【quartz番外編】ありがとうって、言わないぜ 3

 辺りはすっかり日が落ち、暗くなっていた。月は雲に隠れていて、仄暗ほのぐらい空には蝙蝠こうもりが飛んでいる。

 怒りが冷めやらぬリックは、ギュッと両手を握りしめると、ジッポの家へと一目散に駆け出した。


 しばらく走ると、暗がりの中、ポッと温かいあかりが見えた。きっとあそこがジッポの家だ。

 ジッポの家の向こうには、大きな森が見える。夜の森は、まるで生き物のようにゾワゾワとうごめいて見えた。その森から吹いてくるひんやりとした風が、リックの毛並みを撫でていく。

 この時になって、リックはランタンを持って来なかった事を後悔した。足もとがよく見えないとかそういう問題ではなくて――ただ、夜の暗い世界を、照らすものがなく歩くことが心細く感じたのだ。


 リックの気持ちを察したかのように、雲に隠れていた月がほんの少し顔をのぞかせた。月明かりがリックの足元を照らし出す。

 走りながら夜空を見上げたリックは、心を落ち着かせると、なるべく森の暗がりを見ないようにして、ジッポの家に近づいた。




—ジッポの家—


 木造の簡素なつくりをした家は、雄猫ふたりだけで暮らしているせいか、窓にカーテンは無く、部屋の明かりがそのまま外に漏れ出ていた。

 入り口の戸をノックしてみようかと思ったが、リックはここへきて気が引けてしまった。

 どうしようかと考えながら、ひとまず明かりのない家の裏へと回ってみることにした。


 それほど大きな家ではなかったが、いつも騒がしくする方が得意なリックにとって、気配を消して、音を立てないように家のまわりを歩くのは一苦労だった。

 とりあえず、ぐるりと家を回って、ジッポがどの部屋にいるのか探してみるか——そう考えたリックが、忍び歩きから小走りへと歩き方を変えた時だった。何かにつまずいた。

「イテッ」

 小さく悲鳴を上げ、リックは地面に倒れた。


「何してんだよ」


 暗闇から急に誰かの声がした。

 驚いたリックは慌てて立ち上がると、「だっ、誰だ。そこで何をしてるんだっ」と声をひそめて言った。


「自分の家のそばで俺が何していようが、俺の勝手だろう」


 立ち上がる気配がした。声の主が月明かりの下に現れた。

「ジ、ジッポ」

 ジッポの耳についていたピアスが、鈍い光を幾つか放った。不意打ちを食らって、心の準備ができていなかったリックは、つい声が裏返る。

「な、何してんだよ、こんなとこで」

「それは俺が聞きたいわ」

 はぁったく……とジッポはため息を吐くと、「俺に用でもあるのか」

 と面倒くさそうに聞いてきた。


「気を失った俺を家まで運んでくれてありがと」

 棒読みの台詞セリフのようにリックは言った。それを知ってから知らずか、

「どういたしまして。わざわざそれを言いに来てくれたんだ」

 にっこり白々しく微笑んだジッポは、リックの左耳に視線を流した。

「あれ、俺のプレゼント気に入らなかった? 取っちゃったのかよ? ……何だよもう」

 面白くなさそうに、ジッポは首を振る。

「何だよもう、は俺の言葉だっ。俺の用件はそれだよ、文句を言いに来たんだ! 勝手に俺の耳に穴を空けただろ。どうしてそんな事するんだよ!」

 リックは尻尾しっぽを逆立てて、ジッポを睨んだ。その様子を見て、「そんなカッカする事ないだろ。何をしても起きなかったお前が悪いんだ」とジッポが言うものだから、リックの怒りは更に激しさを増していく。

