第2話 空へ

 それからどういうわけか父さんが毎朝どこかへ出かけていた。

 朝食は僕だけ食べるよう言われていて、学校へ行こうとする時間になっても帰ってこなかった。

 さすがに僕が学校から戻るころにはいつものように、泉で冷やしてい茶色い液体の入った小瓶をたしなんでいたけど、どこに言っていたのか聞いてもちょっとした宝探しとだけ言って何をしてきたのか話してはくれなかった。

 そのおおよそ一週間くらい。僕はリンクスを避けていた。帰りも一人で帰ったし、ジンたちにまた何かいたずらをされないように先生の周りをうろうろして自分の身を守っていた。

 仮に、まともに話をしてしまったらきっと言いくるめられる。好奇心はないこともないけど……、いざとなるとやっぱり怖い。

 だから逃げて逃げて逃げて、甘い汁をすする日を僕は愛おしくさえ感じていた。

 ところが、そんな甘美な日常は長くは続かない。

 しびれを切らしたリンクスが、僕の家の前で仁王立ちをしていた。機嫌が悪いのは目の動きで分かる。

「で、どうして私を避けるの?」

「ごめん、宿題あるから」

「そんなもん夜にでもやればいいじゃない。今日は満月なんだし」

 東洋の方では月明かりで勉強をしたという子供がいるらしいけど、僕のことではない。

「レース、逃げないよね?」

「まさか……。でも、今はそれどころじゃないから」

「ほんと? 逃げてない? ならどうして私の目をみてものを言えないの?」

 尋問されると言葉が詰まる。だって本当は何もしてないし、逃げていたから。レースもうやむやになってしまえばそれでいいとさえ思っていた。

「もういい……。おじさんに直接話す」

「ちょっ……、それだけは」

 僕がリンクスの服をつかむより早く、リンクスは僕の家の敷地内に入ってしまう。僕も後ろを追いかけるも、泉のほとりで父さんと目が合ってしまう。

 なんだか気まずそうな父さんは、後ろに何か巨大なものを隠している。巨大なので隠しようもないのだけど、それをどうやら磨いていたらしい。

「おじさん、ちょっといい?」

「なんだ? リンクスじゃないか。元気にしてたか?」

「話があるの」

「悪いがもう少しで磨き終わるんだ。後にしてくれないか?」

「磨いてる……?」

「あぁ、実はこの間フロントに飛行機をせがませてな……」

【飛行】のあたりですでにリンクスは動いていた。

 父さんの背後の巨大な何か。ボロをかぶせられただけのサプライズにしては隠し方が甘い、人が乗れそうなほど大きいものは……。


「飛行機だ……」


 僕は息をのんだ。布越しではあるけど、フォルムに重みがある。まるで博物館に展示してある模型そのもののよう。

 生きてる。

 どういうわけか、その言葉が一番しっくりくる機体だった。

「お前が俺にねだるなんてそうそうないからな。旧軍事施設を回って廃品回収をしていた。使えないものでも、俺の手にかかればこんなもんだ」

「まさか、私を驚かせるためにこんな……?」

 ちらっと父さんが僕のほうをみて少し考えたのは気のせいだろうか。できればそうであってほしいと僕は願った。

「すまなんなリンクス。フロントから口止めをされていた」

「父さん!」と言ってしまった。後から思ったのは、この発言は父さんのいった嘘を肯定する意味に聞こえてしまう。

「機体はおんぼろだが練習機としては十分だろう。ただ、問題がある。機体の問題ではない、俺の問題だ」

 翼を磨いていた父さんはそういうと僕に向き直る。

「レースには使用しないこと。カパラの壁が現れる予兆がみられたら直ちに使用を中断すること、野暮な乗り方はしないこと。これらが守れない場合は、俺がこいつを焼却処分する」

「大丈夫よ。フロント、これから大きくなるのに車じゃ移動が大変でしょ? 私が乗り方教えてあげるの! いいでしょおじさん?」

 リンクスは呆然としていた僕にさりげなく目配せをする。要するにここは自分が何とかするからお前は黙ってろってことなんだろう。

「……まぁ、仕方ない。フロント、くれぐれも注意するんだぞ? 慣れないうちはあまり高度を上げるな。それと、仲良くな?」

 どこか薄い笑みを浮かべた父さんが布をはぎとる。そこにはプロペラを挟むように翼があった。

「でもおじさん、軍事施設からの廃品を集めてきたってことは……」

「安心しろ。すべての武器弾薬は外してある」

「でも、国旗とかはどうなるの?」

「お前も、気にしすぎだ。ちゃんと塗りつぶしてある。ここまでして敵国が攻めてきたなどと妄想を膨らませる奴は、よほどの軍事マニアか、それを政治利用したいだけの頭のおかしな政治家位だろ」


 砂漠の国の不便なところは3つある。

 1つは水事情。地下水でもなければ物の三日で干上がってしまう。一番安直で思いつきやすい問題点だろう。

 2つ目は、口にするものすべてに砂が混じるということ。パンにしろ、焼き魚にしろ、水にしろ、口にする瞬間にどころからか風が砂を運んでくる。大昔の文献だと、それで歯をボロボロにした王様がいたみたいだ。

