第8話 アイナとエダ

 アストラル孤児院はスラム街から離れた場所に建てられている。孤児院の建物は老朽化で外壁の一部が剥がれ落ち、今にも屋根が崩れ落ちそうな外観をしているが、敷地内にはスラム街とは思えない緑豊かな景色が広がっていた。


 ふかふかの芝生に数名の子供が登っても折れないような大木。そして、多種多様な野菜が植えられた畑。俺は詳しくは知らないが、これらの物は遥か昔、地球から持ち込まれた物らしく、孤児院の皆で大切に守ってきた物だ。


「おっ、いたいた……」


 孤児院の建物から飛び出した俺は、大木の下でロイド達が子供達とボール遊びをしているのを見つけた。本来なら畑の周りを歩かなければならないのたが、俺の頭に迂回するという考えはなく、一直線に駆け抜けようと畑に足を踏み入れる。


 種蒔きをしているシスター達のすぐ後ろを駆けていくと、「コラッ、イグニス! 畑の上を走るんじゃありません!」と叱られてしまったが、「ごめん、急いでるんだ!」と軽く謝っておく。シスター達にも悪いと思っているが、俺が真っ先に謝らなければならない相手は同部屋の四人なのだ。


「皆、寝坊してごめんっ! この通りだ、許してくれ!」


 孤児院で暮らす子供達は遊ぶのを止め、何事かと俺の方を見つめている。それもそのはずで、俺は額を畑の土に擦り付け、ロイドとソフィア、アイナ、エダの四名に向かって土下座をしていたからだ。


 ロイドとソフィアは俺の事情を知っているからまだ良い。問題はアイナとエダだ。この五歳の少女達は非常に真面目で、秩序を乱す者達が許せない性質。だから、俺のような自由奔放な人間に対しては非常に厳しく、今日のように寝坊してしまったら、長時間説教を聞かされるハメになってしまうのだ。


(アイナとエダは説教が無駄に長いんだよなぁ……。頼むから何も言わずに許してくれ! 今日の俺は色々と忙しいんだ!)


 俺は何もありませんようにと強く願っていたが、その願いは儚く散ってしまう。アイナとエダは唇を尖らせたまま、ムッとした顔でこちらに歩み寄ってきた。そして、土下座をしている俺の前に立ち、腕を組んで見下ろしてくる。


「イグニスお兄ちゃん、今からアイナが物申します!」

「わ、私も同じく物申しますっ!」


 短い眉を吊り上げ、俺に指をさしているのはアイナだ。猫のような金色の目が特徴的で、艶やかな黒髪を猫耳のように結い上げている。最近はマリウス先生に恋をしているらしく、一途に片想いを続けているようだ。

そんなアイナの長所は素直で真面目な所だが、短所は正義感が強すぎる所と短気な所だ。この無駄に強い正義感は幼い頃の俺と重なり、見ていて時々恥ずかしい気持ちになる。


 アイナの後ろに控えているエダは空色の目をした読書好きな女の子だ。いつも誰かの後ろに隠れるように立っているので表情がわかりにくいが、アイナに負けず劣らず繊細で綺麗な顔立ちをしている。最近は髪を自分で結んでアレンジするのが楽しいようで、茶色の髪を頭の天辺でリボンのような形に仕上げていた。

控えめでお洒落が大好きなエダだが、意外にも芯は強いタイプだ。それに加えて人一倍優しく、人一倍心配性である為、この孤児院では小さなお母さんのような役割を担っている。


(さぁ、今から説教タイムだな……)


 俺は起き上がって額に付いた土を手で払い、静かに膝の上に手を置く。幼い少女の声は特に頭にキンキンと響くので、覚悟を決めて歯を食いしばった。


 二人はアイコンタクトを取り、「じゃあ、私から……」と前置きをしてからアイナが喋り始めた。


「イグニスお兄ちゃん、もう夜中に抜け出しちゃダメだよ! ロイドお兄ちゃんにも言ったけど、〝鉄屑の火葬場〟には子供だけで入っちゃダメ! マリウス先生が危ないって言ってたでしょ!? 五歳の私達でもわかるのに、なんでそんな簡単なことも守れないの!?」

「そ、そうだよ。夜中に目が覚めたら、二人共いなくてとても心配したんだよ。〝鉄屑の火葬場〟は人が死ぬかもしれないような危険な場所なんでしょ? 二人が大怪我をしちゃったり、死んじゃったらって思うだけで怖いよ。ルールは守らなきゃダメだって先生も言ってたのに……なんで、お兄ちゃん達はルールを守らないの?」


 正論すぎて俺はぐうの音も出なかった。周りの皆の視線がチクチクと痛い。ロイドはこの光景を見慣れているが、側にいるソフィアは俺が五歳児の女の子に説教されているのを見て、笑うのを必死に堪えているようだった。


(ヤバイ。いつも以上に恥ずかしい……)


