第9話 急転、転移、そして落下


なんとなく、ダインにも当時の記憶が蘇ってきた。


「『一生付き纏って呪い続けてやる』だっけ?」


「そ、そういうことよ」


「ええと……、つまり僕はリーナに呪い殺されるってこと?」


ちが……、そうじゃなくて……」


「っていうか、リーナは呪い系統の魔術なんか使えたっけ?」


「う、うるさい! もういいっ! こんな婚約、やっぱり破棄よ!」


そう言ってリーナが再びふいっと横を向いた。

そんなリーナに、ダインは眉間に皺を寄せて困惑していた。


リーナの機嫌が悪いのはいつものことなのだが、だいたいいつもその原因はよくわからない。

今に関して言えば、状況が複雑すぎてダイン自身の気持ちもめちゃくちゃなのだからなおさらだった。


「ですが、リーナ嬢、そういうわけには行かないのですよ」


そこで、今まで黙り込んでいた司祭が声を上げた。


「ここは尊き方の御前でございます。尊き方は嘘偽りない姿を好みますゆえ、このような短期間での立て続けの婚約破棄は許されざることでございます」


「はぁ!? あんたには関係ないでしょ!? 破棄したそばから無理やり次の婚約の話を進められたのはこっちなんですけど?」


「それでも、規則は規則でございます」


「はぁ!? いつからそんなのが規則になったのよ!? 聞いたことないわよっ!」


「リーナ様! 司教様に向かって何という口をきくのですか!?」


司教やアートランド家のメイド長までもが話に絡み、もはや状況はカオス!

この状況を一体誰がどうやって収拾するのか……


「勘弁してくれよ……」


シルフィアがギースと正式に婚約するというだけで、もはやダインの心はぐちゃぐちゃだった。


その上で、リーナがどうとか、ダイン自身の結婚の話までもが絡んで来てしまった今となっては、もうまともな思考でまともな判断など下せるはずがなかった。


「リーナ・アートランドよ……」


いつの間にリーナの目の前まで来た司祭が、もったいぶったようにその名を呼んだ。


「な、なによ? 何度言われても嫌なもんは嫌! 私はギースともダインとも、婚約も結婚も絶対にしない!」


「ああ、実はそれはもういいのデスよ。それよりもワタシはもっともっと大事な話をしたいのです。リーナ嬢よ……。私の尊き方々のため、今からあなたには生贄になってもらいたいのデス」


