第四章 暗闇橋

4 - 1 動画 ①

「すまん!!」


 大声で言って、泉堂せんどうが頭を下げる。鹿野はおろおろと不田房の顔を見上げ、不田房も困り果てた様子で宍戸に視線を向けていた。「泉堂さんのせいじゃないですよ」と宍戸が低く言う。そう。泉堂は何も悪くない。


 宍戸曰く『リベンジポルノ』を思わせる写真が届いて以降、謎の封筒は現れなくなった。宍戸の知人である間宮探偵からも特にこれといった報告もなく、不田房は台本を完成させ、ヘビースモーカーズの稽古が本格的になり始めた。気付けば九月になっていた。

 そんなタイミングだった。音響担当の水見みずみ瑛一えいいちが、不穏な動画を発見したのは。


「良く見付けたな水見」

「はあ。まあ。俺わりと配信者とか好きで、あとDJの友だちがフリーのビートとか乗せてる関係で動画サイトよく覗くから……」


 稽古場に集ったキャスト・スタッフ全員が、宍戸の私物であるノートパソコンを覗き込んでいた。

 問題の動画は劇団『暗闇坂の向こう』の公式チャンネルにアップされていた。


 ──「?」


「悪趣味ねぇ」


 蜜海みつうみ燈子すみこが心底呆れた様子で呟いた。


「不田房、この暗闇どうとかってあんたの元教え子の劇団なんでしょう?」

「面目ない」

「相当舐められてるわよ、あんた」

「面目ない、マジで」


 蜜海の言葉を止める気にはなれなかった。それよりも、鹿野の中には沸々と怒りが湧いていた。最早彼らは正体を隠そうともしない。不田房栄治で遊ぼうと、している。

 『暗闇橋の向こう』の公式チャンネルにアップされているのは、編集済みの一分程度の動画だった。問題は──主な撮影地が泉堂ビルの受付であるということだ。


「こう……泉堂さんのデスクトップの影にカメラを置いたんだろうな」


 宍戸が呟き、泉堂が「あああ」と心底苦しそうな声を上げる。


「俺がいつも玄関開けっぱなしにしてるから……」

「いや、それは別に泉堂さんの責任じゃあないですよ。だってここにビルを構えた二十年前からずっと同じようにしてるでしょ?」

「しかしなあ、宍戸」

「これに関しては誰が悪いとか、ないですよ。隠し撮りをしたやつだけが悪いんだから」


 宍戸は冷静だ。泉堂ビルの入り口は、確かに、常に開け放ってある。というか、開けておかざるを得ないのだ。泉堂ビルの一階は受付であるのと同時に、。依頼を受けて明かりを作りに行く際、重たい灯体を人力でビルの外の駐車場まで持って行くのは大変だ。何度も往復する必要があるとなれば余計に。だから泉堂は、一階の出入り口をドアではなくシャッターにして、ビル内に誰かしら人間がいる時間帯は常にシャッターを上げたままにしている。泉堂、もしくは留守番を任されたスタッフが席を外しているタイミングで、盗撮用のカメラを仕込んだのだろう。泉堂ビルには防犯カメラがない。仕込んだカメラの回収も容易かったはずだ。


 ──「?」


 公演予告ではなく、犯行予告のようだった。

 おどろおどろしいフォントで表示された文言。その後流れるわざとぐちゃぐちゃに繋ぎ合わせたと思しき盗撮映像には、おもに不田房、そして鹿野のふたりがモノクロに変換された姿で登場する。稀に宍戸や泉堂といった受付周りに立つことが多い者が映り込むこともあるのだが、彼らに関しては丁寧に顔にモザイクをかけてある。


「犯行声明ってやつじゃないですか?」


 腕組みをした格好で水見がくちびるを尖らせた。


「例の変な封筒もこいつらだってことでしょ? もう隠してないじゃないすか」

「確かにそうかも」


 稽古着のポケットに手を突っ込んだ格好で、丑沼うしぬまヒロタダが同意する。


「暗闇橋、うち……スクロペトゥムの連中も客演で呼ばれたりしたことあるけど、ちょっと変わった雰囲気の劇団だよね」

「変わった、ってどんな?」


 煙草を片手にきさらぎ優華ゆうかが尋ねた。


「なんかこう──軍隊みたいな?」

「軍隊ぃ? うちは暗闇橋って見たことないんやけど、聞いとったイメージと違うなぁ」


 長いまつ毛を上下させるきさらぎの気持ちも、『』という言葉を選んだ丑沼の気持ち、鹿野には両方が理解できる気がした。おそらく、不田房も似たような考えでいるのではないだろうか。


「どうするかな」


 宍戸が、無精髭の浮き始めた顎を撫でながら呟いた。


「盗撮に不法侵入、俺ならこの二点でじゅうぶん詰められるが」

「詰めちゃえばいいんじゃない?」


 と口を開いたのは、稽古場にいる全員がノートパソコンの前に詰めかける中ひとり休憩用ソファに腰掛ける狹山さやま沈坐じんざだ。


「警察沙汰にしようよ。これって完全に公演妨害にカウントされると思うよ」

「……ま、個人的には俺も同じ気持ちです」


 狹山の言葉に、宍戸が眉を下げて応じる。公演妨害。その通りだ。しかしなぜ。なぜだけが残る。彼ら──L大学で席を並べて不田房の授業を受け、その後袂を分かった同期や後輩たちとの関係は、少なくとも鹿野素直に限って言えば完全に断たれている。大学を卒業して七年。不田房がL大学での仕事を終えて三年。今更、なぜ。


「今夜、調査を依頼してある探偵に会う予定があるので、彼女の調査結果と合わせてこの件を事件にするかどうかを──」

「あの」


 胸元で小さく挙手をして、鹿野は口を開いた。


「今回の公演──私が降りる、という形で進行するのはどうでしょうか?」

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