第3話 合流

 腕が太いなぁとか、筋肉柔らかいけど硬いなぁとか。

 服越しだけど触れてるんだなぁとか。

 鎧脱いでも凄いんだろうなぁとか。

 とにもかくにも雑念がひどすぎる。その内容もひどすぎる。

 仕舞いそこねた双剣を抜き身で抱えながら、バンの腕の中でエリサはがちがちに緊張していた。

 先程まで死にかけていたというのに、奇跡的に救われて、なおかつ仲間が無事だと分かったとたんの、この体たらくである。なんだか精霊王に謝りたい気分になる。現金でゴメンナサイ、罰しないで。

 エリサがそんなことになっているとは全く思っていないだろうバンは、巨体に似合わぬ軽やか足取りで、森の中を駆け抜ける。女戦士一人の重さなど全く意にも介さない。それはそうだろう、何せウォーハンマーを軽々と振るう膂力の持ち主なのだから。

「……」

 凄いな、本当に。エリサは内心でため息をつく。

 このオッドアイズ・バンという魔物狩り師は、エリサでは全く歯の立たないキングトロールをたったの一撃で粉砕してしまった。しかも大した力も発揮せずに。

 さすが特級冠たる狩り師である。自分など、足元にも及ばない、どころの話ではない。

 どうすればそ境地に至れるのだろう──

「いたぞ」

 バンが短くそう告げた。うながされて前方を見れば、座り込む仲間三人の姿が。

「エリサ!!」

 シュリスの声が届く。長い燃えるような赤い髪を持つ、少し強気な目付きの同い年の仲間。立ち上がった彼女はたたらを踏んだが、それでもなんとか再び座り込むことなく走り出した。

