第6話 再会

 市場で軽く昼食を取った後、エリサは冒険者ギルドへと向かった。

 冒険者ギルドは荒事を主体としたあらゆる仕事を、それを生業とする者達に斡旋したり、支援したりする組合である。魔物狩り師は森での魔物狩りを専門に行う冒険者という扱いであるため、エリサもこのギルドに登録しているのだ。

 冒険者ギルドの会員になると、裏にある鍛錬場がタダで使える。エリサはそれを目的に訪れたのだった。たとえ森に行かずとも、毎日体を動かさなければなまってしまう。弱いなら弱いなりにそれ以上技術が下がらぬように努力し続けなければならない。

「誰もいねぇ」

 いつもは初級の冒険者や、彼等を指導する中上級冒険者達が必ず何人かはいるはずなのだが、今日は誰もいなかった。場所を広々と使えるのは喜ばしい反面、鍛錬相手がおらず、アドバイスももらえないのは残念である。

 仕方ないのでいつも一人で鍛錬する時のように素振りや型の流し、そして仮想敵を相手に双剣を振るう。キングトロールを眼前にした時の恐怖が蘇るが、呼吸を整えて無理矢理抑え込む。

 かつて師は、いつでも初心を忘れず、基本を疎かにしてはならないと、何度も何度も口にしていた。エリサはそれに忠実に従っていた。体に染みついたその基本と型に、実際に命を救われたこともあるので、なおさら重視していた。

 ──そしてもう一つ、同じくらい言われたことがある。

 それは、己を律することを忘れるな、礼節を極めろ、お前の力は他者を脅かす暴力なのだから、である。

 武器とは殺しの道具だ。それを手に戦う道を選ぶなら、振るう場面を間違ってはならないと、師はことさら強く主張していた。その通りだとエリサも考えているので、忘れないように心がけている。冒険者の中には時折、自分の強さに溺れて道を踏み外し、他者を虐げたりする者がいるが、そういう奴等を見ると本当に胸糞悪かった。

 エリサは自覚していないが、彼女の心が恐怖で折れなかったのは、己を律する訓練をしていたことが大きい。恐怖は剣を鈍らせる。

「……」

 思えば、師匠は本当に強かった。師事した時には既に老齢であったが、現役時代は上級か特級の魔物狩り師に匹敵していたのではないか。過去を話したがらない人だったので、かつて何をしていたのかは全く知らないが。

 師の動きを思い出し、同じように動けないものかと何度も試してみた。しかし記憶通りにはいかない。何かが違うのは分かるのだが、何をどうすればいいか皆目見当もつかない。お前ならここまではできると言われていた動きに、未だ到達できていない現状が歯がゆく、とてももどかしかった。

「駄目だ、駄目だ」

 エリサは首を振った。焦りも剣を鈍らせる。己を律することを忘れるな。

 深呼吸をして剣に集中する。

 そして再び振るい始めた。






 鍛錬を終えてギルドのエントランスに戻ると、異様に静まり返っていた。

「あ」

 原因はすぐに分かる。

 ──金と青の目と視線が合った。

「バン殿」

 エリサは身を強張らせた。緊張と……これはときめきというヤツか。

 ウォーハンマをぶん回していた特級魔物狩り師は、蒼い刺繍で縁取られた砂色のシャツに濃紺のパンツ、腰にはショートソードという軽い恰好をしていた。上がっていた前髪もざんばらに下がっている。

 町で過ごす時はそういう服装になるのかぁ、などと顔がにやけそうになるのを必死でこらえる。

「おや、エリサ君じゃないか」

 少し後ろにクリストファーがいた。こちらも黒いハイネックシャツとパンツ、そして灰色のサーコートと短剣という出で立ちだ。ただ、クリストファーはたびたび見かけるので新鮮さはない。

「お疲れ様です」

 エリサは我に返って歩み寄り、二人に頭を下げた。

「一昨日は本当にありがとうございました。お陰様でこうして無事町に戻ることができました」

「なんのなんの。皆無事で何よりだよ。ねぇ?」

 クリストファーがバンに返事を促す。

「あぁ。……鍛錬場に行っていたのか?」

 肯定してから、エリサの双剣を見てバンがたずねる。エリサはうなずいた。

「はい。今回の無力さが身に染みたので」

 苦笑するしかない。

「頑張るね。頼もしいよ」

 クリストファーは感心したように何度も首肯する。

「恐縮です」

 やはりそれなりの境地にいる人は人間ができていて言動が優しい。それと同時に己の弱さを自覚して申し訳なくなる。

「お引止めして申し訳ありません。本当にありがとうございました。それでは、アタシはこれで」

「うん、それじゃぁね」

「ではな」

 もう一度頭を下げて、エリサは二人から離れた。ギルドに併設されている食堂へと、何気ない所作を意識して足早に逃げ込む。

 一直線にカウンターへ座り、それから机に突っ伏した。

「お前、よく平然と会話ができたな」

 二つ隣の席の中級冒険者の男が呆れながら声をかける。

「今のアタシを見て本当にそう思うか?」

「でも表には出してなかったじゃねぇか。クリストファーさんなら俺でも話しかけられるが、オッドアイズ・バンはおっかなくて無理だわ……」

 男は後ろ頭をかいてため息をつく。

「世話になったからお礼言わないワケにはいかないんだよ。それに優しい人だよ」

 確かにあの鍛え抜かれた巨体と髭の風貌は、見る人によっては臆するかもしれないし、特級という階位に気後れするのも分かる。しかしエリサは怖いとは思はなかった。カッコイイので緊張しているだけだ。

「いや、まぁ、悪い人ではないんだろうけどさ。特級だし」

 と男は肩をすくめる。特級に上がるにはその人となりも判断材料になる。力持つ者に名声を与えることになるので、悪用されないよう、厳正な審査が行われるのだ。

「その存在に慣れれば、そうでもなくなるんだろうけどね。普段ここにはいないしな」

 エリサは言う。

「そうなんだよな」

 うなずく男。

 近寄りがたい。それが、拠点の町以外でのオッドアイズ・バンの一般的な印象だった。






 そそくさと逃げるように食堂へ消えた背中を見送り、クリストファーは小さく笑った。

「緊張してたな」

「……」

 怖がられているわけではないものの、それでもなんとなく距離を置かれるというのはいつものことなので、バンは肩をすくめるに留める。それが、拠点でのオッドアイズ・バンの一般的な印象だった。

 つまり何処であっても近寄りがたい存在と見られているのだ。

「せめてもう少しその無愛想をどうにかすればいいのに」

「今さらか? むしろ引かれる」

「それはそうかも」

 クリストファーは想像して苦笑いを浮かべる。

「ところで、エリサ君の双剣を気にしていたね」

 バンの関心に目敏く気付いていたクリストファーは不思議そうにたずねた。何やら意味の有りそうな視線だと思ったのだが。

「……いや」

 しかしバンは答えずに、二階へと続く階段へと向かう。クリストファーはさらに問うことはせずに、肩をすくめてあとを追った。

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