第10話 一人分の戦力


「ダインくんっ!」


シルフィアの声がして、ダインの身体が不意に重力とは別方向に引き上げられた。

握られた手と腕が軋み、ダインの身体は一気に上空へと舞い上がっていく。


「シルフィアさん! ……と、白翼竜」


「中身は両方とも私なんだけどね!」


落下するダインを救ったのは、シルフィアとその召喚体だった。


白翼竜はくよくりゅう』と名付けられたその召喚体は、シルフィアの扱う召喚体の中でもずば抜けて空中での機動力に長けたものだった。

シルフィアはダイン同様落下しながら召喚陣を展開し、自身の本体が地面に落ちきる前に召喚を完了させたのだった。


召喚体は、実在する生物をベースにした形状の方が扱いやすいとされている。

その方が世界に定着させやすく、それゆえに術士にとっての負荷が少ないとされている。


だが、シルフィアの白翼竜は完全なるオリジナルの形態をもった召喚体だった。

それは、幼少期のシルフィアの空への憧れと自由な想像力が形を成したもの。

シルフィアの扱う中でも、最も使用頻度の高い召喚体だった。


「ついて来ちゃったわけね。今更帰れなんて言わないから、ちょっとだけ大人しくしてて……ね!」


突然ダインの身体に右方向の衝撃が加わった。

白翼竜が、左側へと急旋回したのだ。


「予想はしてたけど、なかなか厄介な状況よ」


前後左右への衝撃と共に、白翼竜が空中で縦横無尽に飛び回る。

その脇を、下からいく筋もの魔術が通り抜けていった。


「下の森、ものすごい数の魔術師がいる。……完全に罠だったわね。リーナを連れた司祭が森に降りていくのが見えたけど……、流石に生身であの森に降りるのは分が悪すぎるかな」


剣聖や魔導博士と言った国内有数の能力者たちが集まるあの場所でことを仕掛けてきた以上、相手もそれなりの準備と覚悟をもって挑んできているということだ。


勢いのまま転移陣に飛び込んでしまったとはいえ、冷静に考えたらダインはやはりシルフィアの足手まといでしかなかった。


『召喚士は冷静さが大切』


ダインは勢いに任せて行動し、そして間違えた。

落ちこぼれの足手まとい。

どう考えても、それは最悪の状況をさらに最悪なものとする、最悪の選択だった。


「なに沈んだ顔してるのよ、ダインくん!?」


「すみません、僕みたいな足手まといが……」


「足手まとい? ダインくんが自分のことをどう思っていようが、こうして戦場に立った以上はあなたも戦力の一人でしかないのよ」


「でも、僕なんか大した戦力にはなりませんよ」


「いい、ダインくん。戦場での召喚士の役割って、なにも目の前の敵を殲滅することだけじゃないの。冷静に戦局を読み、自分にできることをする。複数の役割をこなせる召喚体のレパートリーなんてものは、結局はそのための手段にすぎないの。って、いつも言ってるでしょ?」


「……はい」


「だからねダインくん。あなたが自分を役立たずなんだと言うのは勝手。ついてきたことを間違いだったと嘆くのも勝手。だけど、どうであろうと戦場ここで私の隣にいる以上、私はあなたを一人分の戦力だと見做すからね」


「……っ!」


その時、ダインの心臓がドクンと脈打った。


シルフィアは、ダインのことを『一人の戦力』だと言った。

憧れの人に……自らの師に一人前と認められる。

それほど、うれしいことはなかった。


それはもう、ダインにとって自分の気持ちなんかどうでも良くなるくらいの衝撃だった。


今ここで、ダインのことを『一人の戦力』だと言った人は、ダインが世界で一番大好きで、世界で一番信頼している人なのだから。


「だからダインくん。私と一緒に戦って」


「はいっ!」


「うっ……、うぉぇ……、げほっ」


そんなダインの目の前で、シルフィアが盛大に嘔吐した。


「シ、シルフィアさん!?」


「ごめん、一気に喋りすぎたわ。これは、間違いなく転移酔いね。ダインくんが割と平気なところを見ると、ピンポイントで私の頭を揺さぶることを狙ってたみたい。そういう術式を組んで待ち構えてたってことかもね。たぶんこれも罠の一つ。つまり私たちの状況は『かなりのピンチ』ってところかな」


