第13話 さらば、織田兄弟

 弘治3年(1557年)、尾張国。


 昨年、謀反の罪をゆるされた織田信勝は改心したのか時折、兄・信長のいる清洲城を訪れるようになり、そこで紹介された沢彦宗恩たくげんそうおん和尚と共に政秀寺せいしゅうじにて稲生いのうの戦いで、死んでいった者たちを弔う穏やかな日々を過ごしていた。


 一方、謎の僧侶の一員で家臣の津々木つづき蔵人くらんどとして末森城へ潜入しているクラウドは、信勝を利用して再び謀反を起こす任務遂行のため、形式的な尾張国守護の地位である斯波義銀しばよしかねに接触していた。それだけでなく隠居した元家老の林秀貞を通じて駿河の今川義元にも密書を送っていた。


 ◆◇◆◇◆


 尾張国・津島神社。


 織田信勝は津々木蔵人に導かれ、斯波義銀と対面していた。

 

 義銀は、初めこそ清洲城の本丸を与えられていたが、いまではここ津島神社で幽閉状態にされ、不満を募らせていた。


「ノブナガの奴。いつまで予をここに閉じ込めておくつもりなのじゃ。予はのぉう、守護は守護らしく清州の城で、尾張の国を治めたいのじゃ」


「はあ?……で、私に何をしろと!」


 最近では沢彦和尚に触れ、性格も穏やかになり、言葉遣いも丁寧になっていたが、義銀の愚痴に対して信勝は、強い口調で問い掛けてしまった。


「信勝様、恐れ多くも守護様のお話です……ぞ」


 すかさず、蔵人がたしなめた。


「まあよい。実はのぉう……」


 義銀が手招きしたので、信勝は素直に従い近づいた。


「ノブナガを懲らしめようと考えているのじゃ。それで、信勝に手を貸してもらいたいのじゃが……」


「懲らしめる──再び謀反を起こせと?」


「まあ、そういうことじゃが──この度は規模が違うのじゃ、規模が」


 そこまで言って、蔵人が話を引き取った。


「すでに守護様と駿河・今川様のお陰で、岩倉織田家、三河・吉良家のお力添えを得られました。さらに美濃の斎藤義龍様にも書状を出し、お返事を待っているところでございます」


 尾張国は8つの郡から成り立ち、そのうち4郡を支配しているのが岩倉織田家である。そして隣国である三河の吉良家は駿河国の今川家に臣従している。


「これらの勢力で攻めればノブナガなぞ、ひとたまりもないわ! どうじゃ手を貸す気になったじゃろう」


 得意げな義銀の前で、それらの勢力が水面下で動いていることを知った以上、もう後戻りはできないと考え、信勝は渋々ながら同意した。


「……わ、わかり申した」


「よし、これで決まりじゃ! 信勝は頼りになるのう」


 義銀は、信勝の肩を叩き──背後では、蔵人が不敵な笑みを浮かべていた。


 ◆◇◆◇◆


 尾張国、清洲城。


 ノブは、柴田勝家から『信勝が再び謀反の動きあり』という報告を聞いていた。


「そうか。義銀の圧力に負けたか……信勝も辛いなぁ」


「はい。しかも龍泉寺に城を築いているとの噂もございます。裏で家臣の津々木蔵人と駿河・今川の策略かと……」


「ああ。いま城を築かれて、今川に出てこられると厄介だな──ところで勝家、『津々木蔵人』とは何者なんだ?」


「はあ……それが突然、末森城に現れて、いつの間にか信勝様に取り入り側近になっていたので、それ以上のことはわかりませぬ」


「そうか……そいつも厄介だな」


 勝家を下がらせてから、ノブは謀反のことを信長に報告するか迷っていた。最近の信長は再び体調を崩し、ずっと床に臥す日が続いていたからだ。しかし身内の問題でもあり、正直に話すことを決心して、信長のいる寝室に向かった──。