「バン殿」

 エリサが下ろしてほしいと意思を伝えると、バンは屈んで彼女の足を静かに地に着ける。エリサも一瞬ふらついたが踏ん張り、双剣を収めてシュリスの方へと向かった。

「シュリス」

「エリサ、良かった……!!」

 ひしと抱き合う二人。それで互いの無事を確認する。

「怪我はない?」

 とエリサがたずねれば、シュリスは首を振り、

「私もスヴェンもユートルも無事よ」

 涙声で答える。

「貴女は……え!? 血!?」

 エリサの怪我を見ようと体を離したところで、シュリスは服を汚す赤黒い液体に気付いた。

「あ、違う違う。これはキングトロールの血だよ。目の前で倒されたから浴びただけ。アタシは大丈夫」

 顔だけ袖で拭ったが、衣類に染みた汚れまではどうしようもなかった。

「そっか、なら良かった……」

「ってかゴメン、服に付けちまった」

「狩り師は汚れる仕事だもの、気にしないわよ」

 そしてシュリスはバンに向き直り、深く頭を下げた。

「バン様、エリサを助けてくださり、ありがとうございました」

「本当にありがとうございました」

 エリサも心から感謝を伝える。

「いや、間に合って何よりだった」

 静かに返すバン。

 それから彼はクリストファー達の方を見た。ちょうどクリストファーはユートルを支えながら近寄ってきていたところだった。そのあとにスヴェンとエヴァンス公爵が続く。

「バン殿、本当にありがとうございました」

「なんと……お礼を申し上げたらいいか……」

 青い怒髪天に精悍な顔付きの、エリスより一つ下であるスヴェンと、銀色の長い髪を三つ編みにした眼鏡の、エリスより一つ上の司祭ユートルも頭を下げた。

 バンはうなずき、公爵に視線をやる。

「あとは私に任せて、二人は魔物を一掃してきな」

「承知した」

「では行ってきます」

 言うが早いか、二人はすぐに行動を開始した。あっという間に森の奥へと消えていく。……あの体躯であの身軽さは本当に羨ましいと、エリサはため息と共に見送った。

「アンタはもう少し休みなさい」

 公爵はユートルの肩に手を置いた。クリストファーの代わりにスヴェンが支えていたが、足がまだ震えている。

「す、すみません……」

 言葉に甘えて三度座り込むユートル。

「ほら、アンタ達も」

「はい」

 三人も素直に腰を下ろす。

「エリサ、すまん」

 スヴェンが頭を下げた。

「ごめんね、エリサ」

「本当に申し訳ありませんでした……」

 シュリスとユートルもならう。

「いや、いいんだ。アタシ等皆、運が悪かったんだよ」

 エリサは慌てて顔の前で手を振る。

「エリサ……」

「こんな稼業だし、そういうこともあるって。無事でホント良かったよ。頑張った甲斐があったってもんさ」

 実際はバンが来てくれたおかげで、ほとんど何もしなかったが。

「俺は、怖かったよ、エリサ」

 スヴェンが言った。感情を噛み殺すような、苦い顔をしている。

「スヴェン」

「自分達が死ぬかもしれないのもそうだけど、何より仲間が死んでしまうかもしれないことが、すごく……怖かった」

「そうね、私達のせいで死ぬかもしれなかったんだから、なおさら」

 シュリスも続ける。

「もし貴女を失っていたら、僕達は悔やんでも悔やみきれなかったでしょう」

 とユートル。

「……」

 まぁ、そうだろうな、とエリサは内心でため息をついた。自分が逆の立場でもそう思うだろう。そしてそういう悔恨は、エリサが気にするなと言ったところで消せる感情ではない。

「こういうの、もうこりごりだよな」

 下手に慰めるようなことはせず、エリサは苦笑いを浮かべてそう言った。少し論点をずらして目をそらさせるよう誘導を試みる。

「本当に、運が悪すぎた」

「運が悪い、か。確かにそうだな」

 うなずくスヴェン。

「何年もこの森の外周で狩り師をしてきたけど、キングトロールなんて初めて出会ったわよね」

 口許に手を当ててシュリスは記憶を探る。

「噂も聞きませんでしたね」

 とユートル。

「っていうかさ」

 エリサは公爵を見上げた。

「何かあったんですか?」

 頭にあるのはバンに助けられた時に抱いた疑問だ。

 キングトロールと、バンとクリストファーとエヴァンス公爵。メンツが豪華すぎる。

 案の定、公爵は肩をすくめて言った。

「異変の報告があったから、それを調査しに来たんだよ。セレンシアとティーエフも別動隊で来てる」

「えっ!?」

 エリサ達はまた驚くことになった。

 破滅のセレンシアとティーエフ・ザ・レクイエム。もはや言わずもがな特級魔物狩り師である。

「まさか……“精霊の慟哭スピリット・クライ”、ですか?」

 震える声で問うユートル。

「なっ」

 絶句するスヴェン。やっぱりか、とエリサは思った。

「なんとなく精霊の気配がおかしいような気はしてたけど、そんな」

 シュリスが呻く。

「まだ確証はないけどね、たぶんそうだろうと私は思ってる」

 公爵は言った。

「他の狩り師とかは大丈夫なのかな」

 とエリサ。森で活動しているのは彼女達だけではない。

「とりあえずキャンプに申請が出てた狩り師はアンタ達で最後だよ。未申請の者達には、のろしと警報で気付いてもらうしかない」

「え、警報鳴ってたか?」

 驚くスヴェン。

 公爵が人差し指を上に向けて立てた。

 ……どごぉん、どごぉん、と砲撃のような音が聞こえた。

 緊急事態を知らせる空砲である。森を囲うように何ヵ所にも砲台が設置されており、等間隔で轟音を鳴らしているのだ。

 森に入る者は上級狩り師以外ほとんどが外周で活動をしており、大概は狼煙と警報で事足りる。

 エリサ達のように火急の危機に瀕していなければ、だが。

「今気付いた」

 唖然と空を見上げるシュリス。

「それどころではありませんでしたしね……」

 ユートルは疲れた顔で息をつく。

「狩り師を始めて早九年……とうとう“精霊の慟哭スピリット・クライ”を経験するのか」

 エリサはそう呟いて森の奥を振り返った。

「……」

 無言になった仲間の緊張が伝わり、エリサは双剣の柄を握り締めて顔を歪ませる。

 正直、自分がこんなに無力だとは思わなかった。

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