第18話 一対一の死闘①
剣士の斬撃で、瞬く間にダインのゴブリンが斬り捨てられていく。
それに対して、ゴブリンからの攻撃は全くと言っていいほど剣士には届いていなかった。
素手で召喚されるゴブリンに出来る有効な攻撃は、『引っ掻く』か『噛みつく』か『組み付く』かのいずれかだ。
『引っ掻き』はリーチが長く素早く繰り出すことができるが殺傷能力は低めだ。
対して『噛みつき』はリーチが短く身体ごと敵の懐まで入り込まなくては繰り出せないが、その分威力は高い。
そして、一度食らいつけばそのまま足止めの効果もある。
だが、そのどれもがそもそも当たらなければ意味はなかった。
斬られるのには、徐々に慣れてきた。
多少のダメージフィードバックはあるが、意識を切り離すタイミングさえ間違わなければ本体に致命傷を負うようなこともない。
それは、ダインがこの境地において掴み取った『命を繋ぐ感覚』だった。
召喚術の研究史を顧みても、その領域にまで至った召喚術士は片手で数えられるほどだ。
召喚体への意識転写の技能において、ダインの技術はすでにシルフィアを大きく上回っていた。
それがどれほどの才能と努力とセンスを必要とすることなのか、ダインは理解していなかった。
ただただ、必死なだけだった。
噛みつきながら引っ掻いて、引っ掻きながら飛びかかる。
森を走りながら召喚陣から這いずり出して、立ち止まりながら牙を突き出した。
同時召喚している召喚体はすでに五十を超え、常に十体以上で連携をとりながら剣士に攻撃を加え続けている。
それでも……
「まだ……、足りないのか……」
いつしか、剣士の周囲をぐるりと取り囲むようにして、十数枚の召喚陣が展開されていた。
それでも、まだ足りない。
あの剣士には手が届かない。
「……くっ!」
ダインは召喚陣をさらに五枚増やした。
それを見た剣士の目に、驚きと焦りの色が浮かんでいた。
→→→→→
ありえない。
剣士は動揺していた。
これほどの数の召喚陣を同時展開するなど、ありえない。
召喚とは、並の術師であれば日に十数回行うのが精一杯のはずだ。
時間もかかり、連発もきかず、消耗も激しい。
そんな、あまりにも非効率な魔術のはず……
それがどうだ?
目の前の少年は、数回どころかすでに数百回の召喚を行ってる。
そもそもこいつは今、一体何体の召喚体を同時に操っている?
その数は、剣士に見えているだけでも三十体を越えていた。
しかも、それらは全てハッタリの肉人形などではない。
その全てが動き、勝利のためになんらかの行動をとっていた。
前線に出て飛びかかってくるゴブリンの他、少し後ろに控えて、剣士が移動する瞬間を待ち構えているゴブリンもかなりいる。
誘いに乗って下手に本体を狙えば、その瞬間に待ち構えていたゴブリン達が一斉に踊りかかってくるだろうというのがわかる。
この戦場には、すでに何重にも罠が張り巡らされており、それは剣士の動きに合わせて流動的に変化した。
ありえない。
これほどの数の召喚体を同時に操れる召喚術士など、聞いたことがない。
召喚術士など、品数だけの曲芸師のような存在のはず。
通常魔術の才がなかった落ちこぼれが、妄想を鍛えることで習得する馬鹿げた逃げ道。
少なくとも、剣士の認識はそうだった。
だが、今目の前にいる術士の術は、明らかに違った。
これを曲芸などという言葉で断ずるのは、あまりにも的外れだった。
一体一体は敵ではない。
現に今も次々と斬り捨てている。
だが……
「っ!!」
ゴブリンの爪が、剣士の袖口を掠めた。
攻撃に加わるゴブリンの動きは常に連携している。
しかも、その精度が徐々に……だか確実に向上してきている。
まるで、集団戦法を学んだ熟練の騎士団を相手にしているような錯覚に陥った。
左右同時に飛びかかってきたと思ったら、一瞬遅れて前後からの追撃が来る。
その次の瞬間にはまた別の角度から……
凄まじい精度の波状攻撃。
何体斬っても終わりが見えない。
「なんなのだ!? なんなのだ、貴様は!?」