「許さないから」

「そんな怖い顔するなって」

 リックの両肩に、ジッポは手を置いてなだめるように言った。

 リックは歯を剥き出して唸り声をあげた。握りしめた両手には、爪が食い込んでいる。


「おい、ジッポ、何をしてるんだ」


 急にふたり以外の声が聞こえ、リックは振り返った。声の主は、家から出てきたジッポの父親だった。

「誰と話をしているんだ? 反省はしたのか」

 ジッポの父親は、赤々と火が燃えているランプを持ち、こちらの様子を伺っている。

 父親は、ジッポより毛色が薄い縞模様の猫だった。背が高く、引き締まった身体からだをしている。袖無しの服を着ているせいか、腕の筋肉が隆々としているのがわかった。


「魔物に出会ったらすぐに逃げろと教えていただろう。それなのに、お前は無謀にも戦おうとするなんて」


 父親の言葉に、ジッポは微動だにせず、黙り込んでいた。


「お前には不思議な力が備わっているのかも知れない。だがそれを扱えきれるほど、今のお前は成長していないんだ。……今日の出来事を心に留めておくんだ」

 そう言うと、ジッポの父親はリックを見た。

「確か君はゴードンさん家のリック君だったかな? あまり夜は出歩かない方がいい。この街の森にも魔物が姿を現すようになったからね」

 ジッポの父親は「ではね」と言うと、窓の戸締まりをし、家の中へ戻っていった。


「魔物と、戦ったの?」

 リックは目を伏せているジッポに問うた。

「俺のこと、馬鹿だって思っただろう。そうだよ、俺は馬鹿だ。何だって世界は俺の思うとおりになるって思ってたんだからな。……でもそうじゃないって、今日俺は気がついたんだ」


 ジッポはリックに背を向けると、家に入ろうと歩き出した。妙にゆっくりとした足取りで歩いている――左足を、引きずっている。

「ジッポ、左足、どうかしたのか」

「……怪我、したんだよ。左足だけじゃない、右肩も、怪我しちまった」

 暗がりでよく見えなかったが、ジッポの右肩には布が巻き付けてあった。その布の下には、よく見ると白い包帯が見える。

「俺、もうダメかもな。これじゃあ、弓は使えない。弓だけじゃない、俺は父親の後だって継げやしないんだ」

 ぼそぼそと低く沈んだ声は、いつものジッポの声とはまるで違っていた。リックは、まるで猫が変わってしまったかのようなジッポに、動揺する。あんなに積もりに積もった怒りがあったのに——今のジッポに対しては、あわれみさえ抱いてしまいそうだ。


「なぁ、リック」


 気づくとジッポは足を止め、後ろを向いたまま、何か言いたそうにリックの返事を待っていた。耳の後ろを掻きながら、リックは言う。

「何だよ」

「お前、俺よりも弓使うの上手くなりたくないか? この間、俺と勝負した時に、そう思ってたんだけど。俺がお前に、俺の知ってる限りの弓の技を伝授してやるよ」

「何でそんな事、急に言い出すんだよ」

 怒るような口調でリックは言った。今のジッポは、まるで、自分がもう終わりだとでも言わんばかりの様子だ。リックはそんなジッポに腹が立った。

「ジッポ、何のつもりかわからないけど、俺は嫌だぜ。だいたい、何でお前に弓を教えて貰わなきゃなんないんだ。魔物を倒すのにそんな大怪我してるようなヤツに教わるなんて、まっぴらだぜ」

 後ろを向いたまま、ジッポは「それもそうだ」と笑った。けれどその笑い声も、何だか気が抜けた炭酸水のような笑いだ。

「確かにそうだ、けど、俺の持ってる技術は最高なんだ。実践は親父の方が優れているけど、俺は親父より技術がある。それに、代々俺の家は弓の名家なんだ」

 

 リックはどうしていいのかわからなくなって、しばらく黙り込んだ。ジッポもこちらに背を向けたまま、静かに黙している。

 

 先に沈黙を破ったのは、リックだった。

「俺に……俺に頼み事がしたいんだったら、ちゃんとそう言えよ! ずっと背を向けたまま喋りやがって、信用ならないんだ。どうせ俺を、からかおうとかそういう魂胆なんだろ? ……誰かに頼み事する時はなぁ、そいつの目をしっかり見て話すもんなんだぞ!」

