双剣のエリサは強くなりたい
みやしろん
第1話 窮地
水の精霊を讃える国アクエリシアナは巨大な森を有する。その面積は実に国土の四分の一を占め、内部では独自の進化を遂げた動物や魔物が跋扈していた。
双剣使いのエリサは、森や周辺で魔物退治を生業とする魔物狩り師だ。今年二十四歳の、まだまだ若輩者ではあるが、中級狩り師としてそこそこの実績を挙げているのではないかと自負しているところだった。
……つい、先程までは。
膝をつき、眼前の敵を睨み付けながら、どうすればいいか頭を最大まで回転させる。
しかし、それでもどうしようもなかった。
敵があまりに強すぎた。中級の手に負える相手じゃない。
魔物の名はキングトロール。人間のような四肢を有しているが、筋肉で覆われた三メートル近い巨躯を持ち、地面に付かんばかりの腕の長さで、肘先は二の腕の倍以上の太さ、その末端には大岩のような拳をぶら下げている。
しかも、外見の印象にそぐわぬ俊敏さを兼ね備えており、狙われたなら最後、中級程度の実力ではミンチになるのがオチだろう。
エリサの剣技では鎧が如き筋肉を断ち切れない。足の速さにはには多少自信があったので、もしかしたら逃げられないことはないかもしれないが……エリサは内心で首を振る。
その選択肢だけは絶対に選べなかった。
逃がした仲間を追われては困るから。
仲間はエリサより重い剣士と、精霊魔法士が二人。追い付かれれば絶体絶命なのである。それではエリサが殿を引き受けた意味がない。
今ここでやらなければならないのは、命を引き換えにしてでもキングトロールを足止めし、三人が密林から出るまでの時間を稼ぐことだ。一つ懸念事項はあるが、そちらは本当にどうしようもないので諦めるしかない。
「ッ、」
エリサは、ぐ、と足に力を込める。魔物はそれを察知したようだった。睨み合いのような状態から、即座に拳を振りかぶる。
立ち向かったりはしない。だが、逃げもしない。
暴風のように迫る拳。
それをかわしたら、腕を斬りつけて挑発しよう。エリサは瞬時にそう判断し──
「!」
キングトロールの背後の人影に気が付いた。
そして次の瞬間には。
ごしゃッ、と。
何やら塊がキングトロールの右肩に食い込み、肉と骨を粉砕し、血と内蔵を撒き散らせながら、巨体を横へと吹き飛ばした。
「……」
エリスの顔と体に魔物の赤黒い血液がべしゃりとかかる。
しかし、全く気にならなかった。
彼女は眼前の状況に呆然としていた。
呆然としながら、突如現れた人物を凝視していた。
──オッドアイズ、バン?
まさか、とエリサは混乱する。彼がここにいるはずはないと思ったから。同じ森で魔物狩りをしている男ではあるが、拠点とする街が違う。活動区域が異なるため、本来ならば会うことなどないはずなのだ。
しかし……エリスはバンが巨大なウォーハンマーでキングトロールの頭を叩き潰すのを眺めながら、噂を思い出す。
二メートル近くある鍛え抜かれた体を、タートルドラゴンの黒い外殼から作られた鎧で包み、百五十センチほどある長柄のウォーハンマーを獲物に強大な魔物と渡り合う、特級狩り師。……上級ではない。もはや人の域を越えたとされる、特級の地位を誇る魔物狩り師だ。
まさに今、目の前にいる壮年の男が噂通りの出で立ちをしていた。加えて、二つ名の元でもある、金と青の瞳。
その双眸が、エリサを捉えた。
そしてまっすぐ歩いてくる。
獅子のたてがみのような黒い髪と、顔の輪郭を囲う髭、そして太い眉毛と彫りの深い造形の男。一見他者にいらぬ威圧感を与えそうな顔つきではあるが、エリサは先程までの窮地を完全に忘れて、すっかり見とれてしまっていた。
カッコイイ。そしてなんて静かな眼差しをしているんだろう……
場違いな感想だった。しかし、それくらい強烈な印象の男だった。
「君が、エリサか」
「……え?」
話しかけられたことに気付くまで、少し時間を要した。っていうか、今アタシの名前呼んだ? オッドアイズ・バンの口が? アタシの名前を?
「君がエリサか確認したい。仲間が心配している」
「あっ」
仲間という言葉で我に返った。
「皆、無事……うわっ」
慌てて立ち上がろうとしたが、膝から崩れ落ちる。
立てない。
「嘘だろ」
エリサは愕然とした。足に力が入らない。
「大丈夫か?」
いつの間にか傍らに来ていたバンが膝をついてエリサの顔をうかがい見る。
「何処か怪我をしてるのか?」
「あ、いえ」
エリサは情けなさにうちひしがれ、うなだれた。
「……足に力が……入らなくて……」
死を目前にした極度の緊張から解放され、気が抜けてしまったのだ。ここでさらに脅威が現れたらもはや死ぬしかない。魔物狩り師にあるまじき失態ではないか。
「そうか。それ以外に問題は?」
「ないです。怪我も大したことないので」
幸いキングトロールの攻撃は食らっていない。もし食らっていたら、こうしてオッドアイズ・バンと話ができていなかっただろう。
「あの、仲間は三人いたのですが」
「三人とも無事だ。今はクリストファーとエヴァンス公爵が付き添っている」
「は!?」
エリサは己が耳を疑ってバンをまじまじと見た。クリストファーとエヴァンス公爵だって?
「あぁ」
エリサの驚きをよそにバンは事も無げに肯定する。マジか、とエリサは言葉を失った。
クリストファーといえば、エリスと同じ街を拠点とする、三十代後半の魔物狩り師である。
その名声はバンに匹敵する──つまり、特級位ということだ。
それから、エヴァンス公爵。齢五十を過ぎた女領主だが、若かりし頃は上級位の精霊魔法士として活躍していた。
二人とも、エリサからすれば雲の上の存在だ。
「……」
ここに至ってやっと、事態の異常性に気が付いた。
他の街を拠点とするバン、同位の魔物狩り師のクリストファー、そして領主様が揃う。
それに、そもそもキングトロールの存在が異質だった。何せ、普段は絶対に森の最奥から出てこない希少種なのだ。エリサの活動範囲で遭遇するなど、ありえない。
何かが起ころうとしているのか? 背筋に冷たいものが走る。もしくは既に起こっているか……
──まさか。
「抱きかかえるが、いいか」
「へ?」
バンの提案にエリサは思考の森から抜け出した。
「歩けないのだろう」
「あ、はい、あの」
歩けないのは事実。しかしさすがに運んでもらうなんて、あまりに申し訳なさ過ぎていたたまれない。
それに恥ずかしい。
「大丈夫です、自分で歩きます」
エリサはそう返事をして立ち上がろうと試みた。
無理だった。
「……」
情けなさすぎて顔が上げられない。
「無理をする必要はない。失礼する」
「ひゃっ!」
言うが早いか、バンはエリサの後ろから左腕を膝下に通し、片手で抱き上げた。視点が高い。そしてバンの顔が近い。エリサは口を横に引き結び、心臓が口から飛び出すのを耐えなければならなかった。
「居心地は悪いだろうが、しばらく我慢してくれ」
バンの言葉に、エリサは辛うじてこくこくうなずくことしかできなかった。
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