第2話 救助

 時をしばし戻す。

 エリサに促され、やむをえず彼女を置いて逃げた仲間三人は、無我夢中で森の中を走っていた。

 一人はショートソードを腰に下げた革鎧の青年スヴェイ。一人はタイトな旅装束の女精霊魔法士シュリス。もう一人は精霊殿の司祭が着るローブを身にまとった男精霊魔法士ユートルだ。

 荷物も武器も杖も、青年のショートソード以外全て打ち捨ててきた。とにかく逃げなければならなかったから。体力も精神力も筋力も、全部を逃走に費やしたって逃げきれる相手ではなかった。

 キングトロールなど、中級狩り師の自分達では逆立ちしたって勝てはしない。エリサが足止めしていなければ、逃げることすらできなかっただろう。

 いや、そもそも足止めができるのかどうか。

 エリサ、ゴメン。

 ゴメン。

 ゴメン。

 心の中で謝罪を繰り返しながら、三人はひたすら足を動かす。エリサはきっと助からないだろう。いや、たぶん大丈夫だ。彼女の剣の才能は抜きん出ており、身軽で足も速い。ぎりぎりまで足止めをして、あとはうまく逃げるはずだ。そうに決まってる。そうであってほしい。仲間を、友達を失うなんて、そんなの嫌だ。エリサ、どうか無事で、本当にゴメン、エリサ、

 死んでしまうなんて考えたくない──

「うわっ!」

 ユートルが木の根につまずいて転んだ。

「ユートル!」

 少し先行したスヴェンが慌てて駆け戻り、立ち上がろうとするユートルを手伝う。

「大丈夫?」

 労るようにユートルの背中に手を添えるシュリス。ユートルの体は限界を迎えていた。顔面が蒼白で、息も音が鳴るほどに上がり、震える足でかろうじて立っているという状態だ。返事をする余裕もない。

「……」

 本当なら休みたい。休ませないといけない。そして、スヴェンとシュリスも限界が近かった。もうここで座り込んでしまいたい。

 しかし。

「大丈夫じゃなくても走るんだ! 行くぞ!」

 スヴェイはユートルの手を無理矢理引いて走り出した。ユートルもおとなしく従い、足をもつれさせながらも駆け出す。

 三人には停滞している時間などないのだ。キングトロールがエリサの足止めを突破していつ追いかけてくるか分からない。

 ──それに。

 キングトロールは他にも二体いた。

 スヴェイ達の存在には気付いていなかったが、狙われたら後がない。武器はなく、体力も精神力も筋力も底をついた状態では、本当になす術がない。万全の体勢であってもなす術などないというのに。

 だから三人は一縷の望みをかけて走るしかなかった。

 森の地図は頭に入っており、道も間違っていない。このまま向かえば最短で森から出ることができる。森の外には冒険者ギルドのキャンプがあって、何人かの手練れが常駐しているし、それなりの武装も備えられている。

 とにかく森の外へ出られれば──

「!!」

 三人はぎくりと体を強張らせて立ち止まった。そんな場合ではないのに、立ち止まらざるをえなかった。

「スヴェン」

 シュリスが震える声で名を呼ぶ。だがスヴェンは答えられない。ユートルが愕然と座り込む。

 前方から、強大な気配が迫っていた。

 絶望的な威圧感だった。

 木々の陰になっており、姿はまだ確認できないが、その存在感はどんどん近付いてくる。

 スヴェンはショートソードを抜いた。なんの意味もないだろうとは思ったが、抵抗もせずに死ぬのも怖かった。

 いったい何が現れるのか。固唾を呑み、その時を待つ。

「おーい、大丈夫かー?」

「えっ?」

 いよいよ姿が見える、その寸前に、場違いなほどにはっきりとした言葉が聞こえた。

 気付けば、息が止まりそうな威圧感も消えている。

 間もなく現れたのは、四人の人間だった。

「え、あれって」

 驚きのあまり、スヴェンは言葉の先を失った。シュリスとユートルも唖然として声が出ない。

 四人の内の二人が三人に駆け寄ってきた。一人は三十代後半の優男だ。茶色の長い髪をゆるく束ねており、エメラルドのような綺麗な緑色の瞳を持っている。

 短槍を背負い、鍛えられた体にサーペントロードの青い鱗で作られた鎧をまとったその男こそ、雷帝クリストファーだった。

 そしてもう一人がオッドアイズ・バンだ。彼はスヴェン達を一瞥したあと、クリストファーに任すと伝えて、三人が来た方へとそのまま走り過ぎる。

「あ、エリサさん! エリサさんをっ、助けてください!」

 黒く大きな背中に、慌ててユートルが叫んだ。

「エリサ?」

 問い返すクリストファー。

「そう、キングトロールを足止めしてくれているの!」

 シュリスが答える。

「バン!」

 咄嗟にクリストファーが名を叫ぶと、バンは軽く片手を上げて森の奥へと消えた。

 三人は顔を見合わせ、それからバンの背中を見送る。

「エリサ君のことはバンに任せよう。とにかく君達はいったん座って。疲れてるだろう? ちょっと話も聞きたいんだ」

 優しい笑みを浮かべてスヴェン達に語りかけるクリストファー。しかしスヴェンが難色を示した。

「でも、今さっき、すごい殺気みたいなのがしたけど」

「あ、ごめん、雑魚避けに私が放ってた」

「……」

 三人は深く息を吐いて脱力した。スヴェンとシュリスがユートルの隣に座り込む。

「見かけたキングトロールは一体だけかい?」

 遅れてやってきた初老の女がたずねる。何やら貴族風の豪奢なジャケットとパンツを履いているが……

「彼女はエヴァンス公爵だよ」

 訝しげに女性を見ていた三人に答えるようにクリストファーが紹介をする。

「え!?」

 やはり貴族だった。しかも高位貴族で領主ではないか。慌ててひざまずこうと身じろぎする三人だったが、限界を越えて疲労したのちに脱力した体は、微塵も動いてくれなかった。

「あぁ、いいよ。緊急事態だ。それで、どうなんだい?」

「追いかけてきていたのは一体だけです。でも他に二体確認しました」

 代表してスヴェンが答える。

「ということはそれ以上いる可能性があるということだな」

 クリストファーが言う。

「ブライアン」

 公爵が背後に立っていた男を呼んだ。ざんばらの黒い髪と伸びた無精髭の、厳つい見た目のわりに存在感のない中年の男だった。公爵の意図を察し、うなずいて森の中へ消える。素早く、足音もなかった。

「さて、とりあえずバンが戻るのを待とう。合流したら私がキャンプまで送るよ」

 と公爵。

「同行しなくても大丈夫ですか?」

 クリストファーが問えば、軽やかに公爵は笑った。

「大丈夫だよ。アンタはバンと異常出現した魔物を一掃してきな」

「承知しました」

「……」

 雲の上の存在二人の会話を聞きながら、スヴェンはエリサを思って歯噛みした。

 キングトロールなど歯牙にもかけないだろう大ベテランの狩り師が向かってくれたとしても、間に合うとは限らないのだ。

「エリサ、帰ってくるわよね……?」

 普段は強気のシュリスが慰めを求めて呟く。

 ユートルは言った。

「無事であることを精霊王に祈りましょう」

 今の三人にできることはそれだけだった。

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