シルフィアの言う通り、状況は最悪だ。

森の中からは今も次々に魔術が放たれている。

シルフィアは転移酔いによって召喚体の操作精度が落ちている。

直撃こそ免れているものの、幾度となく敵の魔術が白翼竜の身体を掠めていた。


「僕のゴブリンを森に落とします。近接戦に持ち込めれば、魔術師相手ならなんとかなるかもしれません」


「ちょっと待って……、作戦練りましょ。無策で突っ込むと簡単にやられちゃうから。さっき地面スレスレまで落ちた時、そこで私の絶鬼を召喚してみたんだけど……、その時は、いきなり変な剣士が来て速攻で壊されちゃったわ」


「マジですか……」


シルフィアの『絶鬼ぜつき』は、実在する『オーガ』という魔物をベースにした半オリジナルの召喚体だ。

吟遊詩人がうたう『絶望の鬼オーガ』といううたをモチーフにしている。


それは、神のいたずらで知性を持ってしまったオーガが、東洋の甲冑に身を隠して人里に降りる話だ。

オークはやがて正体がバレて村から追い出されてしまうのだが、村人達との交流が忘れられずに村の近辺にとどまる。

そして人知れず隣国の侵攻から村を守り、誰にも知られずに死んでいくという、そんな悲しい詩だった。


一騎当千の、悲しき鬼。


絶鬼ぜつきは地上における対人戦に特化している。

単純な地上戦の性能で言えば、ダインのゴブリンの遥かなる上位互換のような召喚体だ。


その絶鬼が瞬殺されたとあれば、当然ダインのゴブリンで同じことをしても同じ末路を辿るだけだろう。


「せめて援軍が望める状況ならよかったんだけどね……。まぁ、ない物ねだりなんかしても今は無意味ね。今ある手札だけでやれることを考えましょ」


「ゼフェル様の飛行魔術なら、この魔獣領域まで一時間もかからず到達できるはずです」


「そんなにすぐには来ないわよ。ダインくんのその読みは、お父様がこの場所をすでに特定している前提だもん。転移先の見当もついていないこの状況で、そんな短時間でこの場所を特定するなんて無理な話よ」


「大丈夫ですよ。この場所の情報は、大聖堂に残っていた僕の召喚体を通してすでにあちら側に伝えてあります。転移陣が完全に閉じ切る前に……。ゼフェル様がこたえる声が聞こえたから、たぶんちゃんと伝わって……って、わぁっ!」


