第17話 逃げた先

薄暗い森の中を、リーナはひたすらに走っていた。

手は後ろで縛られたままだし、暗がりで足元が見えづらく、度々森の凹凸にや木の根に足を取られた。


そうして走るうち、いつの間にか背後からは追っ手の気配が消えていた。

だが、走ることに必死なリーナは、そのことには気づいていなかった。


前を走るダインは速度を緩めず、リーナから一定の距離を開けながら走り続けていた。

暗い森の中、全神経を集中して耳を澄ませていなければ、前を行くダインをすぐにでも見失ってしまいそうだった。


そんなダインの背には、シルフィアが背負われている。


……いいなぁ。


なんとなくそんな考えが頭をよぎった。


その時……


「あっ!」


リーナは再び木の根に足を取られてつまずいた。

その瞬間、並走していた二体のゴブリンが横からリーナを支えた。


ゴワゴワしたゴブリンの手。

爪が皮膚に引っかかって、ちょっと痛かった。


「ちょっとダイン。どさくさに紛れて変なところ触らないでくれる? 召喚体このゴブリンって、あんたと感覚が繋がってるんでしょ?」


なによ。

こんな時にもお姉ちゃんばっかり……

お姉ちゃんはダインが自分で担いで、私はゴブリンで十分ってわけね。


でも……

お姉ちゃんはみんなに好かれている。

私とは全違う。

だから対応が違うのは、当たり前と言えば当たり前なんだよね。


リーナも、本当はシルフィアが好きだった。


こんな場所まで、命懸けで助けに来てくれるほどに自分を想ってくれている相手を、心から嫌いになれるはずがなかった。


ダインがシルフィアを好きになる気持ちも、よくわかってしまう。

だからこそその感情が、リーナの心をさらに掻き乱すのだった。


「ご、ごめん」


右のゴブリンが応えた。

このゴブリンは、見た目はゴブリンなのに声がダインだ。


シルフィアの白翼竜はくよくりゅうなどとは違い、喉の構造がダインと同じになっているらしい。


「まぁ、いいわよ。……助けに来てくれたし。今だけは特別に許してあげる。胸でも足でも、触りたければ好きなだけ触りなさいよ」


「いや……、それは……」


「ふん! 冗談に決まってるでしょ!?」


リーナはよく、頭で考えてることとは真逆のをことを口走ってしまうことがある。

でも今日は、ちょっとだけ素直になれている気がする。


疲れているせいかな?


そのまま、リーナ達は再び足早に歩き出した。



→→→→→



「そろそろ、かな」


リーナの前方で、不意にダインが立ち止まった。


「ごめん、リーナ。今からなんとかしてその腕の縄を切るから、シルフィアさんのことをお願いできる?」


「……どういう意味よ?」


「こういう意味だよ」


リーナの前で、シルフィアを担いでいたダインが振り返った。

そして、リーナの方へと近づいてきた。


先程まで暗がりで輪郭しか見えなかったその姿は……

ダインではなくゴブリンだった。


「……え?」


「また、一生分呪われちゃうかな……?」


「う、嘘っ!?」


ガバッという音がしそうな勢いで、リーナが周囲を見渡した。


「いつの間にか入れ替わったのよ!? ダ、ダイン……。あなた今、本当はどこにいるの?」


リーナ達はこれまで、かなりの距離を走ってきた。

すでに、あの洞窟からはそれなりの距離を離れたはずだった。


周囲には夜の森の息遣い以外、何も音はない。

ざわざわと流れる風の音に混じり、どこか遠くから人か魔獣が判別のつかないような鳴き声が聞こえた。


「ここは魔獣の領域だ。これまで魔獣と出くわさなかったのは幸運と言うほかないけれど、この先もそうなるとは限らない」


ダインはリーナの問いには応えず、まずは自分の伝えたいことを伝えた。


「無茶を言ってるのは承知の上なんだけど、なんとかシルフィアさんが起きるまで……戦って、生き延びてほしいんだ。シルフィアさんは、いつもリーナのことを気にかけてたよ」


「ダイン……、ダインは今何してるの? さっき追ってきていた敵は?」


「その敵は今、僕の目の前にいる。これから、僕は出来る限りこいつの足止めをしないといけない。お互い生き残れたら……、またあとでね」


そう言ってリーナの魔縄を噛みちぎったダインのゴブリンが、反魔の術式をまともに受けて弾け飛んだ。

そして、そのまま糸の切れた人形のように動かなくなった。


食いちぎられたリーナの手縄が、ハラリと地面に落ちる。


「大丈夫」

「僕に出来たんだからリーナにだって出来るよ」

「シルフィアさんのこと、頼んだよ」

「ごめん、もう時間がない」

「戦わないと……」


残り二体のゴブリンが交互に喋った後、同時にパタリと倒れた。


ダインが自ら意識を切り離したのだ。


召喚術士との繋がりが完全に途切れた召喚体は、放っておけばそのまま魔力の塊となって大気の中へと消えていく。


召喚術士が生み出した召喚体の本質は、火の魔術などと変わらない。

世界を欺いて構築された、ただの魔力の塊だった。


「ちょっと、ダイン!? 嘘でしょ!? こんな場所で、私一人でどうしろって言うのよっ!!」


そうして、リーナは気絶しているシルフィアと二人きり、暗い森に取り残されたのだった。


「なんでよ……、なんでみんな私のこと……」


『四属性持ち』というリーナの才能が明らかとなった時、父だけでなく周囲の様々な大人達がリーナをチヤホヤした。

数々の式典などに呼ばれてその力を披露する機会を与えられ、その度にとてつもない賞賛を浴びた。


そして、リーナはいつしか与えられることに慣れきっていた。


だが、リーナの才能がハリボテだと知れ、リーナから与えられるものがなにもないとわかると、ほとんどの大人リーナの周りから去っていった。

父も、リーナへの興味を失った。


「無理に決まってるでしょ……。どうせ、私なんか……」


そう言って唇を噛んだリーナの目に、気絶しているシルフィアの姿が飛び込んできた。


誰もがリーナの元を去っていく中、なぜかこの姉だけはいつまでも変わらずにリーナのそばにいた。


「う……、うぅ……。だから言ったじゃない。私なんか助けにきて、お姉ちゃんまで死んじゃったらどうするのよ! 本当に、バッカみたい……」


リーナが鼻高々になっている頃は、とにかく姉はウザかった。

立場が逆転した今となっては、いつでも見下されているような気がして見るたびにイライラしてしまった。


「ウザいウザいウザい! 本当に馬鹿すぎて呆れちゃうわよ!」


リーナはもらうことばかりを考えていた。

愛情を、興味を、行動を……

いつもいつでも、欲しい欲しいと渇望していた。


そして、いざそれがいつも姉から与えられていたのだと気づいた時には、大いに戸惑い『そうじゃない』『これは違う』などと心の中で騒ぎ立てていた。

そんな、ただのわがままな子供だった。


命を賭けて、リーナのことを助けにきてくれたシルフィア。

そのシルフィアを『頼む』と言ってきたダイン。


みんな、他人のことばかりを考えている。


彼らは与えるとか、与えられるとか、そんなことはあまり考えていないような気がする。

ただただ、目の前のことに必死なだけだった。


『シルフィアさんは、いつもリーナのことを気にかけてたよ』


『シルフィアさんのこと、頼んだよ』


「バッカみたい……」


そう呟き、リーナはシルフィアの身体を抱き上げた。

その身体は、リーナが想像していたよりもずっとずっと軽かった。


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