クリームソーダは食事のあとに

樹村 連

食事のあとに

 わたしは食事が好きだ。正確には食べるだけの行事そのものが好きなのではなく、食べ終わって一息つく時の余韻が好きなのだ。腹の中が7割くらい、食べた物で満たされている感覚がなんとも心地よい。窮屈でなくしかも寂しくない心持ちになれるのだ。

 街中の洒落た喫茶店(基本的には純喫茶)など行くと、大抵は店ごとに異なる甘味を用意してある。カステラ、チーズケーキ、パフェ。羊羹やぜんざいを出す喫茶店もあった。そう言った甘さたっぷりなメニューがしゃべくり漫才のボケだとすると、深い苦味のあるコーヒーや重厚な渋みのある茶などがツッコミの役目を果たすにふさわしいと言えよう。実にこの上なくバランスの取れた組み合わせだ。


 席についてすぐ、ウエイトレスがよく冷えた水の入ったコップとおしぼりを持ってきた。海外ではタダで水を出してくれる飲食店はそうそうない。特に西洋では。例えばアメリカなら『ミネラルウォーター』、ドイツなら『ミネラルヴァッサー』、フランスなら『オゥミネラル』、ロシアなら『ミネラルナヤヴォーダ』、と注文する必要がある。日本では客が席について1分経たぬ間に、何も注文していなくとも水か茶がサービスされる。しかも普通の水ではない。『お冷や』という、いわゆる女房ことばで飾りつけられた粋な飲み物だ。

 巻物の如く巻かれ、寝転がっている湿った布の名はおしぼりだ。おしぼりは今や紙製の薄っぺらいそれに移行しつつある。もちろん、その方がいちいち洗ったりおしぼりを取り扱う業者へ返却する必要なく燃えるゴミとして片付けられるのは承知だ。だが布のおしぼりは日本の文化の一端である。これもサービスのひとつ、おもてなしの一環であり客が手を綺麗にして気持ちよく食事ができるように、という心がけそのものといえよう。野郎達はおしぼりを大胆に広げて喉や顔を拭くがそれも一興だ。一種の野趣で大らかな精神だろう。

 ウエイトレスが品書き、つまるところのメニューを置いていった。近頃では男女平等を叫ぶ者たちが『ウェイター』『ウエイトレス』の呼び方はやめるべきだ、としてそれに代わる呼称『スタッフ』などを提唱している。呼び方を変える、工夫するのは結構だ。私にとっては何ら影響はない。しかし、私が生まれた時から彼らは『ウェイター』『ウエイトレス』だった、彼ら自身のアイデンティティだったのだ。

 メニューを開くと、やはり喫茶店らしくコーヒーを大々的に勧めている。豆の産地や苦味、酸味の度合い、ミルクを入れるか砂糖を入れるか、など。その隣のページに移ると、そこは甘さのヌード写真集と化していた。生クリームの丘、ミルフィーユの活断層、プリンアラモードの生態系。どれもこれもメニューを見る者の目を奪い、一生離さんばかりに輝いている。だが、私はあえてそこから先の空間へと歩みを進める。そこに私の好物があるからだ。メニューのしんがり、喫茶店名物であるコーヒーや紅茶とは異なるカテゴリに分けられたソフトドリンクの欄。まさにそこに宝はあった。が、実体がない。先ほどまで私の視覚を握りしめていた甘味にはあった写真がソフトドリンクの項目には一切なかった。しかし、それもむしろ私の好奇心を駆り立てた。照準は定まった。運命の輪が閉じ、完結しようとしている。

「クリームソーダください」

「かしこまりました」


 日本を除く世界の国々では、一般に『cream soda』とは、コーラやルートビアとミルクを主な材料とし、バニラなどの風味を付けた飲料を指す。水面が泡立っているがそれだけで、アクセントになるような彩りは特に添えられていない。きっと、日本に旅行に来てふらりと立ち寄った喫茶店で『cream soda』を注文した外国人はさぞ腰を抜かしたに違いない。食べ物と飲み物を全く同じタイミングで日本人は食すのか。『cream soda』は?どこにいった?炭酸飲料とアイスクリームしか見当たらない。

 とか何とか考えているうちにウエイトレスの声が聞こえてきて、私の目の前に天国を凝縮した物体が降臨した。透明な器には鮮やかな緑色の液体が泡を立てており、泡は歓喜の声を上げて液体から脱出している。泡が浮かんで行く先にはそれを祝福する天使がいた。黄色味がかった白い球体が顔を出しており泡とは逆に彼は液体へ身を溶け込ませようとする。何しろ溶けることについては何者の追随を許さない存在だ。そして、一種の芸術的なポイントとしてリキュールに漬けられ真紅を纏った桜桃がちょこんと、妖精のように白い球体のそばに添えられている。こうしてみるとこのクリームソーダはまるで躍動する生命のように見えなくもない。

 早速私はこの生命の集まりを破壊し、蹂躙し、我が肉体へと変換することに着手した。まずは緑色の液体を味わう。管を通って口の中に入ってきたメロンソーダは、暴れ出し、狂喜乱舞する。舌に刺激が走る。喉を稲妻が通過する。爽快感が脳の緊張を一気に解していく。次に、アイスクリーム。やはりアイスクリームはバニラの風味に限る。あの何とも言えない、優しさというか、和やかさが心を掴んで離さない。もし地球上からバニラという植物が絶滅しても、バニラの味は向こう1000年は人類の記憶に残っているだろう。スプーンでアイスクリームの側面を削り取り、舌先で撫でる。舌がアヘ顔になった。口の中は一気に冬になった。

 気づけば私は、アイスクリームとメロンソーダを上下にかき混ぜ、魔法の液体を作っていた。アイスクリームは溶け切らないうちに食べたいものだが、どうしてもクリームソーダを楽しむ機会に恵まれるとこれをしてしまう。ドロドロのトロトロになった液体が透明な器のマジョリティだ。あとは、真紅の妖精と、縁の下の力持ちたる氷だ。匙を前後左右に動かして液体を胃の中に私は流し入れた。あっという間だった。口の中はもう、乱行パーティーだ。アイスクリームとメロンソーダがシックスナインになりめちゃくちゃに犯し合っている。私の味覚はそれを映し取る高性能なビデオカメラで、私の脳は乱行を上手く編集して最高の感覚を作り出す。幸福、それしかない。一息して、私はスプーンで器のそこに追い詰められ丸裸になった妖精を確保した。液体が絡んで身動きが取れないそれを、私は一気に口に放り込んだ。数秒後、軽い音がして妖精の遺骨がコップの底に落下した。


 楽しかったクリームソーダの祭りも終焉し、クレジットに差し掛かった。もぬけの殻になった器を見つめ、私は水を飲む。水で先ほどの幸福の味を洗い流すのは惜しいが、これも然るべき運命だ。ウエイトレスが器を回収していった。私は代金を払い、深く深呼吸をして帰路に着いた。また新たなクリームソーダに出会うために。

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