 すると、ジッポは怪我をしていない右足を軸にして、ゆっくりと振り返った。

 うつむいていたヘーゼル色の瞳を、リックへと合わせる。少しはにかんだ顔つきをして、

「なぁ、頼むぜリック」

 ジッポはじっとこちらを見据えて言った。照れくさそうにはにかんではいるが、目はまっすぐ真剣に、こちらを見据えていた。


 リックはジッポが本気でそんな事を言っていることに、驚いた。信じられなくて、頭の中がグルグルと回る。目眩めまいを起こしそうだ。こんなジッポを見ているのは、何だか気持ちが悪い。


 ジッポは言葉を重ねた。

「ちゃんとお願いしてるんだ、答えてくれよリック」

「……あぁ、わかったよ」

 そう言うと、リックはジッポに背を向け、自分の家へと走り出していた。

 後ろから、「明日、今日と同じ、約束したところで待ってるからな!」と言う、ジッポの声がした。

 リックは口を一文字に結んで、振り返らなかった。家までの道を、来た時と同じように一目散に駆けていった。


 帰宅して——ベッドに入った後も、リックは明日、約束の場所へ行くかどうかを考えていた。

「何なんだよ、あいつ」

 寝返りを打つと、リックはぼそぼそと、ジッポに対して思いつく限りの悪口を呟いた。そうしているうち、気がつくと、リックは眠りについていたのだった。




 翌日。朝起きると、昨日の迷いは消えていて、ジッポの待っている約束の場所へ行くことに決めた。どうやってその結論に至ったのかは自分でもわからなかったが、行くべきだと思ったのだ。

 朝食に野イチゴのジャムをたっぷりのせたベーグルパンを3つ食べると、リックは弓と矢筒を持って家を出た。

 



-森の入り口-


「よぉリック、おはようさん!」

 先に着いていたジッポが、左手で松葉杖を持ち上げ、大声で叫んでいた。


「何だかんだ言って、お前ってちゃんと来てくれるよな。そういうところ、好きだぜ」

 顔を近づけて、ニヤリと笑ったジッポに、「お前のそういうところダイッキライ」

 リックは歯を剥きだして睨みつけた。

「そんな怒るなよぉ。さあ行くぜ、お前のためにいい練習場所教えてやるからな」

 ジッポはそう言うと、松葉杖をつきながら森の中へと歩き出した。

 その後を、リックもふくれっ面をしながら続いた。


 ジッポは足を怪我しているというのに、狭い小道や茂みの中をするすると歩いた。道を知っているせいなのか、それともリックよりも森に慣れているせいなのか。

 ジッポに置いて行かれないように、リックは時折耳や服を枝に引っかけたりしながらも、懸命にジッポの後を追いかけた。




-ジッポの練習場所-


「ここだ、いいところだろう」

 小さな若い木々のアーチを抜けると、そこには空から光が差し込む開けた場所があった。見上げると、生い茂った枝えだがこの場所だけ途切れており、ちょうど吹き抜けのようになっている。

「うーん、また木が成長したなぁ。葉が増えて茂りすぎてる……もうすこし、練習には明るい方がいいな」

 何やらそう呟くと、ジッポは松葉杖をちかくの木に立てかけて、右腕を胸の前に当てた。


 突然、ジッポを中心にして、風が巻き起こった。ジッポの右腕から、何か緑色の輝く物が飛び出る。

「竜だ」

 思わずリックは口に出した。

 きらめく緑色の竜が、空へ向かって舞い上がる。風をまといながら上空に突き進むその竜は、風とともに木の葉を巻き込んでいく。

 ゴゴーッと一際大きな風が、見ているふたりの上で渦を巻いたかと思うと、次第に枝に茂っていた葉が刈り取られるようにして宙を舞い始める。

 天井を覆っていた葉がどんどんと減っていき、光があちこちから差し込み始めた――森が明るくなっていく。


「これくらいでいいか」

 ジッポは、パンっと手を叩いた。すると緑色の竜は風を止め、ジッポの右腕にあっという間に消えてしまった。

 目を丸くしていたリックに、ジッポは笑った。

「これが、竜石使いの技だ」

 

