第4話 悪夢
エリサ達が森の外へ脱出した頃には、もう日が暮れようとしていた。冒険者ギルドのキャンプである大きなコテージを囲むようにかがり火が焚かれ、宵闇が周辺へと追い払われている。
夕焼けから濃紺へとうつろう世界に、ぽわぽわと浮かぶオレンジ色の灯火を見て、エリサはやっと無事を実感して胸を撫で下ろした。公爵の強さを疑っているわけではないが、森を出るまでは緊張を解くことができなかった。
ここまで来れば安心である。
「やっと……森から出れた……」
「一時はどうなることかと思ったけど……」
スヴェンとシュリスも同じ心境だったようで、深いため息をともに安堵の言葉をこぼす。
「……」
もはや何も言う気力がないらしいユートルも同様の思いだろう。
「ほら、もう一踏ん張りだ。コテージの中へ行けばゆっくり休めるよ」
もう既に腰を落ち着けてしまいそうな四人を叱咤し、歩を促す公爵。最後の力を振り絞るようにして、エリサ達はコテージへと向かった。
コテージには宿泊用の部屋がいくつも備え付けられている。寝床は自前の夜営道具を使うことになるが、壁と天井で囲われた場所で寝ることができる安心感はとても重要だ。
しかもコテージには常駐している警備要員もいる。有事の際には自分達も戦力に加わらなくてはならないとはいえ、これほど心強い仮拠点はないだろう。
エリサ達は部屋に入ったとたん、食事も取ることなく、倒れるように眠った──
──キングトロールが繰り出した拳を、横へ飛びすさってかわしたまでは良かった。
しかしすぐさま方向転換したキングトロールは今度は逆の拳を放つ。
リーチと身体能力の差は歴然としており。
あ、かわせない。
エリサは着地と同時に大岩のような拳を正面から受け、
脳が揺れ、
骨が粉砕され、
視界が失われ、
エリサはひゅっと息を吸い込んで目を覚ました。
「はー、はー、はー、」
心臓が早鐘のように強く鼓動を繰り返す。荒い息を繰り返して抑えようと試みるが、ますます呼吸が苦しくなるばかり。
仕方なく、無理矢理息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。苦しくてもそれを繰り返す。
落ち着け、大丈夫だ、ただの夢だ、自分は助けられたのだ。
「……」
しかし、殴られた感触がまだはっきりと残っている。顔を押さえる。大丈夫、無事だ、破裂してなどいない。
ひどく気持ちが悪い。感触を消そうと顔面を両手で何度もこする。頭の奥に異物感がある。頭を振る。顔を押さえ、呼吸を繰り返す。
──あぁ、クソッ。
エリサは外套から抜け出した。息苦しくて、外の空気がほしかった。
双剣を手にし、周りの気配を探って眠っている三人を踏まないようにしながら、静かに部屋を出る。
廊下の壁に点々と灯された、精霊魔法による淡い光を頼りに、コテージの外へと足を運べば、ぬるい空気が肺に入り込んだ。
風はない。虫や蛙の鳴き声が耳を刺激するのみ。
鳴き声が聞こえるなら、周囲には異質な脅威がいないということだ。だがいつもなら聞こえるはずの夜行性の鳥の声はしないから、森は未だ危険な状態にあるのだろう。
「……」
深く、息を吸い、
深く、深く吐く。
もう一度吸い込み、ゆっくりと、吐く。
それから、
双剣を両の手に、構え、
「ふっ」
呼気を発し、一振り、そして二振り。
足を返して、さらに振り、さらに振り。
少しずつ動きを速くしていきながら、仮想の敵を斬り払う。
斬り払う。
斬り払う。
恐怖は考えない。
実力不足を自覚し、向き合うことは大事だ。
だが、それで折れてはならぬ。
できないことはある。できないことの方が多い。
しかし、できることもある。意外にある。
己の実力を見誤ってはならない。
戦い続けたいのなら。
「はっ!」
今はただ、集中し、双剣を振るう。
深夜、一時的にキャンプへ戻ってきたバンは、公爵の部屋の扉をノックした。
応えはすぐに返ってきた。声がはっきりしており、寝ていなかったのだと分かる。
部屋に入ると、室内の灯りは消されていて、公爵は窓際にいた。
「ご苦労様、バン。もう終わったのか?」
窓から入り込むかがり火の淡い明かりの中、公爵が労う。
「怪我をして動けなくなっていた未申請の狩人を連れてきただけだ。すぐにまた森へ入る」
「そうか」
「このような時間に訪れた俺が言うのもなんだが、起きていたのか」
今度はバンがたずねると、公爵は窓の外を顎をしゃくって差し示した。
「何を見ていた?」
窓に近付き、促されるままに外を見るバン。
──金色の髪を耳の下で切り揃えた若い女が双剣を振るっていた。
それは、まるで剣舞のようでありながら、敵を殺す技として非常に合理的で、一閃一閃が鋭い。
「……」
だがバンは惜しいと思った。筋肉の使い方に無駄がある。加えて、まだ目に頼りすぎている動きだ。既に合理的ではあるが、まだまだ改良できる余地は多い。
もっと経験を積めば、さらに伸びるだろう。
「エリサ、だったか」
剣士の名を思い出す。
「そう。中級の中ではそこそこの実力だって、仲間が言っていたね」
「そのようだな」
中級なら申し分ない実力だ。上級へ上がるなら今一つというところか。
「あれが、昼間死にかけた人間の剣だよ」
「!」
公爵の言葉にバンははっとした。
「死にかけていながら、あれだけ冷静に剣が振るえるか」
ならばかなりの胆力の持ち主と言える。
どんなに実力や才能があっても、絶対的強者と対峙して死にかけた者は、恐怖にさいなまれて戦技が陰る。中には心を折られ、級位が下がるか、最悪、引退を余儀なくされることも少なくない。
だが、彼女の剣からは恐れを感じなかった。
「こんな時間に剣を振ってるんだ、眠れなかったか、夢に叩き起こされたんだろうね」
悪夢を振り払おうとする強い意思と自制心が表れている、と公爵。
「何を、考えている?」
公爵から何かを企んでいるような気配を察し、バンはたずねた。
公爵はにやりと笑みを浮かべて見せた。
「見込みがあるかもしれないと思って」
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