第二話 奴隷堕ち

 マーガレットは穴を掘っていた。小さな体で重たいスコップを持ち、朝日が昇ってから橙色になるまで、休まず土を掘り返していた。


『なにをしているの?』


 魔物が一体、土や汗で汚れたマーガレットの頬を舐めて尋ねる。


「うめるための穴をほってるんだよ」

『なにを?』


 彼女はそれに答えなかった。ただグッと唇を噛んで、滲み出してきた涙をこらえる。


 昨夜、彼女の叔母と母親が死んだ。

 母はすぐそこにいる、大きな魔物を抱きしめるようにして息を引き取った。

 その魔物が何者であるのか、見た目は異なるもののマーガレットは理解していた。


 墓を作るのは初めてではない。

 食べ物を採ってくるのに、少しだけ森の奥に行く必要がある。すると時々、人の亡骸を見つけてしまうことがあるのだ。

 そういうとき、叔母は穴を掘って墓を作っていた。何故わざわざ埋めるのか、不思議に思ったマーガレットが尋ねると、叔母は難しい顔をしながら答えてくれた。

 人は、死ぬと腐る。そして死体からは生きている人間によくないものが生まれるから埋めるのだと。

マーガレットは死体を眺め、次に自分の手のひら

を眺めた。


 彼女には、ふつうの人間には見えないものが見える。黒いモヤのような、とりわけ魔物に濃くまとわりつくものだ。生きている人間にはないそれが、死体にはまとわりついていた。


 これがよくないものの正体なのだとなんとなく理解していた彼女は、叔母を真っ直ぐに見つめてもう一度尋ねた。


「じゃあわたしも、うめる?」

「――っ!」


 少女の体には、生きているのにも関わらず黒いモヤがまとわりついていた。

 叔母は必死に言葉を探しているようだったが、やがて諦めると、彼女を優しく抱きしめた。


「マーガレットのことは埋めないよ。そんなことしない」

「よかったぁ」


 そんなかつてのやり取りを思い出しながら、マーガレットはようやくスコップを手放した。

 柔らかい手のひらは皮が向けて血が出ている。魔物がべろべろとそれを舐めると酷く沁みたので、その鼻面をベチンと軽く叩いてやった。


「いたいからやめて」

『だっておいしいんだもの』

「わたしはたべものじゃない」

『ちょっとなめただけなのに』


 マーガレットがきつく睨みつけると、魔物はすごすごと退散していった。


 額の汗を拭う。手の甲に、かさついた皮膚の凹凸が伝わった。


 彼女が自分の体の中で、いっとう気に入っているのが額である。次に鼻、そして耳。そこは愛する家族がよく触れてくれた場所だった。

 温かい唇や肌の感触を思い出し、マーガレットはその場に蹲り、しばらく動けないでいた。



 辺りが完全に暗闇に呑まれたころ。彼女は土を平に均し、その上に寝そべった。

 これから何をすればいいのかわからなかった。母からは常々「いつかあなたを心から愛してくれる人と出会って欲しい」と言われてきたが、マーガレットはその意味がよく分からなかったし、母と叔母がいればそれで充分だった。


 だが漠然と、どこか行くべき場所があるような気がした。

 もし彼女が本能という言葉を知っていたなら、それだと頷いたことだろう。


 少女は一晩墓の上で眠ると、導かれるように、森の外へと歩き出した。




 黒いモヤが段々と薄くなっていく。同時に、植物がまばらになっていった。鬱蒼と茂っていた木々はいつの間にか姿を消し、代わりに、背の高い壁が現れる。壁と言ってもそれは色のない膜のようなもの。ただ、奥にあるものがぼやけて見えるので、阻まれていることは確かだった。


