第5話
「人をいじめる奴は、傷つけられたことがない。そんな奴だと思ってたみたいよ。」
昼休みの保健室。田中先生が俺に話しかけて来た。
「何の話ですか?」
「鈴木さんの話よ。急に貴方に友好的になったと思わない?」
先生は教えてくれた。俺と鈴木が殴り合いの喧嘩をして、午前中に帰った日の話。
俺の家庭環境を鈴木に説明したそうだ。
「イジメるのは許せない。けど、彼も被害者だったんじゃないかって。佐藤君を理解しようと必死だったみたいよ。あとはいきなり手を出した申し訳なさもあったのかな。」
だからやたら積極的に話しかけてきたのか。
鈴木は優秀な女の子だ。勉強もできて、明るくて優しい性格だと思う。
それでも俺と一緒にいて、何も感じず楽しんでる訳が無い。
鈴木の人生を壊した人間と俺は同種だから。
だから鈴木に俺も何かしたいと思った。
それでも…
「なぁ先生。俺どうしたら良いと思う?」
俺の人生には彼女と関わるすべが無かった。
殴ってもこの悩みは壊せないし、大声を出してもこの気持ちは届かない。
案の定返答は返ってこなかった。
やっぱり俺がこんな事思ったらいけないよな。
先生の顔を見上げると、きょとんとした表情で俺を見つめていた。
「どうしました?」
「・・・・・あ、いや。なんか佐藤君に助けを求められたの初めてだったからビックリしちゃった。」
そういえば、先生に助けを求めたのは初めてかもしれない。
俺に頼られたのがそんなに嬉しかったのか、
「大丈夫!任せて!」と今までにない程嬉しそうに先生は言って、俺にアドバイスをくれた。
それから数分後、鈴木が保健室に帰って来た。
「そういえば私良い物持って来てるんだ。これあげる。」
帰ってくるなり鈴木がそう言うと、通学鞄から
透明の袋に入ったクッキーを渡された。
抹茶とチョコで味付けされたであろう緑色と黒色のクッキーが2枚ずつ入ってた。
とても美味しそうに見えた。周りに撒かれた全然好きじゃないピンクのリボンすら綺麗に見えた。
おそらくこのタイミングだ。
先生から教えてもらったアドバイスを実践する。
彼女の行動で嬉しいと感じたらまず「ありがとう」って言ってあげて。そういう感謝の交換で心は満たし、満たされ合う物だから。
俺にはまだ難しくて少ししか先生の言ったことはわからなかった。
けど言うんだ。少しだけ鈴木に近づいてみたいから。
「うん。ありがとう。」
俺はクッキーを眺めてたので、鈴木の表情は見えてないけど、驚いてるのはわかる。
勉強を教えてもらった時も、宿題を手伝ってもらった時も、参考書をかしてもらったときも俺は一度も「ありがとう」と感謝を伝えたことはなかった。
死ねって言われないかな。またボールペンで刺されないかな。
ゆっくり鈴木の顔をみると、やはり驚いた表情をしていた。けどその後ふふ。と口元に手をあて控えめに笑った。
「うん。味わって食べてね。」
その笑顔が俺に向けた物なのが、心底嬉しかった。
下校中なのに、通学鞄も持たず帰路についていた。
一度家に帰ったが、保健室に宿題を忘れ仕方なく引き返したのだ。
二度目の帰宅を果たすと玄関にはさっき無かった赤いヒールが置いてあった。
あの女が来てるのか。
その事実だけで、気が滅入りこの家に居たくない。
どこか図書館にでも行こうかと考え、鞄を取ろうとした時だった。
あれ?クッキーが無い。
潰れないように手で持って来て鞄の上に置いたはずだが何処にもない。
記憶違いかもしれないと考え台所に歩いていく。
地面に転がる空缶が足に当たってカラカラ音を立てて転がる。
「あ、おかえり〜。帰ってきたんだ。」
居間の方から声が聞こえ足を止めた。
女が優しそうな笑顔で俺に手を振った。
ああ。今日は機嫌良いのか。
この女の対応は日によって変わる。
初対面で会った小5の時、
「これからよろしくね!気安く話しかけて良いから!あとは何か困ったことがあったら何でも言ってね!」
と煌めく笑顔で言われた2日後気安く話しかけたら
「気安く話しかけてくんな。クソガキが。」とゴキブリを見る目で睨まれた時からこの女が嫌いだ。
一貫してクソな親父とは別の嫌悪があった。
いや今はこんな女どうでも良いんだ。
「どうも。」と軽く言った後、台所に視線を向けた。しかし思わず女の方をもう一度見てしまった。
勘違いであって欲しい。
今一瞬女の足元にピンクの何かが見えた気がした。
居間に駆け入った。そして、近づくと予感は的中した。
雑に捨てられたピンクのリボンと無理矢理引き裂かれた透明な袋。
それが地面に転がっていた。
「全部食べたの?」
吠えることしか脳の無い自分の口から出たとは思えないほど静かな声だった。
「ああ。うん。もしかして楽しみにしてた?ごめん。ごめん。でも甘すぎて微妙だったよ。それ。客に貰った高級クッキーの方がおいしかったし。あ、もしよかったら今度持ってこようか?絶対おいしいって言うから!」
親父は相変わらず興味なさそうにスマホを弄ってた。
不思議だった。ここまでコケにされたのに怒りが全く湧いてこない。
その代わり明確な目的意識と行動力が際限なく内側から溢れ出た。
俺は黙って台所に向かった。普段避けるペットボトルや空缶を踏み潰して進む。
そして手に包丁を持った。その行動に驚くほど迷いが無かった。
居間の入り口付近に戻ってきた時だ。
鈴木の顔が頭に浮かんだ。
どうやったら救われる?今この感情はどこにぶつければ良い。内側に燃える火は勢いを落とした。しかし再度視界に入ったピンクのリボンが火を燃え上がらせた。
『殺れ』
『いくな』
『殺れ』
『いくな』
そんな問答を繰り返す中、包丁が手から落ちた。廊下にキンという金属の落ちる音が鳴った。
それが合図だった。俺は走った。
まずは親父の元に駆け寄って、飛び蹴りを放った。完全に不意を突かれ受け身も取れず、頭を壁にぶつけ倒れていた。ざまぁみろ。
そこから馬乗りになって何度も顔面を殴りつけた。親父は鼻血は垂らしていたが、力では勝てないので簡単に俺をはねのけ、立ち上がられてしまう。
いつもみたいに怒鳴る事はしないが、俺を見据えるその目は恐ろしく冷たかった。
「お前殺される覚悟できてるよな?」
「ねぇやめなよ。」
女が親父を止めようとする。それがムカついたので、地面に落ちてたペットボトルを投げつけて、女の顔に当てた。中身がまだ少し入ってたので中身が飛沫きバシャという音が鳴った。
「いった…」
「ばーか。」
その発言に腹を立てたのか、女も奇声をあげ俺に近づいてくる。
そこからの記憶は曖昧だ。
俺の記憶は親父に壁に叩きつけられた所で途切れてる。
倒れた俺を、大人二人がサッカーボールみたいに蹴る衝撃と、「死ね!」「クソガキが!」という怒号の子守唄の中意識が闇に消えてった。
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