「ナイス、ダインくん!!」


いきなり後ろからガバッと抱きしめられて、思わずダインは慌てた声を上げてしまった。


「やっぱり。私の弟子は足手まといなんかじゃないじゃない!」


「えっ、いや……」


「それなら、もう出し惜しみはやめやめ! 退路のことなんかもう考えない。お父様に全任せよ!」


そう言って空に掲げたシルフィアの手の先に召喚陣が発現した。


「っと……」


だが、超速で飛び回る白翼竜の動きで、発現したばかりの召喚陣はあっという間に後方に取り残されていってしまう。


シルフィアの召喚陣が発現した直後、森の中から一斉に魔術が放たれた。

放たれた魔術は、真っ直ぐにシルフィアが生み出した召喚陣へと向かっていった。


「あぁ、召喚陣がっ!」


敵はシルフィアの召喚術を警戒していて、召喚体が組み上がる前に陣を破壊してしまうことを狙っている。


召喚術士に対する必勝法は、召喚術士が強力な召喚体を召喚する前に片をつけてしまうことだ。

生み出す召喚体に強大な魔力が込められるほどに、召喚完了までの時間は長くなる傾向にある。


「とはいえ、やっぱりそう簡単には出させてくれないわよね」


だからこそ、たいていの召喚術士は本命の召喚体を召喚するまでの時間稼ぎとして使う『先鋒』の役割を担う召喚体をレパートリーとして持っているものだ。


シルフィアの召喚陣からガーゴと呼ばれる魔獣の召喚体が飛び出して、次々と敵魔術に向かって体当たりを繰り返す。

だが、防ぎきれずに何発かの魔術がシルフィアの魔法陣へと直撃した。


「マズイです! 召喚陣が壊されます!」


雷蛇らいだ白翼竜はくよくりゅうの百倍くらい時間かかるからね。ガーゴ出しながらだとさらに、か……。でもそれだと召喚陣が持たないわね」


「ど、どうしますか?」


「そうねぇ、ダインくんの方で時間稼ぎできない!?」


「僕が!? ど、どうやって……」


「適当に考えて! 私は雷蛇らいだの召喚に専念したい」


「え、ええっ!」


初の実戦にも関わらず、そこでダインに振られたのはいきなり戦局を左右するほどの重責だ。


「ど、どうやって……」


『私はあなたを一人の戦力だと見做すからね』


シルフィアのその言葉に嘘偽りはない。

シルフィアは、本気でダインを一人前の戦力として扱っているのだった。


「ダインくんに任せる! 召喚体の扱いは、私よりもダインくんの方が巧いでしょ」


「っ!」


ならばもう、ダインはそれに応える他にない。


考えろ。

今の僕の手札で、出来ることを……


『ダインくんに任せる!』


任された。

任された以上、どんな手を使ってでもやり遂げたい。


「わかりました。なんとかやってみます! もう一度、さっきの陣の真下に行ってください!」


「了解!」


白翼竜が旋回し、再び召喚陣の付近へと向かう。

途中、身体を回転させて数発の魔術をかわし、すぐに先ほどのシルフィアの陣のすぐ近くまで到達した。


「これで、なんとか……」


シルフィアの召喚中の召喚陣の真下を通り過ぎる刹那、ダインはそこに自らの召喚陣を出現させた。


同時に、三枚。


「召喚陣が三つ……、いつの間にそんなこと覚えたの? ……でも、なるほどね!」


ダインが作り出すことのできる召喚体は『ゴブリン』だけだ。

この付近で見かけるゴブリンとは多少姿が異なっているものの、ゼフェルによればそれは亜種の一つらしい。

なんにせよ、それは最弱として知られる魔物に違いなかった。


それ以上に弱い魔物は存在しない。

ゴブリン以上に弱い魔物は『無害な動物』だとされていた。


当然ながら、ゴブリンには飛行機能などは備わっていないし、爪と牙以外に何か特殊な能力を持っているわけでもない。

だが最弱それゆえに、召喚されるまでの時間は相当に短い。


それでも、召喚陣一枚では足りない。

一枚では、次々と生み出されるゴブリンは早々に召喚陣を抜け出して空中に落下して行ってしまうことだろう。


そこで、ダインは三枚の召喚陣を同時に発現させた。

更に、それらの召喚開始のタイミングを数秒ずつずらした。

そうすることで、常にいずれかの召喚陣が召喚中の状態になるようにと仕組んだのだ。


普通はそんなことをする召喚士はいない。

というか、できない。

召喚士にとって、召喚とはそれほどに負荷のかかる作業なのだった。


「いきなり三枚の陣を展開するなんて、どうやって思いついたわけ?」


「さっき落ちながら連続して召喚陣を展開した時、たまたまこんなこともできるって気がつきました」


「とんでもないわね。独学で召喚術の基礎を習得したことといい、やっぱりダインくんって天才の類かも。能力の偏り方が半端じゃないけど……」


そんなシルフィアの小さな呟きは、すでに召喚と召喚体に意識を集中しているダインには聞こえていなかった。


発現したダインの召喚陣からは、次々とゴブリンが生み出されていく。

陣から這い出したゴブリンは、隣の陣から這い出ようとするゴブリンの身体を掴み、そこにぶら下がって空中に止まっていた。


「ゴブリンの肉壁で、防ぎます!」


そうして、瞬く間に十数体のゴブリンが連なり、鎖のようになって空中の召喚陣からぶら下がったのだった。





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