「そうですか……ついに、この時が来ましたか」


「ああ。でも、本当にやるのか?」


「はい。この流れを止めるには、あの方法しかありません。それに──もう、時間もありませんし……」


 信長は布団に横たわったままだったが、毅然とした口調で答えた。


「……わかったよ。オレは見届けられないが、後のことは任せろ」


「ありがとうございます」


 ふたりは、どちらともなく固い握手を交わした。


 ◆◇◆◇◆   


 信長が病で床に臥し、重篤な状態との知らせを受け、信勝は津々木蔵人を連れて、清洲城を訪れた。


 そして信勝は覚悟を決め寝室に入ると──信長は茶をたてて待っていた。


「兄上。起きていてよろしいのですか?」


「まずは、茶を飲んでゆきなさい」


 信勝は一呼吸してから信長の前に座り、差し出された茶をゆっくりと飲み干した。それからは、ふたりとも会話をせずに静かな時間だけが過ぎていった……。


 しばらくしてヤシュケス(弥助)が静かに入ってくると、それが合図のように信長が口を開いた。


「……さらばだ。信勝よ」


「……さらばです。兄上」


 信長が脇差を抜いた。


 信勝は、その鋭く光る刃をただずっと眺めていた──それが信勝の見た最期の光景だった……。


 一方、津々木蔵人はノブがいる大広間へと案内されていた。


「オマエが『津々木蔵人』か」


「ははっ……お初にお目にかかりまする。『津々木蔵人』と申す者でございまする」


「ほぉう。この時代の言葉遣いができるとは驚きだな。だが──その言葉遣い、少し間違ってるぞ」


「…………⁉」


 ノブは、蔵人が自分と同じくタイムスリップしてきた者なのか疑い、カマをかけてみたが、さすがにボロを出さなかった。


 それからはお互い対峙したままでいたが、やがてヤシュケス(弥助)が現れると、その場の空気が緊張に変わった。


「終わった……」


 そう言ってヤシュケス(弥助)は持っていた遺髪を渡した。


 ノブは、それを手に取ると静かに目を閉じ、そして覚悟を決め再び目を開けたとき、不敵な笑みを浮かべている蔵人に向かって遺髪を見せた。


「これは、オマエの殿様の遺髪だ!」


 同時にノブは、懐に隠してあったピストルを取り出そうとした。しかし蔵人の方が一瞬速く、手に持っていたカプセルのようなものを潰した。


 すると、周囲に甘い香りが広がり、その匂いを嗅いだノブとヤシュケス(弥助)は動けなくなってしまい──その隙に蔵人はあざけるような笑みを見せて、その場から逃げていった。


 ◆◇◆◇◆


 数日後、政秀寺。


 ノブは、ここ政秀寺で法要を済ませたところであった。そこには頭を丸めて、出家したタク(沢彦)が静かに立っていた。


「なあ。本当に清州城で暮らさないのか?」


「はい。私はここで『僧の沢彦』として菩提を弔いながら、生きてゆくことにしました」


「そうか……オマエが決めたのなら、文句は言わないが」


「それに、『家臣の沢彦』として城へはいつでも行けますしね」


「ハハハ、それもそうだな。じゃあ──よろしくな『タク』」


「こちらこそ、よろしくお願いします。『ノブナガ様』」


 ノブは笑いながら、蒼天の空を見上げると、ふと信長の懐かしい言葉が蘇ってきた。彼はかつて、ノブにこう話したことがあった。


“貴方が立派な当主になったら、私は出家して僧侶となって生きるつもりでいます”


(オレは立派な当主になっているのかなぁ……)


 そんなことを思っていると、隣にいたタクから印章(はんこ)を手渡された。


「私はもう、織田の名を捨てた者なので、これを信長の形見として、お渡ししておきます。貴方が尾張を統一して『天下』を視野に入れたとき、使ってください」


 渡された印章は、印面が楕円形で『天下布武』と彫刻が施され、ノブはその刻まれた文字を、じっと見つめていた……。


 こうして、正統に『織田弾正忠だんじょうのじょう家』を名乗る者は表舞台から消え、ノブはこの日から『ノブナガ』として独り立ちすることになる──ノブナガは、まだ尾張国を統一できていない。

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