 一息つくと、ジッポはリックに弓の使い方を教えた。父親から教わっていたリックだったが、どうやらジッポ曰く、矢のつがえ方がよくないらしい。

「兎を捕まえるくらいなら、この程度でも問題無い。でも魔物を相手にするなら——よりスピードと力が加わる方法を知れば、一撃で仕留められる」

 ジッポの真剣な顔つきに、リックも真面目に応えた。

「それに、弓を引いている時の右手の位置もダメだな。もう少し、こう、これくらいまで引かなきゃ」

「……腕が痛い」

 リックは腕をぷるぷるさせながらも、「正面のあの木に当ててみろ」とジッポが言ったまとに向かって矢を放った。


 矢は勢いよく飛び、見事、的に突き刺さった。

「わお、当たったよ!」

 嬉しそうなリックに、

「なかなか良い線いってるじゃないか」

 ジッポはうんうんと頷いた。




 ジッポの指導の元、リックは毎日弓の練習に励んだ。時には練習中に喧嘩をして、取っ組み合いになったりした——けれど、ジッポに容易く片づけられてしまい、練習再開を余儀なくされることがしばしばだった。


「弓の使い方が上手くなったら、喧嘩のコツも教えてやるよ」

 そう言って、松葉杖の先っちょでリックの背中を突きながら、ジッポはよくきゃっきゃと笑った。

「いつか負かしてやるからな」

 猿のような笑い声を聞く度に、リックは決意を新たにするのだった。




 そんな風にして、束の間のひと時は過ぎていった。リックはすっかり弓の扱いを覚えてしまって、ずいぶんと腕前を上達させた。

 この頃には、ジッポの怪我も完全ではないものの癒えてきていて、また弓に矢を番られるようになっていた。


「どうだ、俺もお前に劣らなくなっただろ」

 まとのど真ん中に矢を当てたリックは、どうだと言わんばかりの顔をジッポに見せつけた。

「それはどうかな」

 そう言ってジッポは、リックの矢が刺さった同じところに矢を突き刺す。

「まだまだ、俺とお前とでは、実力と経験の差があるんだぜ。調子に乗ってもらっちゃあ、こ・ま・る・わ」

 ジッポは恋猫エミリーがよくする、頬に両手を重ねる仕草をした。

「くっそぉ、絶対今度勝負した時、エミリーちゃんを取り返すからな!」

 リックは鼻息荒くそう言うと、転がっていた荷物を拾い上げた。

「お前の勝利、気長に待ってるよ」

 ジッポは余裕の笑みを浮かべて手を振った。

 いつものようにぷうっと膨れっ面をしながら、リックは家に向かって走り出した。


 森を出ると、強い西日がリックの頬を染めた。

 リックが家のすぐ近くまで来た頃には、日はほとんど沈み、あたりには夜の気配が漂い始めていた。振り返ると、空に黒い影がいくつも飛んでいるのが見えた。

蝙蝠こうもり、最近多くなったな」

 何気なくぼそりと呟くと、リックは夕食のにおいが立ちこめる家の中へと入っていった。




 翌日、リックはいつものように朝起きると、部屋を出て食卓に向かった。

「おはようリック」

 母親がそう言って、黄色いスープをリックの前にコトンと置いた。

「おはよう」

「そうそうリック、今日ジッポ君のお家に行ってあげなさい。何か、あったみたいなのよ」

 そう言った母親の言葉に、リックはきょとんとした。

「何かって?」

「ジッポ君のお父様に何かあったって聞いたわ」


 黄色いスープと、森葡萄を一房食べると、リックは弓と矢筒を背負って、ジッポの家へと向かった。






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