第20話 リーナと森の魔獣


リーナは、真っ暗な森の中を彷徨っていた。

多少は目が慣れてきたとはいえ、この森の闇は深過ぎて足元すらもまともに見えなかった。


先ほどまでは前をいくダイン(に扮したゴブリン)の気配を頼りに歩を進めていたが、もはやその時に進んでいた方角がどちらだったのかすらわからなくなっていた。


ふと空を見上げると、木々の間からほんの少しだけ雲が見えた。

その雲が、赤く燃えていた。


森が燃え、その光をかすかに反射している。


「……」


リーナは背中のシルフィアを少し持ち上げると、その炎とは逆の方へと歩き出した。



→→→→→



そのままどれくらいの時間歩き続けたのだろうか?

一時間? それとも三十分?

その時間は、リーナにとって数日ほどに長く感じられた。


そしてふと、リーナは立ち止った。


そもそもの話だが、敵をいた今、あの場所から移動する必要があったのだろうか?


ダインがあの場所を把握していれば、再びゴブリンを送り込んできたかもしれない。

だが、リーナがあの場所を離れてしまったらもう、ダインはリーナのことをそうそう簡単には見つけられはしないだろう。


もしかしたら、シルフィアと共にあの場にとどまってどこかに身を隠していた方が良かったのかもしれない。


「……」


不意に、どこからか獣の遠吠えが聞こえた。


リーナは心臓が握り潰されるような感覚を覚えた。

不安で不安で仕方がなかった。


今までの生活は、とんでもなく恵まれていた。


あーだこーだと好き放題にわめきちらしていても、結局は周りがそれなりのことをしてもてなしてくれた。

口やかましく騒ぎたてているだけで、大抵のことはなんとかなった。


でも今は、どうにもならない。

リーナの行動が、そのままリーナとシルフィアの生死に直結するような状況下にあって、リーナにできることはあまりにも少なかった。


リーナは自分が選んだ行動に自信が持てなかった。

間違えたのではないかという気持ちに、心が押しつぶされそうになっていた。


ふと目に入った大樹の根元に、穴のようなものが見えた。


ここに入って、助けを待とう。

ここでシルフィアが目を覚ますまで隠れていよう。


そうしてリーナはその穴に足を踏み入れた。


その瞬間。


「きゃっ!」


奥から無数の四足魔獣が飛び出してきたのだった。


「ひっ……」


リーナは、また間違えた。


紅く、怪しく光る数十対の目がリーナを見つめている。

穴から飛び出した魔獣達によって、リーナとシルフィアは取り囲まれていた。


ああ、もうダメだ。

こんな数の魔獣に襲われて、生き残れるはずがない。

噛まれたらきっと、痛いんだろうな……


「ねぇ、お姉ちゃん……。起きてよ……」


リーナは、背中のシルフィアに向かって呼びかけた。


「起きてよ! 起きてよ!!」


だんだんと声が大きくなり、その身体を荒々しく揺さぶった。

たがそれでも、シルフィアは目を覚まさなかった。


シルフィアの精神と身体には、あまりにも大きなダメージが蓄積されていた。

敵の転移陣を通過したことによる転移酔いから始まり、高速の白翼竜はくよくりゅうの緻密な操作、そして雷蛇らいだの雷撃の連発と、計五回にもわたる絶鬼ぜつきの召喚。


体調不良の中全力で召喚術を使い続け、シルフィアは心身ともに限界を超えていた。


「起きてよぉ……」


リーナの涙声が、森に響いた。


ガガウッ!!


「ひっ……」


魔獣の威嚇の声で、リーナが後退った。

そしてつまずいた。


リーナの背から、シルフィアの身体が滑り落ちる。


風が吹き、魔獣がスンスンと鼻を鳴らす音があたりに響いていた。


匂いを嗅いでるの?

……血の匂いを?

お姉ちゃんの手や身体にべっとりとついている、血の匂いを?


魔獣は血の匂いが好き?

それじゃあ、血の匂いのする方に寄っていく?


