第5話 結納の儀式
「今日の良き日を迎え、我らが神々の祝福が貴方たちに訪れますように……」
司祭の声が聖堂中に響き渡る。
その声をダインは呆然と聞いていた。
その心はすでにここにはない。
あの後……
カヤの探し物を手伝った直後。
慌ててやってきたゼフェル・アートランド卿と、ガーランド・アリステラ卿によってダインとリーナは大聖堂へと連行された。
どうやら二人はリーナに用事があったようで、大聖堂の入り口につくなりリーナを連れて奥の方へ引っ込んでいってしまった。
そして、儀式は時間通りに開始された。
今ダインの真正面には、普段ダインに召喚術の指導をする時とは全く違った装いのシルフィアがいる。
その姿はとても綺麗で、あまりにも見ていられなかった。
ダインは思わず視線を横にそらした。
そしてそらした先で、ダインの視線はリーナのものとぶつかった。
「神聖なる者の御名において、ここに御子ギース・アリステラと御子シルフィア・アートランド両名、および両家の結納の儀式を始めます」
リーナがダインに向かって『前を向け』というジェスチャーをした。
ダインはそれに対して『お前こそ前を向け』と返した。
「尊き者よ、貴方の前に我々の誓いを捧げます。わたくしギース・アリステラは、ここに誓います。三か月後の建国祭の折、ここにいるシルフィア・アートランドとの婚姻を結び、妻とすることを……ここに誓います」
リーナがため息をついてうつむいた。
本当なら、そこには自分の名前があってほしかったのだろう。
「わたくしシルフィア・アートランドは、ここに誓います。神々の祝福を受け、ギースと共に喜びを分かち合い、悲しみを乗り越えることを……誓います」
ダインは唇をかんだ。
結局、己は無力。
これまでのダインの人生は、ただただそれを思い知らされ続けるだけの物だった。
次に両家の当主が同じような誓いの言葉を述べ、儀式は滞りなく完了した。
それは、あまりにもあっけなく完了してしまった。
「ここに神聖な誓いが交わされました。この儀式完了の証として、見届け人となった両家の方々はこちらにサインを……。我ら尊きが神々の祝福をもってして、両家の絆が永遠に続くことを願いましょう」
この記帳が済めば、この儀式の全てが完了する。
それで、ギースとシルフィアは正式な婚約者となる。
後はもう、結婚まで待ったなしだ。
これを止めることはもはや誰にもできないし、そもそもダインとリーナ以外のこの場にいる全員がこの婚約を祝福していた。
「……と、申し訳ございません。私としたことが、一つ大事なことを忘れておりました」
参列者たちが記帳に向かって歩き出そうとしている横で、司祭が突然思い出したように声を上げた。
「実は……、今日のこの場所で婚約の儀を執り行うのはこの二人だけではございません。アリステラ卿、並びにアートランド卿からの申し入れにより、このまま追加の儀式を進行させていただきます」
会場がざわざわとざわめいた。
無理もないだろう。
こんなことは前代未聞だ。
複数名の婚約の儀式を同時に行うことなどはたまにある。
例えば、二人の子女が同時に一人の男との婚約を行う場合など……
全ての家を同格に取り扱うという意味で、その三つの家同士の繋がりを示す儀式を同じ場所で同時に執り行う。
そんなようなことが、稀にだがあった。
だが……、追加というのはほとんど聞かないことだった。
剣聖のアリステラ家と魔導博士のアートランド家の結納の儀式に割り込めるような家系など、普通に考えたら存在しない。
「……いや。一つだけある、か」
その想像をしてしまった瞬間、ダインは青ざめた。
どう考えてもあり得ない。
だが、それしか考えられることがなかった。
もしもその両家の儀式に割り込むことができるような家柄があるとすれば、それは
「これより、ダイン・アリステラとリーナ・アートランド、および両家の結納の儀を執り行います」
……勘弁してくれ。
悪い想像がばっちりと当たってしまったダインは、頭がくらくらして吐き気を催していた。
→→→→→
「ダイン・アリステラ。リーナ・アートランド。両名は、これより前へ……」
名前を呼ばれ、そう促されてもダインは立ち上がることができなかった。
全くと言っていいほどにこの状況が理解できていなかった。
だが、立ち尽くすダインの視線の先ではリーナがゆっくりと前へと歩き出していた。
「な、なんで……?」
参列者の静かな息遣だけが響く大聖堂の内部に、ダインの震えた声が響く。
そんなダインに対し、父が声をかけた。
「聞いた通りだ。ダイン、早く前へ行きなさい」
「聞いた通りってなにさ? 僕は何も聞かされてないよ!」
「今、伝えた。そもそも、今伝えようが一月前に伝えようが、お前にこれを拒否する資格はない。これは、お前のためにしてやっていることだ」
「……」
「早くこちらへ」
「僕のため? なにが? せめて、説明を……」
正直言って、軽んじられるのには慣れていた。
父も母も、ダインには興味などない。
ダインが所在不明のまま数日間家に帰らなくても、探しにくる者など誰もいなかった。
彼らのダインへの興味はその程度だった。
「あーーもう! 本っ当に最悪!」
そこで、大聖堂にリーナの大声が響いた。
「本当は、あんたがノコノコとこっちに来てから宣言するつもりだったんだけどさぁ……」
リーナは一旦は上がった壇上から降り、ずんずんとダインの前まで歩み寄って来た。
「つまり、私達はお姉ちゃんたちの
「それはわかった。でも、わからない。いきなりすぎて……」
「私もよ。あんたが同じ気持ちでいてくれて本当に助かったわ。これで罪悪感とか感じなくて済むもの。なにせ、可愛い私にはこれからも山のように縁談がやって来るだろうけれど、ダインはこのチャンスを逃したらもう後がないと思うからさ」
「? リーナは、いったい何の話をしてるの?」
「つまりはこういうこと。アートランドの名の元に、わたくしリーナ・アートランドは、この婚約を破棄し……」
そうしてリーナが何かを言いかけた時。
ギースの声が会場内に響きわたった。
「ぎゃははははは……。よかったなぁダイン。一生女に縁がなさそうなお前も、こうして俺のおこぼれで上玉と結婚できるってわけだぜ」
「……」
皆が一斉にギースの方を向いた。
ギースは壇上にて、いつものように口の端を吊り上げて馬鹿にしたような笑みを浮かべていた。
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