第15話 涙②

リーナ記憶の中のダインの顔は、怒りに満ちていた。

その時のダインは、リーナのために怒っていた。


『リーナの気持ちを、もっと考えてみろよっ!』


ダインはリーナのために、ギースに向かって全力で怒っていた。

それこそ、我を忘れるほどに怒っていた。


その時のことを思い出すと、なぜか胸が高鳴り、心が躍った。

そして、こんな状況にもかかわらずリーナの頬は緩んでしまったのだった。


「その表情は、諦めですか? ふふふ。そう、お前は無価値なのデスよ!?」


先ほどまではグサリと心に突き刺さった司祭のその言葉。

だが、今のリーナにはなぜだか滑稽に聞こえた。


「それで? だからなに?」


「ふふ、無価値!」


「だから、それがなに?」


「無価値なのだ!!」


「それで……?」


「いや、その……。無価値……」


「……で?」


「あ、いや。だから、つまるところ、お前の存在は無価値で……」


「だ・か・ら?」


「いや、ええと……」


つい一時間前のリーナなら、もしかしたら本当にこの司祭の言葉でそのままどん底まで心が沈んでいってしまったかもしれない。


でも……


今は、ダインの存在がその心をつなぎとめていた。


自分のことを、一人の人間として認めてくれる人がいた。

自分のために、あんなにも怒ってくれる人がいた。

そう思うでだけで、こんなにも気持ちが変わる。

いつの間にか、リーナには世界が少しだけ違って見えていた。


あれ、私……

もしかしてダインのこと気になってる?

って言うか、好き?


「ダインくんは凄いのよ。二十体もの召喚体を同時に操れるの。どうやってそんなにたくさんの召喚体に同時に意識を転写しているのかとか、本人すらもよくわかってないみたいなんだけど……彼、たぶんその点にかけては天才よ」


「でも、あいつって結局ゴブリンしか召喚できないんでしょ? そりゃ、お姉ちゃんの白翼竜や雷蛇が何十体もいたら確かにとんでもないことだと思うけどさ……ゴブリンがそんなにたくさんいても大したことできなくない?」


「術と頭は使いようよ。何が『できない』のかじゃなくて、何が『できる』のかに目を向けるべきなの。実際ダインくんが凄いのは、そういう才能よりもむしろそこのところをちゃんとわかっているってところ。ゴブリンという自分の手札で、何かできることがないかっていつも色々と試してる。彼は心が強い子よ。たぶん、リーナも一緒で……」


「またお説教? なんか、それムカつく。私、お姉ちゃんのそういうところが大っ嫌い!」


「あはは、相変わらず嫌われちゃってるわねぇ」


「ふんっ、だ」


ああそうか……

ダインにとってのお姉ちゃんって、きっとそういう存在だったんだ。


自分を認めてくれる人がいる。

だからダインは、お姉ちゃんのことが大好きだったんだ。


ちゃんと自分のことを見てくれる人。

私も……結婚するならそういう人がいいな。


でも、もうダメか……。


リーナはもう、ここから生きては帰れない。

そう思っていた。


「まぁ、いいでしょう。あなたがどこに希望を持とうが、私の知った事ではありません。重要なのは、あなたがエサであり生贄であるいうその事実のみなのデス。さぁ、そろそろその減らず口を封じてあげまショウか……」


