第7話 「本音」

【1】


 息を切らして、私はよく知った宿の入り口の扉を開けた。

 そこにはちゃんとソレラが居た。彼女は私を待ってくれていた。

 彼女の姿を見て浮かび上がったのは沢山の罪悪感。

 そして、それよりも沢山の愛おしさ。


 ソレラに何か話さなきゃ。そのために来たはずだ。

 けれど言葉は簡単に出てこない。


「ソレラ、私、ね……」


 そこまでしか言えずに沈黙してしまう。

 そんな私のもとに近づいて、ソレラが手を取った。


「クラウ。心配しなくていいから、そのまま話してよ」


 こんな時まで、優しい言葉をかけてくれる。

 本当なら、私がそうするべきなのに。


「ごめん、上手く言葉がまとまらないの……

 だからまた、あなたを傷つけてしまうかもしれない……」

「それでもいいよ。まとまらなくても、正しくなくても、今のクラウの言葉が訊きたい」

「それでいいの……?」

「いつも……わたしが我が儘を言うたび、クラウは笑って誤魔化してた。

 わたしが意見する度、クラウは譲ってた。

 だから、こんな時くらい……あなたの本当の気持ちを、全部伝えてよ」

「ソレラ……」

「クラウは……これから、どうしたいの?

 どうしようと思っていたの?

 みっともないくらいでいいから、言い訳みたいなことも、言っていいから。

 だから言いたいこと、ちゃんと話して。

 ……いつもクラウがそう言ってくれてたんだよ?」

「………………私が、そう言ってた」

「うん。わたしが俯くたび、本音を隠そうとするたび、あなたはそう言ってくれていた」

「……………………」


 この迷いを、葛藤を、全てソレラに見せてしまうことになるかもしれない。

 けれど、この子の言う通りだ。ここに来た以上は、それでもいいと思った。


 山を下りる前、アレシオさんが言っていたことを思い出す。


~~~~~~~~~~~~~


----誰かのために生きること、そして自分のために生きること……あなたは、それが同時にできる人だ。


~~~~~~~~~~~~~


 自分自身を隠し続ける先に、きっと幸福はないのだろう。

 だから私は……私自身の思いを口にする。

 ぐちゃぐちゃなままの言葉でも、それが自分という人間だから。


 息を整え、ゆっくりと心を落ち着かせる。


「私は……もう、ここにいる資格が無いんだと思う」


 少しずつ、感情を吐露させていく。


「人間のフリをして騙し続けたこの村もそう。そして……

 姉妹であると嘘をつき続けた、あなたに対してもそう」

「クラウ……」


 一度描いた自己否定は、そのまま連鎖的に溢れ出してしまう。


「あなたを救いたい、だなんて理由をつけて、全てを正当化しようとしていたのかもしれない……

 わからない……けれど今となっては、全部が許されないような気がしてる……

 嘘つきだって、私自身が囁いてるの」

「けど、わたしを救うっていうのは、本当のことじゃないの?

 あのまま村にいても、虐待されて殺されるだけだったかもしれない。

 けれど、あなたが拾ってくれたから、その魔法を使ってくれたから、今日まで生きてるんだよ」

「けれどそれは偶然よ。それに、だからといって他の罪が消えるわけでもない。

 それに、私はあなたと暮らすために魔法を使い、村人を騙した。

 だから、駄目なの」

「駄目って、何が?」

「……ここであなたたちと生きることが。あなたと暮らすことが」


 何度葛藤しても、どれだけ苦しんでも、答えは見つからなかった。

 結局私は、定まらない自分自身を彼女にぶつけている。


「私は、あなたの元から居なくなるべきなんだと思う。

 帰らなきゃいけない、あの暗くて寂しい山の中に。独りの場所に。

 普通の人とは違うから。あなたとは違うから」


 違う、なんて当然じゃないのか、とソレラは思う。

 けれど、二人の間の溝は、普通の人間のものとは大きく異なっているのも事実だった。


「クラウが嘘つきでも、魔女でも……わたしは構わない」

「本当に、私が魔女でも構わないの?

 それは……同じ時間を過ごせない、ってことなのよ?」

「……………………」

「魔女と人間は、生きる時間が違う。

 あなたにとっては一生分の出来事でも、私にとっては一瞬なの」


 そうだ。生きる長さが違うんだ。

 それは神様が決めたこと。どれだけ努力しても、埋められない壁だ。


「けど……わたしが生きてる間だけかもしれないけど、一緒に過ごせるはずだよ」

「確かにあなたはずっとひとりぼっちにならないかもしれない、けどね……私は違うの!

