ミュージシャンと無音の時間
ミュージシャンにとって一番大事な時間とはなんでしょう。練習する時間?音楽を聴く時間?色んな考え方があると思います。私にとって私が音楽を続けるために必要な時間は無音の時間です。無音の時間は自分だけの音楽空間です。音が無いと言うことはつまりどんな音楽を想像することもできます。想像力は己を導く最も優秀な先生です。会話が止めば新しい話題が浮かぶように、無音になれば音楽が頭の中を満たしていきます。ミュージシャンが誰の影響も受けずに音楽を紡ぎ出すことができるのは唯一、無音の時間だけです。
また無音は深く自問自答をする為の入り口でもあります。自問自答は集中の基礎体力を高めます。深く集中することはミュージシャンとしてだけでなく、人生の大きな決断をする上でもとても大切だと思います。
ここまで書いていて、私の考えるミュージシャン像って、なんだか本質的に孤独な存在だなと思いました。誰かと演奏するためにベースという楽器を選んで音楽をしているのに、音楽に溢れて暮らすためには同じくらい無音の時間も必要と言う矛盾。二律背反のせめぎ合い。はざまの世界に足場があると信じて踏み込む思い切りと、倒れずに立ち続けるためのバランス感覚。これらは全て無音の中で培われるのかもしれません。
やまない耳鳴りの中で私の無音の時間がなくなりました。どうも耳鳴りは無音に対する過敏反応らしいのです。これが結構こたえます。こんなにも大事な時間を失ってしまったんだ。失ってから気がつく健康体の大切さ。常々、心と体の健康を保つことが目的を遂行する上で最も大切なことだと分かっていたつもりでしたが、よもや我が身に降りかかるとは。気付かぬうちに体への無理を強いていたのか、あるいは運命のいたづらか。
楽観主義だと思っていた自分の繊細な部分と向き合わされました。しかしこう言う形で新しい自分と向かい合うことができたのは不幸中の幸いです。これをきっかけにもっと新しい自分と出会うことができれば、私にも使命を受けることができるかもしれません。
そして私は音楽は音楽を聴くために聞くという生活をしていたことに気がつきました。当たり前のことかもしれませんが、人って音楽を色んなシーンで聞いているんですね。音楽のサブスク配信サービスには、色んな人が編纂したプレイリストを再生することができます。私は知らない人が作った「穏やかに集中するとき」というプレイリストに救われました。何よりも音楽に救われました。無音で過ごすよりも、小さな音で耳に負担がない音楽を聞いている時の方が耳鳴りや閉塞感を感じずに済みます。
出会ったのは同じアイデアが繰り返される音楽。ムードのための音楽でした。自分の演奏の中に音を落とし込みたいと思って音楽を聴いていた私にとって、そのような曲は、発展のない一片のアイデアで自分のための曲ではないと思っていました。それが今では私の救いです。音楽と向き合ってきたつもりでした。私の音楽に気持ちがどれほど浅く、手の届く距離にとどまっていたのかと思い知り笑ってしまいました。
今も誰かが作った音楽が、誰かのどうしようもなく閉じ込められた心の扉の鍵穴を伝っているのでしょう。原体験。もっと音楽のことを好きになれる気がします。私もいつか誰かにとって失われた音の代わりになれるような音楽を演奏できたらいいな。
深海へ通じてしまえ外耳道 静寂は満ち水面はどこへ ぴゅら子
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