リーナを攫った司祭は、自らを『冥界崇拝者』と名乗った。

その集団は、リーナも名前くらいは聞いたことがあった。

彼らの目的は、生きながらにして冥界の底に行き、そこにいるとされている彼らの神に会うことだ。


だが、生きながらにして冥界死後の世界に落ちることなどできるはずがない。

そんな方法は確立されていない。


そのため、彼らは捕らえた人間に対して様々な禁忌の魔術実験を繰り返し、様々な方法で冥界に落とし殺しているという。

それこそが、彼らが神をあがめ、神に近づくための方法なのだった。

そんな集団に捕まって、生きて帰れるはずがなかった。


「私を、殺すつもり?」


「殺すなんてとんでもない。あなたは我々が尊き方に会うための導き手となっていただきたいのです。どうか先に逝って、我々のための灯火となっていただきたい」


「……最悪ね。それって殺すってことじゃない」


こんなことになるんなら……

ダインとの婚約……

そのままにしておけばよかったな。


むしろあのまま結婚しておけば良かったかも。

でも、この司祭に立会人になられるのは勘弁かな。


ナイフを持った司祭が、一歩ずつリーナへと近づいてきた。

そのナイフには、なにやら怪しげな文様が刻まれている。


「さて、少しばかり外が騒がしくなってきましたね。どうやらもう時間がありません。その減らず口が、二度と開かないようにして差し上げまショウ」


そう言って、司祭シルマがナイフを振り上げた。



→→→→→



リーナは目を瞑り、痛みに備えた。

やるなら一撃でやってほしい。


いつまでも痛いのだとか、苦しいのだとかは勘弁だった。


だが、その痛みはいつまで経っても来なかった。


恐る恐る目を開けたリーナの目の前で、ナイフを振り上げたままの司祭が洞窟の入り口の方を気にしていた。


そして……

突然、司祭が左手をかざして防衛魔法陣を展開した。


その直後、司祭の魔法陣に激しい雷撃がぶつかって弾けたのだった。


「くっ……、なんたる威力!」


防衛魔法陣が一瞬で砕け散り、司祭が身体ごと後方へと吹っ飛ばされる。


「……」


リーナはその雷撃を知っていた。

無数に分岐しながら突き進むその雷撃は、シルフィアの操る雷蛇らいだから放たれたものだ。


驚くリーナの目の前に、白い巨体が飛び込んできた。


「リーナ!」


シルフィア、そして彼女の操る白翼竜だ。


「もうここへ辿り着いたのデスかっ! ですが、そう簡単にはリーナ嬢は渡しはしま……、へぶぅっ!!」


白い翼竜が、両足の爪を地面に突き立てて引き裂きながらその場で急旋回をした。

それと同時にその尾を激しく振り回し、そのまま司祭を弾き飛ばしたのだった。


「うるさいやつね。少し黙ってなさい」


白翼竜の背にはシルフィアと共にダインの姿があっあ。


「リーナ! 僕の手に捕まって!!」


そして、その手がリーナへと差し伸べられる。


「……嘘」


とんでもない勢いで心臓が跳ね上がり、思わずリーナは手を伸ばそうとした。

だが、リーナの両手は魔縄で縛られている。


「リーナ!! 早くっ!」


「し、縛られてるから無理よ!!」


「私が引き上げる!」


リーナの身体に、シルフィアの雷蛇が巻き付いてグイっと持ち上げた。

シルフィアは、そのままリーナを膝の上へと抱え上げた。


同時に白翼竜が羽ばたきながら地を蹴った。

そのまま一気の洞窟の外へと加速していく。


助け出されるのなら、ダインがよかった……

お姉ちゃん、やっぱり大嫌い。


でも……


でも……


お姉ちゃん、ダイン……、助けに来てくれたんだ。

こんな私のこと、本当に助けに来たんだ。


「リーナ……、良かった……」


「なんで助けになんか来たのよ。……お姉ちゃんまで死んじゃうかもしれないじゃん!」


こんな時にも、リーナの口から出たのは憎まれ口だった。

だが、シルフィアはそんなリーナの顔を見てにっこりと笑った。


「私にとって、ここは譲れないところなの。結婚相手なんかはどうだっていいんだけど、私のそばからリーナがいなくなるのは絶対に嫌なのよ」


「バッカみたい。……大嫌い!」


「はいはい。知ってるわよ」


「~~~~」


いつの間にか、リーナの両目は熱い涙でぬれていた。

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