5 - 3 鹿野素直 ③

「撮ってるから」


 真小田が言った。


「先生と鹿野先輩が入ってきたところから、全部撮影してるんで」

「そうなんだ。ちなみに、その映像は配信されてるのかな?」


 尋ねる不田房に、真小田は首を横に振る。


「いえ。リアルタイムで全部流しちゃうとこっちとしても面倒なんで、持ち帰って、次回公演の予告映像に使わせてもらいます」

「ふーん」


 何がふーんなのか、鹿野にはまったく分からない。それに真小田の手の中にはカメラなんてない。つまり、このコテージの中に、撮影用のカメラが設置されているということか。


「一応さあ、昔は同じ大学で過ごした関係じゃない。だから俺も、結論出す前に確認するね。きみたちはどういうつもりで、こんなことしてるのかな?」


 不田房の声は、普段よりもずっと低かった。コテージの中には最早夕陽も差し込まず、豆電球のような灯りがぽつり、ぽつりと光を放っている程度だった。このコテージそのものが、舞台装置のように思えた。

 じり、と不田房が足を踏み出す。また背中に庇われてしまう。不本意だ。こんな風に守られるために、わざわざ付いて来たわけじゃない。


「先生、


 真小田が笑う。そうかな、と不田房は小首を傾げる。


「ずっと考えてたんですよ。先生みたいな人が、どうして講師になれたんだろうって。ダサいからですね。ダサくて時代遅れだから、逆に講師に選ばれた」


 ──思い出す。


 真小田崇の作風。冷笑的で、厭世的。他人の懸命さを踏み躙る、そういう笑いを彼は書いていたではないか。


 あの日。なぜ不田房が真小田の書いた台本──コント用という名目だったが、あまりにも露悪的な内容の作品をテキストとして採用したのか、鹿野には理解ができなかった。真小田は不田房とは正反対の場所にいる人間だ。汗水垂らして演劇とは何かを生徒たちに説く不田房を、大学構内をバタバタと駆け回って稽古場を確保する姿を、佐伯さえきに、道原みちはらに、海野うんのに頭を下げて技術指導を引き受けてもらい、発生したトラブルをどうにか穏便に済ませるためにという大物を──いったいどれほどの対価を支払って登壇させたのか、鹿野には想像することしかできないけれど、とにかく不田房は常に懸命で、で、真小田はずっとそれを嘲っていた。彼の感情がはっきりとえがかれた台本を不田房は生徒たちに配り、演劇講座を受講する一部の人間は真小田の崇拝者になった。

 結果として提出されたのが、あの地獄のような初舞台だ。


「先生の台本。全然面白くない。って言われてたの、知ってます?」

「ん〜、知ってる」


 不田房は笑みを絶やさない。真小田も同様に。


「十年前から、もう古いんですよ。ああいう、人情物っていうんですか?」

「歌舞伎で言うなら世話物だね〜」

「……そういうところ。ほんとつまんねえ。恥ずかしくないんですか? 俺は恥ずかしかった。あんな台本で芝居やらされるの、マジで」


 だから踏み付けたのか。不田房の戯曲を。不田房だけではない。古典と呼ばれる数多の戯曲を、物語を、破って、千切って、粉々にして、踏み付けて。その上に仁王立ちになって。自分たちこそが物語の国の新しい人類だと言わんばかりに。哄笑して。


「そう思うよね、駒乃ちゃん」


 真小田の声を受けた田淵駒乃が、待ちかねた様子で近付いてくる。


「栄治さん、久しぶり」

「やあ。きみか」

「相変わらずですね。でも見て、これ」


 田淵が手の中のスマートフォンを不田房に突き付ける。また盗撮映像だ。


『何呑気なこと言ってるの鹿野!』

『おまえに何かあったら俺は……死ぬ!!』


 ──最初の封筒が届いた日。あの夜の韓国料理屋での音声だった。

 あの店でまで盗撮されていたという現実よりも、目の前にいる田淵の化粧の濃さが気になった。老けたな、と改めて思う。田淵駒乃が老けた分、鹿野素直も年を重ねた。同じ時間を生きている。それだけなのに。


