貴女なのに貴女じゃない貴女
母の言葉はいつでも正しい。
いつでも忠告の後にそれを思い知る。
母は、菜々美はナナではないと言った。
身体を重ね合う関係になってから、二人でゆっくりと快楽が深まっていくのを共に感じていた頃はまだ、そんな事を気にしている余裕などなくて、香はその行為に、ナナとの時間に溺れていた。
知っているはずの、それでいて初めての恍惚。
菜々美の指が、身体が、肌に馴染んで、馴染みすぎて、そうある事が正しいと思える程に、心地いい。
眩む意識が、迎える絶頂の痙攣が、ナナと会えた喜びが、幾度となく香の全身を貫き駆け巡っていく。
毎日学校で会うのに、もっと繋がっていたくて、自分を押さえられない程に高まっていく想いを止めらずにいた。
けれど、そんな関係もすぐに翳りを見せ始めた。
香の存在に安心して自信を取り戻したのか、独りぼっちに怯えていたはずの少女はいつの間にか影を潜め、気が付けば、菜々美は再び多くの取り巻きに囲まれる日々を取り戻していた。
それでも、自分は特別だと分かっていた。
菜々美にとって、ナナにとって、香は、十和は特別。
日に日に菜々美の身体に増えて行く、知らない誰かの痕跡。
菜々美の隣りを歩く女子から向けられる意味ありげな視線。
香の勘の恩恵を受けている者たちの中にも、菜々美と関係を持ち始める人間が出始めた。
妬み、嫉妬、嫉み《そねみ》。
愉悦、優越、蔑み。
あらゆる感情が香のあずかり知らぬ場所で、菜々美を中心に回り始める。
「ねぇ香、今日一緒に帰るでしょ?」
「どうして?」
「最近、家庭教師してくれてないじゃん」
「だって……」
あの部屋に行けばきっと始めるのは勉強ではない。
香自身も抑えられない衝動。
この場で突然口づけされても、抗いきる自信がない。
ナナを求める十和を、会いたかったと懐かしみ、愛しむ《いつく》自分を抑えきれない。
ずっと傍にいて。
あの頃みたいに。
ずっと私だけを見て微笑んで。
あの日々のように。
「もしかして、私と一緒にいるの、嫌になった?」
「嫌なわけないでしょ」
「じゃあ決まりね」
そんな風にまた、身体を重ねてしまう。
嗅ぎなれた菜々美の寝室の匂い。
肌になじみすぎた指先が魅せる景色にまた、溺れていく。
深く、高く、何度も上っては落ちる悦楽。
この想いは誰のもの?
私は誰?
十和?香?
私は……。
「今日は一段と激しいね」
激しく息をつく香を弄びながら、菜々美が微笑む。
「ねぇ……もっと……」
甘い声。知らない声。私の声。
けれど、一瞬曇った菜々美の表情に香の理性が目を醒ます。
「あ、でも、その前にトイレ行くね」
裸のままベットを降りて、菜々美の部屋にあるトイレに入る。
快感の余韻で疼く身体が苦しい。
もっと、もっと、と際限なく求める快楽は、天国のようであり、逃れられない地獄のようでもあった。
かつて一つだった私たち。
離れてしまった事を嘆くように、片割れを求めて、抑えがたい衝動が香の体内で渦を巻く。
求めるままに絡み合う自分を想像して、香は軽く頭を振る。
かつて、十和は仕事としての営みを拒絶して、ナナとユウを生み出した。
欲しいのは、表面的な快楽ではない。
なら、欲しいものは……何?
本当に求めているものは……。
菜々美は他の人間とも肌を重ねている。
ナナと同じように。
かつてそれをナナに強要していた香に、責める権利は、ない。
ゆっくりと扉を開けてベットに戻る。
つまらなさそうにベットで横になっていた菜々美が身体を起こした。
「ほら早く。まだしたいんでしょ」
その言葉に香は首を振る。
「ううん、なんかトイレ行ったら、しなくても良くなったみたい」
そう言って笑うと「なにそれ」と言って菜々美も笑った。
日に日に胸に広がっていく違和感。
私は誰を愛している?
確かにナナのはずなのに、目の前にナナはいない。
「じゃあ、そろそろ帰るね」
「うん、またね」
僅かな嘲笑を含むその顔は、どこまでも菜々美。
ナナは絶対にそんな顔はしない。
「したかったらいつでも言ってね」
服を着ながら「したくなったらね」そう応えて部屋を出た。
帰り道。
何故か悲しくなって。
少しだけ泣いた。
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