第1話 ソビエトの軛

 地球には『タタールの軛』という言葉がある。これはユーラシア大陸の大部分を占めるロシアでの、東方から来た遊牧民族による支配の時代を意味するが、ことノーシア大陸においては別世界からの侵略者がこの遊牧民族の役割を果たした。


 大陸標準暦1045年8月、ノーシア大陸の北方地域と東方地域は、手付かずの資源と広大な土地を求めて、『王制支配からの解放』の名の下に侵攻してきたソビエト連邦赤軍の赤き津波に呑まれた。既存の文化や政治システムは共産主義に破壊されていき、後の世の歴史研究家は『もし侵攻があと5年も続けられていたのなら、大陸から全ての神秘が消え失せていたであろう』と述べている。


 だがそうはならなかったのは、地球世界における国際的な動きと、西欧諸国の介入があったからであった。西暦1950年に始まった朝鮮戦争はソビエト連邦から異世界に対する干渉の規模を弱める事に繋がり、さらにノーシアの魔法使いが祖国を守るために西欧諸国に接触した事で、冷戦の構図を拡大させたいアメリカとイギリスは大々的な支援を決定。ソビエト連邦はこれ以上の『解放』が不可能となり、大陸に再びの平穏が戻ったのである。


 スカディア王国が誕生したのは、西欧諸国の支援で大陸西部の国々が持ち直す前の頃であった。赤軍の猛攻で滅亡した魔王の国と、魔王を倒すべく派遣された勇者の一行は、スカディア地方の山々に立て籠もり、この世界独自の技術たる魔法を用いてゲリラ戦術を実施。甚大な被害を前にソビエト赤軍の歴戦の軍人は、フィンランドの地で行われた冬戦争と継続戦争の悪夢を想起せずにはいられなかった。


 やがて大陸西部の国々が連合軍を組み、欧米諸国からの義勇兵で構成される大軍で逆襲の狼煙を上げ始める中、勇者は赤軍の戦線司令部に対して接触。ある要求を持ち掛けた。


『我々の国としての独立を認めてくれるのなら、我らは西の国々に対する壁となろう』


 当時、モスクワの上層部は戦争の落としどころを探していた。占領した地域では新たに幾つかの人民共和国が打ち建てられているが、実際のところは本国からの駐留軍と移住者によって国家としての呈を成しているという状況。そのため自国に対して友好的な緩衝国が必要だった。まさに勇者の要求は渡りに船であった。


 斯くして大陸標準暦1055年5月9日、スカディアの地にて勇者は国家としての独立を宣言。ソビエト連邦は積極的な経済・軍事支援を行い、勇者は国王ヘーシア1世として国家の近代化と国力増強に取り組んだ。


「ソビエトからの要求は過酷の一言に過ぎたが、独立から僅か5年で状況は一変した。これまで軍事力で支配を続けてきた東の人民共和国群にて、完全な独立を求める反乱が頻発し、我が国に対して干渉する余裕がなくなったからだ。そして我が国はこの機を見逃さず、独自のさらなる発展に務めた」


 ヘーシア1世自身は回顧録にてそう記した様に、表向きには共産主義体制を採用しつつも、ソビエトの指導者がニキータ・フルシチョフ書記長に替わったのを契機に、段階的にユーゴスラビア社会主義連邦共和国に範を取った独自体制へと変えていった。主要産業たる農業は当初は国営企業によって管理されたが、西側との貿易が始まった後は民営化と農業労働組合への管理委託に切り替わり、国家の経済に対する支配は工業と金融業へとシフトしていった。彼の経済政策は『最初は国と国王たる余が直接育て、成熟の期を計って民へと託す』というものであった。


 しかし軍事力に関してはソ連からの完全な依存脱却を望まなかった。独立間もない上に科学技術を解する者がほとんどいない祖国の実情を踏まえれば妥当な判断であるし、何より人口が独立直後で50万人と少ない状況で、西の国々と対立関係にあるのは厳しすぎた。


 そうして時は20年もの月日が流れる。人口はソビエト連邦からの移住者受け入れや、魔人の総称に属する者達の急激な増加、様々な人種・種族の混血種である『スカディアン』の誕生により800万人へと急増。高い出生率と高度な義務教育、そして優秀な医療制度や社会保障制度がこの人口増加を支えていた。


 産業も急速に発展している。農業はソ連から大量に輸入した農機具や、西側より得た農業技術によって機械化を達成し、少人数で膨大な量の食料を生産。高い自給率を達成していた。さらにスカディアの恵みはこれだけに留まらず、膨大な地下資源の採掘と開発、加工に輸出はこの国の工業を大きく進展させた。


 手先が器用な事で知られるエルフと、金属の扱いに長けたドワーフが労働者として働く事により、ソ連本国製よりも精度の高い製品がノーシアで出回る様になり、後に工業地帯が形成されたヤルビア平原の名から取って『ヤルビアの奇跡』と呼ばれる高度経済成長を支える事となる。


 そして大陸暦1075年、スカディア王国は20度目の独立記念日を迎えようとしていた。

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