「この音声、次回公演の予告に入れようと思ってるの」

「へ〜、そうなんだ?」

「結構、びっくりする人多いと思いません? 不田房栄治は、学生時代に目を付けた演出助手に今も夢中──って。ぶっちゃけヤバくないですか? ちょっと犯罪では?」


 体が勝手に動いていた。田淵の手元を弾き、足元に落ちたスマートフォンを力いっぱい蹴飛ばす。それから目の前にある、谷間を強調したTシャツの胸ぐらを引っ掴む。鹿野、と不田房が呼ぶ声がする。


「田淵ぃ、それ以上喋ったら、どつき回すど」

「……やだぁ。鹿野さん、こわぁい」

「撮ってるって聞いてました? 鹿野先輩」


 どうでもいい。すべてが。どうでも良かった。

 不田房栄治には醜聞は必要ない。彼の書く世界が、台本が、つまらない? 古臭い? 今時人情物なんて? 言いたい者には言わせておけば良い。だが、その感情で、直接不田房演出家に加害を行うというのであれば。

 番犬演出助手はそれを許さない。


「真小田ぁ、ちぃと有名になったから言うてわりゃあ、なあにつばえよるんならぁ」

「……何て?」

「ちょっと有名になったからって何調子に乗ってんの、って」


 翻訳しながら不田房が煙草に火を点けている。それでいい。不田房はそうやって、余裕でいてくれればそれだけでいい。


「鹿野さんってさ、ほんとずっとそうだよね。最初に栄治さんとペア組んでからずっと。栄治さんの何気取りなの? 鹿野さんってさ」


 ──恥ずかしいよね。田淵が囁いた。真小田が不田房に投げかけたのと、同じ響きだった。


「なぁ……?」

「男の子みたいな格好して、男の子みたいにボソボソ喋って、男の子みたいに煙草いっぱい吸って。それで栄治さんの隣にいるなんて、恥ずかしい。可愛くない。私だったら無理」


 甘い匂いがする。田淵駒乃のことが分からない。学生の頃からずっと。今まで。何も分からない。彼女が不田房に執着する理由が分からない。そのくせ、大勢の男に抱かれて悦んでいる理由が分からない。


 彼女を嫌悪する理由が分からない。

 彼女に嫌悪される理由は、分かるけれど。


「不田房先生」


 真小田の呼びかけを無視した不田房は、暗がりの中に消えて行ったスマホを追ってコテージの奥へと消えて行った。鹿野は自身より少しばかり長身の田淵を突き飛ばし、肩で息を吐いた。


「男みたい……とか言われても、これがうち、なんで」

「だったらもう、いいでしょ。栄治さんのこと、譲ってよ」


 何を言っているのかまったく分からない。

 真小田がニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを見ているのは分かる。


「譲るとか譲らんとか、不田房さんはモノじゃねえ」

「……私は! 栄治さんのことがずっと好きなの! ねえマコくん、ちゃんと撮ってね? 私、綺麗?」


 綺麗だよ、と真小田は応じ、どこから取り出したのかスマホの画面をタップしている。コテージ内に設置されているカメラで、田淵を撮っているのだろう。


「いいでしょ? 私と栄治さんが一緒になっても、鹿野さんは困らないでしょ?」

「なに、言うて……」

「栄治さんだけなの! 私のこと、可愛いって言わなかったの!」


 これが動機だとしたら──あまりにもあんまりだ。田淵駒乃の十年越しの執着に、不田房も、鹿野も振り回されていて。真小田は『ダサい』不田房を蹴落とすために彼女に手を貸して。そうだ。どこで何をする時も、真小田のプロフィールには必ずL大学の名が入っている。L大学で不田房栄治に師事──と。それを書き換えるためには、不田房に業界から消えてもらうしかない。


「鹿野〜。元気に蹴っ飛ばしすぎだよ、スマホ」


 不田房が戻って来る。片手に田淵のスマートフォンを握っている。


「栄治さん」


 と嬉しげに振り返った田淵の顔を覗き込んだ不田房が、ふんわりと笑う。うつくしい。蕩けるような笑顔だった。

 そうして、不田房は。

 スマートフォンを足元に叩き付け、革靴の踵で液晶画面を踏み抜いた。

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