第10話 2度目の往診

 ローズマリーが2度目の往診を頼んだ医師と共に商会に戻って来た頃、ゲハルトはもう出勤していた。


「ゲハルト、おはよう。今日は早いのね」

「ええ、……が心配でしたから」


 明るいゲハルトにしては珍しくモゴモゴと不明瞭に返事した。


「あの男性なら大丈夫よ。さっき気を取り戻したの。ちょっと記憶が混乱してるみたいだから、先生を呼んできたのよ」

「あ、えっと、そういう意味じゃ……」

「じゃあ、店の準備の方、頼むわね」

「あ、はい……」


 ローズマリーは、ゲハルトがまだ何か言いたげだったのに気付かず、医師と共にバックヤードに入って行った。その背中をゲハルトはじっと見送った。


 ローズマリーと医師が休憩室に入ると、男性は起き上がろうとして傷が痛み、呻いた。


「そのまま寝台に横になっていて。ちょっと傷の具合を見ますよ」


 まだ早朝なので、医師は助手を伴っていない。医師は自ら男性の包帯を解き、傷口を消毒して新しい包帯を巻いた。


「順調ですね。傷口は化膿していませんし、縫った傷も開いていません。抜糸は数日後にしますね。熱がまだあるみたいですが、そんなに高くないから熱冷ましを飲む必要はないでしょう。それでお名前が分からないとのことですが、他に何か覚えている事はありませんか?」

「それが……思い出そうと思うと頭が痛くなるのです」

「そうですか。では無理に思い出そうとせずにまずは怪我の療養に専念して下さい」

「分かりました。それでは私はいつから動けますか?」

「右脚を骨折してますから、3~4ヶ月ぐらいは安静にしていただかないと」

「でもこの腹の傷が塞げば、動いてもいいですよね?」

「激しく動かないならいいですよ」

「傷が治った頃には長距離歩けますか?」

「うーん、まだだと思いますよ。骨がきちんと塞がっていない時に無理に動くと、後遺症が残ります。お勧めできません」

「そんな……私は一文無しなんです。そんなに長くここにお世話になる訳にいかないんです!」


 ここをすぐに出て行けないと知った男性は、ショックを受けて医師に何とかならないかと訴えた。


「そうは言ってもねぇ……」

「あの、うちは大丈夫ですよ」

「エアデさん、私は一銭も持っていないんです。タダ飯を食う訳にはいきません」

「怪我人を追い出す程、うちは落ちぶれてないから本当に大丈夫ですよ」

「そ、それなら、せめて働かせて下さい!」

「怪我人を働かせなきゃいけない程、うちは落ちぶれてもいないし、人手不足でもないですよ」

「それでは怪我が治ったら、恩返しさせて下さい」

「そうですね、怪我が治った後にまたその話はしましょう。今は療養に専念して下さいね」


 男性が問題なく動けるようになるのは当分先なので、本当は今の所、そこまで考えられない。でもローズマリーがそうでも言わないと、彼は納得しなそうだった。


 診察の後、ローズマリーと医師は休憩室を出た。扉を閉めて休憩室から少し離れると、ローズマリーはバックヤードを出る前に立ち止まって医師に質問した。


「先生、あの男性は怪我のせいで記憶喪失なんでしょうか?」

「その可能性もありますが、思い出そうとすると頭痛がするそうですので、何かショックな事があったせいかもしれません」

「そうですか……記憶喪失が回復する可能性はどのぐらいあるのでしょうか?」

「何とも言えませんねぇ。怪我から回復すれば、記憶が戻るかもしれません。そうじゃなければ、あの方がショックを乗り越えたら記憶が回復するかもしれません」

「そうですか……」


 男性の家族が心配しているだろうに連絡できないのが、ローズマリーには歯がゆかった。

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