第14話 涙①

リーナが目を覚ましたのは薄暗い洞窟の中だった。

目が覚めた瞬間、リーナの頭はガンガンと痛み、胃の中からぐいぐいと何かが迫り上がってくる気配を感じた。


「おやおや目が覚めましたかな? まだあまり動かないほうがいいですよ。まだまだ転移酔いで感覚がぐちゃぐちゃになっている時間でしょうから……。もっとも、そもそも動けないでしょうけれど」


リーナの手は後ろ手に縛られていた。

自分では見ることはできないが、感触からして縄のようなもので手首を縛られているようだ。


「いったいなんのつもりよ、このクソ野郎!」


「これはこれは……。淑女に相応しくない、なんとも酷い物言いですな。親の顔が見てみたい……っと、そう言えば私はよく存じ上げておりました。なにせあなたの父上はかの高名な術式博士、ゼフェル・アートランド卿でございましたね」


「すぐにこの縄を解きなさい。今なら半殺しの上、餓死するまで投獄するだけで済ませてあげるわよ」


「それはそれは、随分とお優しいことですな」


「司祭様に化けて大聖堂に潜り込むなんて……」


「んん? リーナ嬢は、私が司祭シルマに化けた不届者か何かだと思っていらっしゃるのかな?」


「……こんな茶番には付き合ってられないわ。さっさとこの縄を解きなさい」


「ふふふ、私はシルマ本人ですよ。私は冥界崇拝者。尊き方にお会いするため、この身を捧げる覚悟を決めた者。そして、あなたももう時期そうなります」


「はぁ……、あんたが何言ってるのかぜんぜんわからない」


リーナはため息を吐き、両の手に魔力を集中させた。

感触からして、リーナを拘束しているのはおそらくは植物由来の素材を用いた縄だ。

こんなものは、火の魔術を用いれば簡単に焼き切れるはずだった。


世間では『落ちこぼれ』だなんだと揶揄されているリーナだったが、ここまで舐められるのは流石に心外だった。


「私の命令に素直に従わなかったこと、後で後悔させてやるからっ!」


「ほう? それはどうやってですかね?」


「こう……よっ!」


リーナが思い切り魔力を放出したその瞬間。

リーナの全身を炎が駆け巡った。


「えっ!? あっ……あつぅぅっ!」


衣服に炎が燃え広がり、リーナの身体を焼いていく。


「な、なんで……? く、うぅぅ」


「馬鹿なことはおやめなさい。魔術師を拘束するのに、ただの麻縄を使うはずがないではないですか」


「うっ……うぅ……」


「それは反魔の術式が組み込まれた魔縄まじょうです。単純な属性魔術の力を加えると、その魔術を暴走させて術者に跳ね返します。……ああ、説明するのが少し遅かったですかね?」


「この……」


リーナは水の魔術を解き放ち、全身に燃え広がろうとする火を消し止めた。

ずぶ濡れになり、あちこちの皮膚が赤く焼け爛れている。

暴走した水魔術の衝撃で、腕からは血が滲んでいた。


「ああ、そう言えばあなたは『史上初めての四属性持ち』とやらでしたかね。通常は一人一つ……多くとも二つの属性しか持ち得ない魔術属性を、何故か四つも持ち合わせている天才。天賦の才能を持った者。そう、天才。ふっ、あははは……」


「殺してやる! ぶっ殺してやる!」


叫ぶリーナを無視して、司祭はその先の言葉を続けた。


「でも、あなたの能力はただそれだけ。ただ、それだけの落ちこぼれ。魔術は属性だけにあらず。組み上げられた美しき魔術式の存在があって初めて、その属性は力を持ち意味をなすのです。それなのにどうでしょう? あなたは、基礎的な魔術式すらも組むことができないと聞きます。四属性持ちという大いなる才能は、本当にただの持ち腐れでしかない」


「……」


「もし、ゼフェル・アートランドがあなたのような四つの属性を持っていたとしたら……、この大陸の現在の国境線は随分と違ったものになっていたと言われています。ゆえにもし、あなたがゼフェルのように様々な魔術式を構築する技術を習得していけば、その無能は国を揺るがすほどの本物の才能になりえていた、というわけですよ。まぁ、そうはならなかったのですけどね……」


「……うるさい! うるさいうるさいうるさいうるさい!!」


「くふふ、耳が痛いですか? どうせなら本当にただの落ちこぼれであったほうが気が楽だったでしょうに。下手な期待の大きさ……幼少期になまじ天才などと呼ばれて助長した結果が、今の口ばかり達者なあなたというわけです」


「くっ……、この……」


リーナの目が、恥辱と怒りに燃えた。

司祭のその言葉は、リーナの心の古傷を最も深く抉る言葉だ。


自らの魔力を用いて火を作り出す、水を作り出す、風を作り出す、土を作り出す。

それら四つの属性要素を一人の人間が行えることは確かに凄い。

間違いなく、この世にリーナただ一人だけの生まれ持った天賦の才能だった。


ただし、単一の属性を扱うだけならば、最低限の魔術の素質さえあればその辺の子供にでもできることだ。

そして、たいていの魔術の素質を持った子供は、そこから数カ月もまともに訓練を積めばその属性魔術に様々な術式を付与することが出来るようになる。


留める、溜める、解き放つ。

飛ばす、曲げる、分岐させる、弾く、降り注がせる。

増幅する、減退させる、収束させる……


魔術とは、基本となる属性に様々な術式を付与することで初めて、実戦や実用に耐えうるものとなる。


つまるところリーナの能力は『各属性の素養を持った、魔術を習い始める前の子供が四人いる』という事と同じだった。

リーナの能力は、その程度のものだとみなされていた。


「あなたの魔術師としての価値は、ほとんど無に近い。だから今、誰もお前を助けにこないのですよ」


「それとこれとは、関係ないでしょ!?」


「ええ、ええ。そうですねぇ。あの時、お前のすぐ隣にいたゼフェル・アートランドは、動こうと思えば動けたことでしょう。足をすこし前に動かせば、すぐ目の前にある転移陣に難なく飛び込むことができたはずデス。だが、そうしなかった。転移陣の先にある罠を警戒して、それをためらった。ゼフェルにとってのお前は、やはりその程度の存在だということですよ」


「そんなこと……今更あんたに言われなくても、とっくにわかってたっての!」


言いながら、リーナは唇をかんで必死にこみ上げる涙をこらえていた。


ずっとそうだった。

父親が気にかけるのは、いつも姉の事ばかり。

父は姉のことを『小さな戦友』と呼んでいた。

今のリーナの歳の頃、シルフィアはすでに父と共に戦場に立ち、本物の戦争を経験していた。


リーナはいつまで経っても魔術を「発動」させることしかできない落ちこぼれ。

そんなリーナの魔術が、実戦で役に立つはずがなかった。


もし攫われたのが姉であったのなら、父は迷わず転移陣の中に飛び込んでいたことだろう。


リーナの目から、虚しさと悔しさで涙がこぼれた。


「わかっていらっしゃるようで何よりデス。そう、お前は無価値なんですよ」


司祭の言葉に、リーナはがっくりと肩を落とした。

わかっていても、改めて口にされるものそれなりにきついものがある。


揺らぐ。

沈む。

心がどす黒い何かで覆い隠されていく。


そんな時。

落ち込み続けるリーナの心の中にふと、ダインの顔が浮かんだのだった。

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