 あなたと二人で生きていって、けれどその先、あなたが先に居なくなってしまったその後はどうするの?」


 きっと、普通の人間ならば、心の拠り所はたった一つなんかじゃない。

 他にも自分を支えてくれるものがあって……あるいは、そういうものを新しく見つけることができるのかもしれない。

けれど、私にはきっと無理だ。


「また誰かを大切に思うことなんてできっこない!

 どうせ一人になってしまうのに、失うことを恐れて生きていくなんて、きっと耐えられない!

 そうじゃなくても、こんな私に近づいてくれる人なんか、きっといない……!


 私は怪物なの!

 何千年も生きている、人間の形をした悪魔!

 あなたと共に過ごした時間なんてほんの一瞬でしかない!

 生きる時間は、やっぱりどうしようもなく違う!」


 そうだ。

 ソレラと一緒の時間を過ごし始めてから、同じ時を生きられないという絶望をより強く感じた。


「あなたの背が伸びて、だんだん饒舌になって、上の段のタンスを開けられるようになって、一人で洗濯ができるようになって……

 その間、私は何も変わらなかった、幼い少女の面影はいつまでも消えず、身体つきだって何の変化もない」

「……………………」

「そんな差を実感するたび、時が経つのが怖くなった」


 ずっとそうだった。もう一度この村に来てから、ずっと。


「いつか、絶対に先にあなたが死んでしまう。

 あなたが死んだあとも、私はずっと生き続ける。

 あなたのぬくもりを失うことが怖い、それだけじゃない。

 いつかぬくもりを思い出せないことは、もっと怖い……!」


 ソレラが死んでしまった後、孤独になることが怖い。

 そして、それと同じくらい、いつかあなたのことを忘れてしまうことが怖い。


「こんなに大切なものが、いつか過去のものになってしまうのが、たまらなく怖いの……!

 かつて親しかった少女だって、そうだった……

 彼女を裏切って、謝りたくて、ずっと会いたかったのに……

 いつしか、会いたい気持ちも話したい言葉も、全部自分の手のひらから離れてしまった……!」


 日々の喜びと別れの悲しみは段々と薄まっていく。

 感情は少しずつ時間をかけて鈍化していく。

 いつかあなたの事を忘れてしまうかもしれない。そんな私が、あなたの家族と言えるのだろうか?


 そんな悩みは全部、同じ時を過ごさなければいいだけの話だ。

 私が人と巡り合うことをやめて元の暮らしに戻れば、解決する。

 これ以上、家族になりたいなんて我が儘を言うことをやめれば、それでいい。


「わたしは偽りでも構わなかったよ!

 いつかクラウが忘れてしまうとしても……

 本当の姉妹じゃないとしても、それでも、幸せに暮らすことはできないの?

 血の繋がりがないと、家族にはなれないの?」

「きっと無理よ、血の繋がりだけの問題じゃない……

 私達は二人とも、家族の愛を知らない。優しさを知らない! 

 だから、本物にはなれない……!」


 そう、私もソレラも、捨てられた子なのだ。

 私は親に暴力を振るわれ、見放された。

 ソレラも同じだ。

 彼女を産んだ母親は村の外に逃げた。育ての叔母は彼女を捨てた。

 二人とも、愛を知らないまま育っている。


 血の繋がらない偽物が姉妹の真似事をしている。

 愛情を知らない子供が家族の真似事をしている。

 そして、心を知らない怪物が人間の真似事をしている。

 何一つ正しいものは無かった。本物なんて無かった。


「わからない……クラウが本当にそう思っているのか、わたしにはわからないよ!

 だって、わたしたちは上手くやってきたじゃない!

 世の中には、実の子供をぞんざいに扱う人間がいて、親を殺すような人間もいて……!

 けど、そんな歪んだ本物よりも、わたしたちの方がずっと家族だった、そうじゃないの?」


 ソレラは私の目を真っ直ぐ見つめてそう言った。


「それに、今ならわかるよ……

 クラウは本当に頑張って来たじゃない、きっと、本当の家族にも負けないくらい……!

 今更そんなことを言っても、その事実は変わらない、ずっとわたしの記憶に残ってる……!」

「そうよ、私はあなたと家族になりたかった!