 そして、3つ目の問題点。車で移動するより、自力で歩いたほうが早いということ。そして、大きな戦争を経てこの国はとあるものを移動手段として考え付いた。

「私が遊びに来ていたころより、滑走路あれたんじゃない? おじさんは自分の持ってないの?」

 莫大な土地を有しているこの国の国民は、自分の家の敷地内にちょっとした滑走路を設けていて、そこから昔使っていた戦闘機で移動することを考えた。もちろん武器や弾薬は安全のために全部外すんだけど。

 僕の家の滑走路は荒れていた。砂埃で路面に引いた白線は見えなくなっていて停止位置よくわからないありさまだ。

 兄さんがいたころは、こんなことはなかったんだけど。

「もってないよ。兄さんがいなくなってから誰も使ってない」

 僕はまだ飛行機の操縦ができないし、今からこの突き抜けるような青空に身を投げることを想像するだけで吐き気がする。だからとりあえずここまではリンクスに持って来てもらう。飛ぶほどの距離もないので、ゆっくりとした移動速度で地を這うように。僕のものになるだろうこのプロペラ機は横から見ると圧倒される。大きなプロペラは高速回転で近づくものを容赦なく切りくずし、大きな翼は僕の知りえない場所へと僕を置き去りにするのにうってつけの装備だった。

「どうする? 後ろ乗ってみる? さすがに私もいきなり操縦しろだなんて無茶言わないから」

 操縦席から顔をのぞかせるリンクスは、どこか楽し気に笑みを浮かべていた。

「お先にどうぞ。僕はここから見ておくよ」

「じゃあ、見てて」

 リンクスは僕に向かって親指を突き立てると、けたたましいエンジン音を轟かせ僕を横切り加速していく。

 砂埃を漂わせ、徐々に速度を上げていく姿を見るのは兄さんがレースに出たあの日以来。少しだけ胸が高なっている僕がいた。

 滑走路の距離は全長一キロ。だだっ広い土地だけが取り柄の砂の国だから実現できる巨大な庭だ。その滑走路を、僕の練習機が唸り声をあげてすっと地面から離れていく。

 リンクスはいつの間に操縦できるようになったんだろう。教室で教えてくれるなんて話をされたときには、無茶な話だと顔が青ざめた。でも、現実のリンクスは僕が知っているリンクスじゃなかった。空を飛び、そのまま1回転して見せた。きっと誰か怖い先輩かなんかに教わったに違いない。そう思うとなぜだかリンクスの操縦を見る気にはなれなかった。

 きっとその先輩に教わったのは、空の飛び方だけじゃないはずだから。

 太陽と練習機が重なり、大きな影が僕の頭上を通過した。僕は滑走路わきのヤシの幹に腰を下ろし、いつものように小説を読む。

 風を感じ、気温を感じ、肌に刺さる日差しもあるけど、子供のころから僕はこの時間が一番好きだ。誰にも邪魔をされることのない僕だけの世界。その世界を壊したのが兄さんと――

「ちょっと! なんでまた本なんて読んでんのよ!? 次、フロントの番だからね!?」

 突如として僕の頭上を覆う影はいつの間にか着陸していたリンクスだった。両手を腰にあてがって、さも怒ってますよって感じだ。

「……明日にしない? もう日も暮れるし」

「明日やろうはばかやろうって言うでしょ? そんなこともその小説は教えてくれないわけ!? いいからさっさと立つ」

 言われて僕はしぶしぶ立つ。

 絞首台を前にする囚人というのはこんな気分なんだろうか。さっきまで大空を舞っていた二枚羽の機体が、僕を殺すための装置にしか見えない。足はすくみ、時間の経過とともに気持ちが小さくなりしぼんでいく……。僕はなんのためにここにいるんだろう。

 このまま時間が過ぎ去ればいいと足元を見ていたら、勝手に僕の体は意思とは関係なく前に進んでしまった。

「私の言うとおりに動かすだけよ? ほら、行くわよ」

 リンクスが僕の手を引き、どんどん機体に進んでいく。そして鉄のように固くなった僕の体を強引に操縦席に詰め込んでしまう。

 直射日光で照りつけられたシートは焼けるように熱く、思わず飛びのいてしまうところだった。

 そして、目の前には謎の計器やスイッチやコック。どれも名称も知らないし、効能も知らない。

「いい? 後ろに女の子乗せてるんだってこと忘れないで」

「そんなこと言われても僕には……」

「俺」

「え?!」

「これからは舐められないように態度も変えていかないとね」

 後ろから体を乗り出したリンクスが、僕の手をつかんでコックに置く。

「これが推進力を出すための装置。最初はゆっくり前に倒していくの。そして、機体が水平になったら元の位置に戻す。大事なのは勢いよ。フロント、あなたならできる」

 耳元でささやかれ、一気に肩の力が抜けた。

 ここまで来たら一か八かだ。

 ゆっくり加速しだした機体は次第に無重力にでもいるかのような反発作用で軽く宙に浮いた。

「あ、ああ……。僕……、俺、飛んでる……!」僕は思わず声が上ずってしまう。

「大丈夫。私がついてる。ほら。もうあなたの家なんて小さくなってる」

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