初めての
それから間もなくして、香は菜々美と初めて肌を合わせる事になる。
もう、迷いはない。
思い出よりも遠い愛に似た感情。
それもまた香の一部だと分かったから。
そして何よりも、そうなる事を望んでいる自分を知ってしまったから。
「いらっしゃい、香ちゃん。いつも菜々美がお世話になってます」
重たい両開きの扉を開けて、菜々美の母親が笑顔で迎え入れてくれる。
「こんにちは」
「香ちゃんのおかげで菜々美もようやく恥ずかしくない成績を取れるようになって、本当に感謝してるのよ」
「いえ、そんな……」
菜々美の成績は元々そこまで悪い方ではない。
何より、恥ずかしい成績、という概念が香には理解できなかった。
何点以上なら恥ずかしくない、何点以下なら恥ずかしい、そんな世界基準が明確にこの世に存在しているという話しは聞いた事がない。
高校、大学へストレートで進学していく香達の学校のシステムを考えれば、進学に弾かれないだけの点数さえキープしていればいい。ただの数字。それだけのもの。
人の優劣は学業だけで決まるものではない。時代的にもそれが収入や将来の安定に繋がる可能性が100%とも言えなくなってきている。
見えない基準を押し付けて、菜々美を卑下するこの人はきっと、子供の頃、あまりいい成績を取れなかったのかもしれない。
同じ轍を子供に踏ませたくないという親心?
それとも、単なる世間に対する見栄なのか、香にはわからない。
もし菜々美の知力の強化を香に望んでいるのだとしたら、それは検討違いも甚だしい。
香は、次の試験に出る可能性が高い問題を菜々美に教えている。ただそれだけ。
誰でも暗記だけで満点が取れるイカサマ。
各学業の本質には程遠い。
香も菜々美も、そして香のクラスメイト達も、決して満点を取ったりはしない。
全員が満点を取ってしまう事によって生じるリスクを理解出来ない程、馬鹿ではない。
そう、皆、決して馬鹿ではない。
それは成績と比例しない。
真の理解を深める事の出来ない授業に一体なんの意味があるのだろうと、香は日々思う。
言語以外の科目において暗記は根本ではない。
数式も生物も文学も古典も、覚えるものではなく、理解するもの。
その成り立ちを知り、法則を読み解き、自らの物にしてやっと知力となる。
化学式がなぜあの順で並んでいるのかを理解できれば、謎の呪文を覚える必要もない。
日常生活で使うだけの能力ならば、小学校で全て履修済だというのに、理解するに至らない授業内容の一体何を試すというのか。
けれど、大人たちは数値で子供を測りたがる。
頭がいい、という事は、そういう事ではない。頭が悪い、というのは、そういう事ではない。
「小学校の頃、泥だらけで帰ってきたことがあって、その時私本当に心配だったの。菜々美はもしかしたら、馬鹿なのかしらって。クリーニングに出しても取れない汚れをつけてくるなんて」
大人が子供に求めるもの。
親の要求に対して努力する力があるかどうか。
従属に適した種であるかどうか、見たいのは、それだけなのかもしれない。
自分たちにとって都合のいい若輩が欲しいだけ。
意のままに動く、従順な人形が欲しいだけ。
それが日本の社会システムだとしたら、そんな中で生きる事にどれだけの意味があるのだろう。
「香?どうしたの?うちの親の愚痴で頭やられちゃった?」
「え?」
気が付けば、菜々美の母親の姿は既になく、香は菜々美の部屋の中にいた。
「ぼうっとして、また何か考え事?」
「あ、うん」
菜々美の趣味とは思えないお姫様めいた室内。
白を基調とした明るい部屋。白い勉強机に、ふわふわで毛の長いピンクのラグ。
金色に縁どられた猫足の白いチェストの上には、花瓶が置かれ、綺麗な花が咲いていた。
入ってすぐ左手にある扉の向こうの寝室には、天蓋付きのベット。
エアコンの付いた部屋に置かれ、毎日お手伝いさんがシーツを変えてくれるベットにどうして天蓋が必要なのか、香にはわからない。
ただ、この部屋の全てが、菜々美にお姫様である事を強要しているように感じた。
「次のテストの問題、どれ出そう?」
菜々美が笑顔で教科書の束を差し出してくる。
「どうだろう。加納先生の性格なら、これなんか出してきそうかな」
「お!どれどれ?」
勉強机の横に香の為に用意された椅子を置いて、二人で教科書を覗き込む。
「国語は大丈夫だよね?」
「どの漢字出るとかわからない?」
「もう、漢字は将来つかうんだから、少しくらい多めに覚えておいて損ないでしょ?全部私の勘に頼らないで少しは自分で努力しなさい」
「めんどくさいじゃない。漢字覚えるくらいなら英語覚えるよ」
「じゃあ、英語は予想しなくていいね」
「え、それは困る!」
「菜々美。本当に勉強する気ある?」
「あるよ、あたりまえじゃん」
菜々美の返事に、香は小さく溜息をつく。
簡単な上辺だけの嘘。
表面さえ繕って理想の子供を演じていれば、心の奥までは知ろうとしない親。
その結果の完成形。薄い嘘の幕に隠された偽りのお姫様。
「ねぇ、お願い。香、全教科知りたいの」
不意に頬を寄せてくる菜々美に、心臓が脈うつ。
「お願い」
耳が菜々美の甘えた声と吐息に包まれる。
「ちょっ……菜々美」
思わず身体を引いて見つめる香の唇を、そのまま菜々美が奪った。
「……っ!」
椅子から身体が滑り落ちそうになるのを、菜々美が抱きしめて支えてくれた。
重なった唇から、吐息と舌が絡み合う水気を帯びた音が僅かに漏れる。
もう何度目かわからないキス。
回数を重ねるごとに、香の脳はその快感を覚え、痺れて、思考を鈍らせていく。
下腹部が痺れる感覚に、香は菜々美の服を強く握りしめた。
ゆっくりと離れる唇から、名残惜しそうに一本の糸が引き、やがて消える。
「ベット。行こう」
ぼんやりした香の視界に、上目遣いで香を見つめる菜々美が映る。
ドキリとまた心臓が鳴った。
挑発的な瞳が、獲物を見つけた猫のように僅かな光を帯びて。
その薄く開いた唇が魅惑的な曲線を描き、笑む。
香の奥で、ついにこの時が来たかと冷静な声がする。
一方で、高鳴る胸を抑えきれない自分がいる。
「でも、菜々美のお母さん……」
「さっき出かけてくるって言ってたの、聞いてなかった?」
菜々美が香の手を引き、寝室へと誘う。
「18時までは二人きりだよ」
香は反射的に時計を見た。
おとぎの国から飛び出したような木製の鳩時計はまだ14時過ぎ。
遮光カーテンの隙間から休日の午後の日差しが、寝室を僅かに照らしている。
「初めてだから、上手く出来ないかもしれない。痛かったら、教えて」
香をベットに座らせ、菜々美は自身のワンピースの背中のチャックを一人で下ろす。
薄暗い部屋に浮かび上がる、まだ成長途中の菜々美の未熟な身体は、大人と子供の境界に存在する一瞬の芸術のようだった。
「綺麗……」
香の呟きに僅かに微笑んで、菜々美がゆっくり香をベットへと押し倒す。
「私の初めて、香にあげる」
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