってさ。だって、俺と同い年の女の子が地球へ行きたいだなんて、普通に生活してたら言わねぇだろ?」


 俺がソフィアのことを気にかけていると、アメリアは『うん、そうだね』と静かに答え、暫く考えているようだった。


『……イグニス君はさ、誰かを助けたいって思ったことはある?』


 思ってもみなかった質問に俺は少し考えた後、「うん、あるよ」と答えた。


『ソフィアちゃんはね、なんでもかんでも一人で背負っちゃうんだ。僕が生身の人間だった時は、すぐに気付いて一緒にいてあげられたんだけど、今はそれができないの。だからもし、ソフィアちゃんが辛そうな顔をしてたら、イグニス君が側にいてあげて欲しいんだ』


 オーブの姿だからアメリアの表情はわからなかったが、何故か頭を下げて頼まれているような気がした。「そんなの友達なんだから、当たり前だろ?」と答えたが、スヤスヤと肩にもたれかかって寝ているソフィアを見て、俺は心配になってしまう。


(ソフィア。お前、何を背負ってるんだ?)


 肩にもたれかかっているソフィアをジッと見つめた後、窓の外の景色を見やる。すっかり朝昼用の眩しい照明から夕方用の暖色系の照明に切り替わっていくのを見て、俺も少しの間だけ瞼を閉じた。

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