 心からそう思っていた、それは嘘偽りないはずなのに、なのに……っ!」


 それでも、見えない障壁があった。

 ソレラからしたらそんなもの無いのかもしれないけれど、少なくとも私は感じていたことが一つ。


「……だって、だってあなたは一度も!」


 こんなことを言うのはおかしいとわかっている。

 こんな感情はめちゃくちゃだって、自分でも理解している。

 彼女とこの村で暮らし始めてからずっと抱いてきた想いがあった。

 言葉にするのを必死に抑えていた我が儘があった。

 一日たりとも消える事のなかった本音があった。それを口にする。




「一度も私のこと……

 お姉​ちゃんって​呼んでくれなかったじゃないっ!!」




 ばかばかしい話だ、と思う。

 けれど私はずっと、本当にずっと、それを気にしていたのだ。


「きっとあなたは心のどこかで私が本当の姉ではないことに気付いていた!

 だから、どうしてもそう呼べなかった!

 私の魔法も不完全だったけれど、振る舞いはもっと不完全だったから」

「クラウ……」

「……そんな風に名前で呼ばれる度、苦しかったの!」

 

 『クラウ』と呼ばれるたび、笑顔で話しかけてくれることを嬉しく思いつつも、自分と彼女が本当の家族ではないことを突き付けられたような気がした。


「もっと、お姉ちゃんらしくしたかったの……

 なのに、私、ずっと自身がなくて……やっぱり偽物なんだって、そう思って……」


 ここまで理屈を並べようとした挙句、こんな子供みたいな不満を漏らす自分が情けなくなる。


「ごめん……」

「違う、あなたが悪いんじゃないの……

 ただ、自分の嘘を思い出して、自分が情けなくて……全部、私のせいなの」


 その責任をソレラに押し付けるのは大変なお門違いだ。

 そんなことはわかっている。

 だからこそ、自分がどんどん虚しくなる。

 輝いている彼女の傍に居るべきは自分ではない、という考えだけが渦巻いてしまう。


 やっぱり、ぐちゃぐちゃだ。


【2】


 しばらくの間、お互いに黙り込んでいた。

 ソレラの顔を直視するのが怖かった私は下を向いていた。

 沈黙を破ったのは、ソレラの方からだった。


 彼女は、


「ごめんね」


 と呟いたのち、


「ばか」


 と付け加えた。


「あのね、わたしの話、聞いてくれる?」


 顔を上げた私を真剣に見つめながら、ソレラは話し始めた。


「わたしも、ちゃんと考えてたの。

 本当のことを知らなかったこともそう。

 わたしの方が、あなたよりもずっと早く死んじゃうことだってそう。

 こうやって一緒にいる時間が、将来のクラウを傷つけてしまうのかもしれないって……

 だから、このまま離れ離れになった方が、互いの為だって、そう思おうとした」


 彼女も、私と同じだった。

 生きる時間の長さが違うという事実を突きつけられたのは、当然私だけじゃない。

 ソレラだって同じだ。


「でも、そのくらいでやめられるなら、こんな苦しくならなかった。

 別れるなんて、忘れるなんて、できるわけない……」


 彼女が求めているのは、別れではない。

 私がこれだけ自分の不幸を口にしても、それでも希望を何一つ捨ててはいない。


「あなたが、自分が魔女だと言えなかったその気持ちはわかる。

 それを隠し続けてきたことに、今更怒ったりはしない。

 だって……たぶんわたしも、何か察してた、その上で、気付かないふりをしてた」

「そんな……私、魔法をかけてたんだよ?

 ソレラは『嘘』が真実だと思い込んでたでしょ……?」

「だって、あなたの魔法は矛盾や違和感に気付くたび解けていくんでしょう?

 ずっと一緒に暮らし続けてきたんだよ、思い当たることはあるよ……!」

「……そう、だったんだ」

「わたしだって、いつも悩んでた!