「……」


リーナの傍のシルフィアからは、リーナにすらわかるほどに強い血臭がしていた。

魔獣はその匂いに興奮し、ハァハァと荒い息を吐いている。


魔獣の目がシルフィアを捉えた

そして一斉に身構え、飛びかかった。


リーナがこの場を逃げるのならば、これは千載一遇のチャンスだろう。

魔獣達が狙いを定めいているのは、すでに血みどろになっているシルフィアなのだ。


気が付けば、リーナは飛び出していた。


飛び出して……

シルフィアの身体に覆い被さっていた。


シルフィアを、魔獣達の牙から守るため。


そんなリーナの身体に、全方位から魔獣の牙が突き立てられる。


「いっ……、っ!!」


痛い……、痛い……

それでも、恐怖で声すら出なかった。


ガギリ、と魔獣の牙がさらに食い込み、それと同時にさらなる激痛がリーナを襲った。


「ひっ、いっ! あっ、ぎぃッ! はっ、はぐぅぅっ!!」


複数の魔獣の牙で前後左右から無茶苦茶に引っ張られ、それにより牙がさらに食い込んでくる


痛みで、脳がスパークして意識が吹き飛んだ。

感覚が急速に遠のいていく中、もしかしたらこれが自分の最期の瞬間なんじゃないかと思った。


だが、次の瞬間には思い切り身体を引っ張られて再び目が覚めた。


魔獣によって、シルフィアから引き剥がされた。

そのままリーナは仰向けに投げ出された。


何体もの魔獣に取り囲まれて、柔らかい腹を彼らの方に向けている。

リーナは今、皿に盛り付けられたご馳走になっていた。


リーナの柔らかい腹の肉に、飢えた魔獣が齧り付く。

もしかして、このまま……?

このまま、喰われるの?

意識があるまま、自分が喰われるところを見てなきゃならないの?


呼吸が止まり、叫びたいのに叫べない。

発狂しそうな恐怖の、そのやり場はどこにもなかった。


次に、喉。

ああ、もうどうせなら一思いに噛み砕いて死なせて欲しい。

もうこれ以上怖くしないで欲しい。


すぐ隣にいるはずのシルフィアも、リーナと同じように魔獣に取り囲まれてその姿が見えなくなっていた。


私なんかを助けにきたせいで……

ごめんねお姉ちゃん。


ダインはどうなったのかな?

私と同じ落ちこぼれだし、もう死んじゃったかな?


どうしてこんなことになったんだろう?

ついさっきまでは『結婚』だの『婚約』だの、そんなことが人生の全てだった。

ギースのことだとか、お姉ちゃんへの嫉妬だとか、そんなことばかりが心の大部分を占めていた。


それなのに……


今はもう、生きるか死ぬかという話になっている。

身体中噛みつかれて、血とかもいっぱい出てて……


怖い。

とにかく怖い。


でも……

そう言えばお姉ちゃんもお父様も、いつもこんなことしてたんだよね?


父の戦場での活躍を、リーナはよく他人から聞かされた。

貴族だなんだと囃し立てられ、広いお屋敷で綺麗なドレスを着て踏ん反り返っていたリーナの暮らしは……

父が死臭のする戦場に立ち続けて手に入れたものだった。


どうしてこんなことになったんだろう?

なんで、私は今、魔獣に噛みつかれて喰われかけているんだろう?


「……なんでだろう?」


そして、リーナは不意に理解した。


なんでって……

それはもちろん、この世界が元々そう・・だったからだ。


王都の中央に位置する貴族街にいては、魔獣などそうそう見かける機会はない。

せいぜい魔獣使いに飼いならされたされた魔獣を、見世物小屋か闘技場で見かけるくらいだ。


だが、ひとたび王都を出れば魔獣などはどこにでもいるものだ。

簡易な防御柵しかないようなさびれた村では、魔獣に村の中まで入り込まれるようなことも日常茶飯事だった。


今まで、たまたま見る機会がなかったモノ達が、ほんのちょっとしたことがきっかけでリーナの前に姿を現した。


ただ、それだけのことだった。


街を一歩でも出れば、そこは弱肉強食の世界。

戦わなければ生き残れない。


いや……

街の外だけじゃない。

街の中だって、本当はそうなのだ。


だからこそ……

シルフィアは戦っていた。

そして、ダインも戦う事を選んだのだった。


「ほんと……、バッカみたい」


その時、リーナの両手から風の魔術が発現した

風が渦を巻き、リーナに喰らい付いていた魔獣達の身体を斬り裂いた。


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