第4話 食堂の未亡人
カールがマリオンと音信を絶ってしばらくしたある日のこと――
特にカールを妬んでいる同室の男が彼に絡んできた。
「カール、最近、お前の女から手紙が来ないな?振られたんだろ?無理もないよな。脚が不自由な上にこんな僻地にいて会えないんだから」
ただでさえ醜い男は、人の不幸を蜜の味とばかりに不気味に口角を上げた。
「あの方は俺の『女』なんて呼んでよい女性ではない」
「だから操を立てて娼婦を買わないのか?お前、脚が1本駄目でも3本目の脚はイケるだろ?それともその脚と同じで不能なのか?」
「そんな下品なことを言われる筋はない」
「お高くとまっちゃってぇ。食堂のおばさん達がお前に夢中だってよ、据え膳食ったらどう?あー、不能だから無理なのか。それともババア相手じゃ勃たないか」
男はニヤニヤしながらカールの左脚を蹴ろうとしたが、カールは右足を軸にして男が思うよりも素早くかわした。空振りで身体のバランスを崩した男は無様に床に転がった。
「何すんだ、コイツ!」
怒りで真っ赤になった男がカールのシャツの襟を掴んで殴ろうとした所を、他の同室の男達が止めた。
「おい、止めろよ、寮内で暴力沙汰になったら俺達まで懲罰牢行きじゃないか」
「お前、最近カールに当たってばかりだな。娼婦抱いて発散して来いよ」
とばっちりを受けたくない同室の男達は狂暴な男を適当にいなした。
警備隊は女性隊員を採用しないので、基地の寮に女性は住んでいない。基地に交代で派遣される娼婦以外は、街から通いで掃除、洗濯、炊事をする中高年女性が勤務しているだけだ。そんな特殊な環境では、需要と供給が上手いこと成り立つ。金欠かつ女日照りの隊員は年上の女性従業員と関係を持って性欲を鎮め、女性従業員は基地以外では相手にされないような年下の逞しい肉体のもたらす快楽を楽しむ。
通いの女性従業員で一番若いインガは女盛りの38歳、カールの一回り上である。同僚達と違って隊員との情交には興味を持っていない。若い頃に比べて腹や臀部、二の腕の肉付きが少しよくなったものの、肉感的な身体はまだ十分に男達の性欲を引き寄せられる。だからよく隊員から後腐れのない関係を求められて声をかけられるが、専ら無視することにしていて隊員の名前も覚えていない。彼女にとって今も亡き夫が唯一愛する男性だし、どうせほとんどの隊員はすぐにいなくなるからだ。
食堂の同僚達は一番若いインガに重い食料品の運搬をいつも頼む。男達に一番もてて同僚の嫉妬を集めていることにインガは気付いているので、余程のことがない限り、触らぬ神に祟りなしとばかりにハイハイと同僚達の言うことを聞くことにしている。
ある日、インガは言われた通り、食料庫で小麦粉の麻袋を台車に積み替え、台所へ向かった。麻袋を高く積み上げているので、前がよく見えないかなと少し不安に思ったものの、何度も往復したくない気持ちが勝り、必要な分の袋全部をいっぺんに台車に積んだ。そろそろと台車を押して後少しで台所に着くと廊下でほっと一息ついたら、台車はすぐに停まらず、誰かにドスッと当たった。麻袋がスローモーションのように白い煙をもうもうとあげながら落ちていく。袋を掴もうとしたが、重すぎて無理だ。
「ああーっ!すみません!」
短気な隊員が多いので、インガは顔色を青くした。もしかしたら相手によってはお詫びに関係を迫られるかもしれない。でもそう思ったのは杞憂だった。
「大丈夫ですよ。気にしないで」
麻袋をどけて立ち上がった隊員は怒った様子も見せずに袋を台車の上に戻し、服と髪に付いた粉を軽く叩いて落とした。
「床が粉だらけですね。箒と雑巾はどこにありますか?」
「あ、いえ、私のミスですので、自分で掃除します」
「そうですか。それじゃ、台車は台所に持って行っておきます」
あっさりそう言ってその隊員は左脚を引きずりながら台車を押していった。その後ろ姿をインガはあっけにとられて見ていて名前を聞くのを忘れたが、台所でそれはすぐに判明した。
「インガ!あんた、何でカールさんに手伝ってもらったんだ!あんたの仕事だろ!」
「全く男に媚を売ってばかりで嫌な女だよ」
日頃は目を瞑ってやり過ごすことの多いインガだったが、なぜかその時は見過ごせなかった。
「粉袋を落としてしまったのを手伝っていただいただけです!」
「あんたのミスの尻ぬぐいを隊員にさせるとは流石魔性の女だね」
「袋を落としたのは確かに私のミスです。でも媚を売って助けてもらったんじゃありません!」
同僚達はまだやいのやいのうるさく言っていたが、インガは無視して大量の小麦粉でパン種を作り始めた。
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