 幸せだと呟いているのに、少しだけ大切なものを避けているようなあなたに……

 いつも、どこか先の未来のことを考えて、不安そうな顔をしていたあなたに、何もしてあげられなかった!」


 だからあなた一人で抱え込まないでよ、と彼女は言った。


「甘えて現状維持を選び続けていたのは、きっと私自身も変わらないから……

 だから一人で抱え込まなくて良かったんだよ……?」


 ソレラが私の頬に手を伸ばす。その指先が優しく触れる。


「わたし達はまだ、なんにも話してない。

 一人で抱え込んだだけで、『本当の家族が何か』なんて、一度も相談してないじゃない。

 二人で話せば、答えが見つかるかもしれない」

「……これから、見つかるかな」

「わかんないけど、もう一人で背負わせない、わたしがあなたを一人ぼっちにしてやらない。

 だから、これからは一緒に抱えて行こう」


 伸ばした指先をそのまま目元に移動させる。

 そこで、自分が少し涙を溢しているのだと知った。


「……それに、お姉ちゃんって呼んでこなかったことなんだけどね」


 ソレラは少しだけ気恥ずかしそうにして、話し続ける。


「私たちはさ‥…どれか一つの関係を選んだら、不完全かもしれないよ。

 姉妹としては、本物じゃないかもしれないよ。

 でもさ……関係を一つの言葉で縛り付ける必要は、あるのかな」

「え……?」

「確かにわたしのお姉ちゃんだけど、それだけじゃないの。

 あなたは確かにわたしの姉だけど……

 けど、育ててくれた親代わりだし、時には友達みたいだった」


 それは、姉妹という言葉じゃ到底表せないだけだったんだよ。そう彼女は言った。


「あなたはわたしの全てだった。

 山の中で、ただ死を待っているだけだったわたしに命を与えてくれたから。

 幸せを与えてくれたから。


 いままで上手く伝えられなくてごめんね。

 口下手でごめんね。

 けど、ずっとそう思ってたよ。

 ……だから、名前で呼んでたの」

「そ、そんなの、今までわかってなかった……

 お姉ちゃんなのに、家族なのに……あなたがそんなこと考えてたなんて……知らなかった」

「姉妹なのに、家族なのに気付いてないとか、そんなの当たり前だよ。

 結局、例えどれだけ近しい関係だとしても、自分は自分で他人は他人。

 家族でも、姉妹でも、口にしなければわからないことだってあるんだよ」

「そうなの、かな……」

「そうだよ。仕方ないことなの、それは」


 けれど、それは決して悪いことじゃないのかもしれないんだ。彼女はそう言った。


「うその姉妹だから、わからないんじゃないの。

 血のつながりとか、関係性とか、関係ない。

 わたしたちは、自分を伝えるために、言葉を交わさなければならない。

 それは、人間だからなんだよ、きっと」


 魔女も、少し不自由な人間にすぎない。

 アレシオさんはかつてそう言っていた。

 けれど私自身、それを本当に信じることはできていなかった。

 けれど、目の前の少女は、ちゃんとそう思ってくれている。

 そのことが何となく嬉しかった。


「……ソレラは凄いね。そんなことまで考えて」

「わたしだって、わかったふりしてるだけだよ」


 他人の言葉をそのまま借りただけだ、そうソレラは言った。


「ミーアが言ってたの。

 わたし達は繋がれないのに、近付こうとする。

 誰かと手を取り合うその先にあるのは、『言わなくても伝わる』ことじゃなくて、『話す機会が沢山ある』ことなんだって」


 あの子も、私と同じ魔女のはずだ。

 同じように欠陥を抱えていて、同じように苦しんでいたはずだ。


 一体、どれだけ生きて、何を見て、その答えに辿りついたのだろう。


「そっか……」

「あなたのことをお姉ちゃんだと思っていないからなんて、そんなわけない。

 むしろ、もっと大切なものだって、ずっと思ってる。それだけは伝えたかった」

「ごめんね、ソレラ……

 私、不器用で、あんまり察しも良くないから……

 そういうこと、わからなかった」

「ううん、わたしこそごめんね。

 わたしも本当のことを伝えるのが苦手で……ずっと、言えずに隠してた」

「なんだか、私みたいなこと言うね。ずっと嘘ついて隠してたの、私の方なのに……」


 似たもの同士なのかもね、と私たちは笑った。


「……だからね、これから、もっとたくさん話そう?

 わかりあえるように……わかりあえなくても、伝えられるように。

 そのために、一緒に居よう」

「いいのかな……私、あなたと一緒に居て、良いのかな……」

「うん、良いよ。

 わたしたちはもう少しだけ、二人で幸せを探さなきゃいけないよ」

「……うん、もう少しだけ私の傍に居て、ソレラ」

「……しょうがないなぁ」


 それから私は泣いた。

 赤子のように、大きな声で泣いた。

 妹が頭を撫でてくれた。


 あーあ、どっちがお姉ちゃんかわからないな、なんて思いながら、泣いていた。

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