 恥ずかしさで顔が一気に熱くなった。格好悪すぎて何も言い返せなかったが、少しだけ視線を上げるとエダが今にも泣き出しそうになっていた。


 俺を心配してくれているという気持ちを蔑ろにするわけにはいかず、「わかりました! 今度から先生に外出許可を貰ってから外に出ます!」と慌てて宣言すると、何故か二人は顔を見合わせてヒソヒソと喋り始めた。


「ねぇ、エダ。ロイドお兄ちゃんはともかく、イグニスお兄ちゃんはあんまり信用ならないよね。いつも何かやからして、マリウス先生に罰を与えられてるもん」

「うん。教会の懺悔室でマリウス先生に己の罪を告白する姿を何度も見てきたんだから、私達がそう思うのも仕方ないよね」


 アイナとエダが憐れむような視線を俺に向けてきた。

二人が何を話しているのか、俺にはしっかりと聞こえていたが、その部分にはあえて触れずにゴホンッと大きな咳払いをした。


「いいかい、君達? 俺は一週間後には十六歳になるんだ。大人になるから〝鉄屑の火葬場〟にも入れるようになる。手伝いやボランティアじゃなくて、ちゃんとした仕事もできるようになるし、この孤児院とだっておさらばできるんだ。何が言いたいかっていうと、君達の心配事は一週間後には綺麗サッパリなくなってるってことだ!」


 下層では十六歳になったら成人と認められ、独り立ちとなる。だが、殆どの子供達は手持ちの資金が厳しいので、決まった金額を孤児院に納めれば、二十歳まで共同生活を送ることもできるのだ。


「けど、誕生日はまだ先だよね? じゃあ、まだ出て行っちゃダメだよ! イグニスお兄ちゃんと離れ離れは寂しいもん……エダはまだ離れたくないなぁ……」


 エダは俺がいなくなった時の事を想像してしまったのか、瞬きをした途端、涙がポロポロと溢れ落ちた。隣にいるアイナも暗い表情に変わったのを見て、罪悪感を感じた俺は二人を優しく抱きしめ、両手で軽々と抱き上げる。急に地面から足が離れたので二人は小さな悲鳴をあげていたが、すぐに慣れた様子だった。


「今日はロイドとソフィアを連れて、ケンタウロスおじさんの所に行かなきゃいけないからな! お詫びに何かお菓子でも買ってきてやるよ!」


 俺の提案にアイナとエダの目がキラキラと輝き始めた。


「いいの!? じゃあ、アイナは大きなプリンがいい!」

「私はチョコレート! できれば白いやつ!」


 下層で食べ物を手に入れる場合、お金があれば困ることはない。しかし、プリンやチョコレートのような甘いお菓子は、闇市でしか売られていない高級品だった。


 しかし、俺はケンタウロスおじさんと知り合いというのもあって、他の人より融通を利かせてくれる。もし、上層に行けなかったら、孤児院を出てケンタウロスおじさんの元で働こうと考えていたのだ。


「よーし、わかった! じゃあ、今からロイドとソフィアも連れてお菓子を買いに行ってくるから、良い子にして待っててくれよ?」


 二人を地面に下ろすと、「はーい!」と元気良く返事をし、手を繋いで大木の方へ走って行った。俺はロイドとソフィアに向き直り、「寝坊して本当にごめん」と改めて頭を下げると、ロイドが眉を下げて許してくれた。


「僕は大丈夫。でも、よっぽど疲れてたんだね。肩を揺すったり、声をかけても白目を剥いたまま起きなかったんだ。そういえば、マリウス先生から炊き出しの話、聞いた?」

「あぁ、聞いてる。けど、先ずはビフレスト宇宙港へ行こうと思ってるんだ。俺が寝坊したせいで、ソフィアを待たせちゃってるしさ。その後、秘密基地に立ち寄って、闇市へ向かう順番で良いか?」


 俺の発言を聞いたロイドは強く頷いた。


「じゃあ、僕はマリウス先生に頼んで車を貸して欲しいって言ってくるよ。ついでに昨日集めた鉄屑も持ってくるね」

「あぁ、頼んだ」


 車と荷物を取りに向かったロイドに手を振り、今度は隣にいるソフィアを見やる。彼女は腕を組んだまま、遠くで遊んでいるアイナとエダのことを、ジーッと見ていたので、「おい、大丈夫か?」と声をかけると、彼女は目を丸くして驚いていた。