「……えっ?」


「くふふ、尊き方。くふふ、くふふふふ」


いきなり、司祭の声色が変わった。

その異様に、リーナが強張った顔を司祭に向けた。


「くふふ。そぉれ!」


そして次の瞬間、司祭とリーナを中心にして周囲にドス黒い光が満ち満ちた。

周囲が一瞬にして暗闇に包まれて、全員の動きがスローモーションのようになる。


ダインの父剣聖が異空間から魔剣を取り出して振りかぶり、リーナの父魔導博士が空中に魔術式を展開した。


「離れろリーナ!! 転移魔法陣だっ!」


リーナと司祭を中心にして、瞬く間に魔法陣が組み上がっていく。

そして、その光が二人の姿を覆い隠し、一瞬にしてかき消したのだった。


陣の周囲には薄ぼんやりとした光の粒子が浮遊しており、室内であるはずなのにその向こう側に、一瞬だけ青い空が見えた。


「……」


それは、一瞬だった。

その場にいたほとんどの人間が、目の前で何が起きているのかを正確に理解できてはいなかった。


瞬きをするうちに、リーナと司祭の姿は皆の前から消え失せていたのだった。


リーナが攫われた。

攫ったのは、本日のギースとシルフィアの結納の儀式の立会人であったシルマ司祭だ。


「……奪えたのは、腕一本か」


ガーランド・アリステラがそう呟いた刹那、残された転移魔法陣からボトリと一本の腕が落ちてきた。


「冥界崇拝者か……。まさか、シルマ司祭までもが……」


光の粒子が徐々に薄くなり、組み上がっていた陣が外側からハラハラと崩壊していく。


「まだよ! まだゲートは閉じていない!」


そんな中、シルフィアが壇上から駆け降りてきた。

シルフィアはそのまま一直線に魔法陣へと突進していく。


「やめなさいシルフィア! 敵意のある者の作り出した転移陣に飛び込むなど、自殺行為だっ!」


この場で起きている事態を正確に把握していたのは、おそらくはこの三人だけだった。

剣聖ガーランド・アリステラ、そして魔導博士ゼフェル・アートランドと、その娘シルフィアの三人だけだ。


「行きます。リーナを放ってはおけません!」


「聞こえなかったのか!? もはや手遅れの可能性が高いと言っているんだ!?」


「可能性で……、リーナを諦められません!!」


そう叫び、シルフィアは消えかけの転移魔法陣へと飛び込んでいったのだった。


「あっ……」


ダインには、目の前の状況がほとんど理解できていなかった。


だが……


シルフィアと、リーナが危険な目に会う。


それだけはわかった。


そして、気付けばダインもその転移魔法陣に向けて一歩を踏み出していたのだった。


「馬鹿なっ! ダイン!? 死ぬぞ!?」


父の言葉が一瞬で遠くなる。

凄まじい吸引力で身体が前へと持っていかれ、ダインの身体は一瞬にして転移陣の中へと吸い込まれた。


グラグラと視界が歪み、吐き気を催す転移酔いが全身を貫いた。

異界を飛び越える衝撃で、ギチギチと全身が軋む。


王宮の転移術師達が扱うような、貴族の指揮官が移動のために使うような転移術とは比較にならない。

アレらがどれだけ転移者の身体に配慮した術式を組んでいたのかということを、ダインは身をもって思い知らされた。


「ぐっ……、うぅ」


全身がバラバラになろうかという一際大きな衝撃の直後。

ふいにダインの身体はだだっ広い空間へと投げ出されたのだった。



→→→→→



初めに見えたのは青い空。

そして身体がぐるりと反転し、その大空と比べても遜色ないほどに広大な……、とてつもなく広大な大森林が眼下に広がっていた。


彼方に見えるのは連なる山々。

そして、そこに沈みゆく太陽。


おそらくは、王都の西方。

ウルペルム大山脈を越えた先にある、コルス大森林地帯。


「……の、上空っ!?」


ダインは遥かな上空から見下ろした地形から、なんとか自らの現在地を把握していた。


そんなダインの身体に、ガクンという衝撃が加わる。

世界が忘れていた物理法則を、不意に思い出したかのように、ダインの全身には再び重力が加わりはじめた。


「うっ……」


ふわりと内臓が浮き上がるような悪寒の後、ダインの身体は急速に落下し始めた。

遠すぎてなかなかに実感が湧かないが、眼下の森林地帯は着実にダインへと迫ってきている。

それは、ダインに死を運ぶために大口を開けて待ち構える、深緑の死神のようだった。


「まずいまずいまずい! やばいやばいやばい!」


このままでは、地面に激突して死ぬ。

何の意味もなく、何もできないまま……

ただ、落ちて死ぬ。


シルフィアが転移陣に飛び込む直前、ゼフェルやガーランドが言っていたのはこういうことなのだ。

敵意を持った者が作り出した転移魔法陣。

その先には、当然のように罠がある。


飛行手段を持たない大部分のものにとって、転移陣を通り抜けることはそのまま落下死へとつながる。

そうなるようにと仕組まれていた。


もしここで、剣聖ガーランド・アリステラが転移陣を抜けていれば、それだけで剣聖を亡き者にできたかもしれない。

そしてたとえ飛行手段を持っていようとも、おそらくはそこには更なる罠が待ち構えているはずなのだった。


とにかく、今はこの落下を乗り切らなくてはその先も何もない。


「どうする? ……どうする!?」


ダインの手札はゴブリン召喚のみ。

今ここで考えられることといえば、ゴブリンを肉のクッションにして落下の衝撃を和らげることくらいだ。


だが、おそらくは間に合わない。

この落下速度に対して、召喚が間に合わない。


「くっ、そっ!」


それでも、とにかくやれることをやるしかない。


「だぁぁぁあああああーーーっ!」


ダインが展開した一枚目の召喚陣は、一瞬にしてダインの身体から遥かな上空へと流れ去っていった。

その中からゴブリンが這い出てこようとしているが、どう考えても間に合わない。


二枚、三枚、四枚、五枚……


必死の思いで次々に自分よりも下側に向かって召喚陣を作り出すも、すぐに身体をすり抜け、その全てがダインの手の届かない場所まで行ってしまう。


遥か上空に、展開された複数の召喚陣が悲しげに浮いていた。


「ヤバいっ……。これ、死んだかも……」


もはや、万事休すだ。

やはり身に余る行動は慎むべきだった。


ダインは、冷静さを欠いた自分の行動を悔やんだ。

だが、今ここで悔やんでもどうにもならない。


「くそっ!」


とにかく、今やれることを考える。

地面に叩きつけられるその瞬間まで……諦めない。

シルフィアなら、きっとそうしろと言ったはずだ。


「何か……、何かないかっ!」


「ダインくんっ!」


上空からシルフィアの声が聞こえたのは、まさにその時だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る