 上も横も、どこまでも続いていて全容が掴めない。それに、マーガレットはその壁に嫌な気配を感じていた。

 ともかく触れてみなければ始まらない。少女は人差し指でちょんと、薄い壁をつついてみた。


「――ンギャッ!!」


 喉から潰れた声が出る。魔物が痛みに驚いた時のものと同じだった。

 少女は慌てて人差し指を確認する。指が弾け飛んでやしないかと。それほどの衝撃と痛みだった。


 とても危ない。

 マーガレットはその場から離れると、壁にそって、まずは右へと歩き出した。しかし歩いても歩いても、一向に壁は消えてくれない。

 となれば、次は左にそって歩くのみだ。


 しばらくして、少女はその場に仁王立ちを決め込んだ。

 左右どちらも、延々と続いているように思えたのだ。

 それもそのはず、彼女の歩幅と体力では一日中歩いたとしても壁の端にたどり着くことは出来ない。

 昨日は一日中穴を掘っていたし、体のいたるところが痛みはじめてきた。空腹も限界に近い。


 家に戻って食事をしたら、また探検に出かけよう。

 そう、マーガレットがつま先を翻したとき。


 影が、彼女を覆った。


「こりゃあたまげた。人間の子供じゃないか」


 振り返ると、そこにいたのは小太りの男。少女にとっては、母と叔母以外で見た初めての生きている人間だった。


「魔法使いから魔物の奴隷を融通するよう無茶を押し付けられて結界を出てみたが……グヒ。こいつぁ高く売れそうだな。オラ、さっさとこの子供を担げ」


 男は右手に持つ武骨な鎖を大きく引っ張った。彼の背後からぬぅっと、眉のないイカつい半裸の男が背中を丸めて前へ出る。


 マーガレットは大男を見て、それが人間なのか魔物なのか区別がつかなかった。人というにはあまりに歪で、しかし魔物というには黒いモヤがない。


 彼女は戸惑いながらも、魔物の言葉で挨拶をした。が、大男は感情がないのかぴくりとも顔の筋肉を動かさず、緩慢な動作でマーガレットを肩に担いだ。


「わぁ、高い!」


 少女はキャッキャとはしゃいだ。

 悪意に晒されたことのない無垢な彼女に、これから降りかかる不幸を想像をしろという方が酷な話であった。






「なんだこの額の火傷は。汚らしい」

「旦那様! 傷ものですが前髪を隠してしまえば器量は良いほうでございます! 一万……いえ、五千マニルトでいかがでございましょう」

「いらん」


 客に一蹴され、奴隷商の男は貼り付けた笑みを崩さないまま、ギギ、と首を檻の方へ向けた。


 せっかくの上物だと思って連れ帰った少女。魔物の森を彷徨いていた割には健康そのもので、成長すれば相当な別嬪になると確信するほどの器量良し。だがその全てを台無しにする火傷跡に、男は戻ってから気づいたのだ。


 もちろん、馴染みの魔法使いに頼んで魔法での修繕――治療を試みたが、この火傷はまじないの類いであるらしい。あらゆる治癒魔法を受け付けなかった。

 少女を拾ってから約一ヶ月、買い手が付かずに管理費だけがかさばっていた。


 奴隷、と聞けば何をしてもいいように思われるかもしれないが、実際奴隷商に対する取り締まりは年々厳しくなっている。大昔は出処の分からない臓器――つまりは解体された奴隷のもの――が裏ルートで売買されていたらしいが、いまの時代そんなことをすれば一発で牢獄行きだ。


 しかし法整備がなされているということは、奴隷の売買が公に認められているということ。法律は、聖魔協会に所属する魔法使いたちの中途半端な倫理観が築き上げたものである。

 使い勝手のいい奴隷は欲しいけれど、良心の呵責には苛まれたくない。そんな手前勝手な理由から生まれた、奴隷の命を守る最低限の法律に男は辟易としていた。


 結局なにも買わず出ていった客を笑顔で送り届けてから、男はマーガレットの檻に引き返す。


「グルルルル……」


 唸る少女は、ここがどういった場所であるのかまだ理解していないようだった。しかし、男が良くない人間であることは早々に理解した。

 ときどき、彼の手は黒いモヤに覆われている。それがあるのは決まって、男が檻から奴隷をどこかへ連れていくときだった。


「客商売はストレスが溜まるんだ。魔法使いってのはどいつもこいつも気位が高くて鼻につく。魔法使い以外は全部下に見てやがるんだ。だが、そんな奴らにゴマすってかなきゃ生きていけない世の中なんだから割り切るしかねぇ。だからこそ、このストレスとも上手く付き合う必要がある」


 男は下卑た笑みを浮かべ、檻に鍵を差し込んだ。


「大丈夫。奪わねぇさ。法律は守らねぇとな」


 太い鎖を掴み、彼はマーガレットを檻から引きずり出す。


 向かうは地下室。

 苦痛と絶望の臭気に満たされた、男の楽園がそこで待っている。

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夜明けの羊 禍福 @kahuku000

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