黒い剣士の怒声が、森の中に響き渡った。
いつの間にか、剣士の周囲にはゴブリンが満ち、まるで巨大な黒い魔獣の胎内にいるかのようだった。
敵の、手中。
あまりにも深みにハマり、もはや簡単に抜け出すことは叶わない。
「なんなんだこの術は!?」
剣を振るう。
同時に五体のゴブリンを斬り裂いた。
もう百体以上は殺してる。
これが戦争ならば、もう百人斬りの英雄だ。
だが……
今、敵はたったの一人。
たった一人の少年だった。
たった一人の召喚術師だった。
これは、一対一の戦いなのだ。
その、たったの一人に……
どうしてもこの
「くっ!」
斬る。斬る。斬る。
斬って、斬って、斬りまくる。
それでもなお、敵の召喚体は次々と召喚陣から湧いてくる。
その召喚陣もまた、破壊したそばから新たに補充されていく。
『ゴブリンは、一匹見たら二十匹』
最弱の魔物として蔑まれていたゴブリンだが、その繁殖力だけは脅威とされていた。
一匹では大したことができないゴブリンは、群れとなって街や村を襲う。
ゴブリンの討伐は、駆け出しの冒険者パーティーが受けるCランクの依頼だが、その生還率は80%前後だ。
つまり、十人に二人の冒険者は、その
運悪く数が増えたゴブリンの巣穴に当たれば、駆け出しのパーティーなどは瞬く間に壊滅してしまう。
依頼の遂行者に死人が出れば、その依頼は上のランクへと格上げされる。
ゴブリンは最弱の魔物。
だが、決して侮っていい相手ではなかった。
斬る。斬る。斬る。
前に出る。
それと同時に背後からの殺気を感じ、振り返り様に剣を薙ぎ払った。
斬る。斬る。
そのそばから、ゴブリンはさらに増えていく。
どこで間違えた?
何を間違った?
なぜ俺が押されてる?
そもそもこの場所で戦い始めた時から、ダインの周りには数十体のゴブリンがいた。
そこにいたのが数体程度のゴブリンであれば、補充されるより先に全て斬り倒し、そのまま
だが、そうはならなかった。
ダインは追っ手から逃げ続けてながら次々と召喚陣を展開し、次々と召喚体を召喚していっていた。
そして剣士はその陣と召喚体を破壊しながら前に進んでいった。
その時に、陣から出てきた全てのゴブリンを破壊したかどうかなどまでは気にしていなかった。
目の前の目標を追いかけることを優先して、そこを怠っていた。
ダインは備えていた。
自らが優位に立って戦えるようにと、戦いの前からその場を整えていた。
「それもまた、やつの術中だった……というわけか?」
剣士の視線の先で、ダインがまた移動した。
常に安全な距離を保ちながら、焦点の定まらない目で剣士の動きを観察している。
そこまでは一足で跳べる距離ではない。
この召喚術士は、剣士の間合いを理解している。
そしてふと、剣士は理解した。
この術士は、剣術を理解している。
扱う術は召喚術に違いない。
だが、その術から繰り出されるこの戦い方は、明らかに剣士の戦い方だった。
技を組み上げ、剣を振らせ、隙をつく。
勝利の一手を目指し、幾重にも技を積み上げていく。
この相手の戦術の根幹は
『剣』の代わりに、『ゴブリン』を使って斬撃を繰り出してくる。
ならば何体斬り倒そうが、それは剣を撃ち合っているのと同じことだった。
「ありえない……」
ならば、それは余計にありえないことだった。
傭兵剣士として数々の戦場を渡り歩いてきたこの俺が、あんな小僧に押されている?
剣の手数で、押し負けつつある?
かつては剣聖の候補者としてこの名が上がったこともある俺が……
こんな小僧の術中にはまり、無様に消耗戦を強いられているだと?
敵が剣士であれば尚のこと、それは絶対に許されざることだった。
「ありえない……」
剣士は再びそう呟いた。
そうしている間にも、ゴブリンの数はどんどん増え続けている。
「ありえない……」
剣士の斬撃が加速して、それに合わせてゴブリンの連携精度がさらに上がっていく。
徐々に、だが確実に……
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