「あ……ごめんなさい。少し考え事をしてたの」

「いや、謝られることでもないからさ。あ、そうだ。俺の代わりに洗濯とか掃除もやってくれたって聞いた。本当にありがとな」

「別に大したことしてないわ。殆どロイド君がやってくれたから」


 ソフィアはサッと自分の手を後ろに隠したので、「どうした? 怪我でもしたのか?」と聞くと、「ううん、洗剤で少し手が荒れただけよ」とぶっきらぼうに答えた。


「それより、早くビフレスト宇宙港に行きましょう。運転はマリウス先生がしてくれるの?」

「いや、俺が運転するよ?」


 当然のように答えると、ソフィアは怪訝な顔になった。


「え、イグニス君が? 悪い冗談ね。貴方、さっき十五歳って言ってたじゃない? 今まで運転したことがあるの?」

「あぁ、何度かあるぜ。初めて運転したのは十二歳の時だ。マリウス先生から筋がいいって褒められた事があるから安心してくれ」


 俺が得意気に言うと、ソフィアはますます怪訝な顔になった。


「な、なんだよその顔は?」

「下層の人達って運転許可証は持ってないの? 例えば、上層ではこういうIDが発行されてたりするんだけど」


 ソフィアは腕に付けていたデバイスを起動させ、自分の顔写真入りのIDを表示させる。宙に浮かんだ半透明の画面にタッチすると、どこかの通行許可証や運転許可証が表示された。ズラリと並んでいる文字列を見るに、彼女はかなりの数の許可証をお持ちのようだ。


「運転許可証? 下層にそんなの存在しねぇよ。なんだよ、その許可証って――えっ!? ヴァルキリーに乗るにも許可証が必要なのか!?」


 俺は驚いた。まさか、ヴァルキリーを動かすにも許可証が必要だなんて、この下層では考えられなかったからだ。


「えぇ、マジかよ……。一級があるってことは、二級とかもあるわけ?」


 ブツブツと独り言を言いながら、ヴァルキリーパイロット〈一級〉という項目を凝視していると、ソフィアはデバイスの電源を落とした。


「当たり前でしょ。ここと違って上層は法律で細かく定められてるから、ヴァルキリーに乗るにも許可証が必要だし、別の宇宙船に移動する時も政府に申請しなきゃいけないのよ」

「え? じゃあ、今回みたいにソフィアが下層に行く時も申請が必要なのか?」

「勿論。けど、今回は申請してないわ。真面目に申請したところで、却下されるだけだもの」


 ソフィアが真面目なんだか、そうじゃないのか、よくわからなかったが、とりあえず自分の目的の為だったら、手段は選ばない奴なのかと俺は思った。


「ふーん。だから〝鉄屑の火葬場〟に降りてくるルートを辿ってきたんだな。あのさ、ずっと気になってたことがあるんだけど、ソフィアって家族とか友達に地球に行くって言ってるんだよな?」


 当たり前のように聞くと、ソフィアは急に押し黙ってしまった。それを見た俺は、誰にも言ってないなんて、正気かよ……と思いつつ、困ったように頭をガシガシと掻く。


「お節介かもしれないけどさ、ソフィアの家族は心配してるんじゃねぇか? 友達も上層にいるんだろ? 一言も相談せずに下層に来てもいいのかよ?」

「貴方には関係ないわ。私はこの宇宙船を抜け出して地球に行く、ただそれだけよ」


 ソフィアは俺から視線を逸らした。どうやら、この手の話題には触れて欲しくないらしい。急に会話をバッサリと切られてしまうと、何を話したらいいのかわからなくなってしまう。


(ソフィアの奴、この手の話題になると喋らなくなるよな。何かあったに違いないけど、俺は関係ないしなぁ……)


 俺自身、家族や友達にどれだけ助けられているか身に染みてわかっているので、ソフィアがこんなにも頑なに拒否反応を示す理由がわからなかった。


 モヤモヤしていた俺は意を決して、「あのさ!」と話を切り出す。


「確かに俺は関係はないけど! でも、やっぱり周りは心配すると思うぜ? 血の繋がってないアイナとエダだって、さっきみたいに俺のこと心配してくれるし。家族や友達は大切にしねぇと……」


 ソフィアの鋭く吊り上がった目を見て、言葉が詰まってしまった。心底鬱陶しそうな表情を向けられて気分が悪くなったが、俺はどうにか怒りを抑え込んだ。


(なんだよ、そんなに触れてほしくない話なのかよ。でも、そんな目で睨む必要ないじゃん……)


 それ以上、喋るなと訴えているのはすぐに理解した。けれど、人からそんな目付きで睨まれた経験がなかったので、暫く黙り込んでいると、ソフィアは俺を見下すように、フンと鼻で笑った。


「いいわね、周りが良い人間に恵まれてる人は。助けてって言えば助けてもらえて、何も考えず呑気に平和に暮らしていけるんだもの」

「はぁ? なんだよ、その言い方……」

「そのままの意味よ。下層の人は何も考えず、気楽に一生を終えればいいわ。その方がよ」


 そう言って、ソフィアはそっぽを向いてしまった。


 最後の台詞がなんだか意味深だったが、癪に触る言い方だったので無性に悔しくなって、俺は拳が震え出す。


(くっそぉぉぉぉ! ソフィアの奴、性格悪くねぇか!? アイツ、ぜってぇ友達いねぇだろ!? だから、誰にも地球へ行くって言ってねぇんだろ!? めちゃくちゃ美人だけど自分勝手だし、あんなんじゃ周りからモテねーよ!)


 ソフィアのツンとした態度を見て、「あっそ。なら、勝手にしろ」と吐き捨てた俺は、身体ごとそっぽを向いて知らんぷりをした。

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