第6話 「悪意だけじゃない」
【1】
一人、帰ってくるかもわからない人を待っていた。
クラウが実の姉ではないこと、そして魔女ではないことを知ったあの日から、ソレラの周りの環境は目まぐるしく動いていた。
信じられない、と初めは言った。
けれど、やはりそれがどこか腑に落ちていくのは、それが他ならぬ事実であるからだろう。
クラウが魔女と判明した後、彼女と離れてからずっと考えていた。
自分と彼女の関係は、一体何なのだろう。
【2】
少しだけ、時間を遡る。
ミーアが広場で暴力を振るわれた後、クラウともう一度別れた後。
これからのことを考えなきゃいけない、なんて自分で言ったくせに、当の自分自身がずっと悩み続けていた。
一日、二日と時間が過ぎただけでは、感情の整理はまったくできなかった。
あの日、村までわたしを送ってくれた二人は、結局そのままどこかに消えてしまった。
受け止めるには重すぎる事実だ。
自分たちは互いに家族が他にいないから、たった一人の拠り所として、肩を寄せ合って生きてきたのだ。そのはずだ。
それさえも嘘だったなら、わたしは本当のひとりぼっちなのだろうか。
一体自分は、何者なのだろうか。
クラウが人間嫌いの魔女なら、どうしてわたしを拾ったのだろうか。
そんな事ばかり堂々巡りしていた。
答えも出なくて、現状も解決しない。
そんな自分の無知と無力を疎ましく思う日が続いた。
そんな数日を送ったある日。
入り口がノックされる。
「……………………」
返事をする気力もなく、ただふらりと玄関の方へ向かい、扉を開く。
「……………………!」
「ソレラ、お久しぶりね」
そこにはミーアが居た。
一体どこに隠れていたのか、なんてことはこれ以上考えても仕方がない。
魔女だから、そしてミーアだから、常識が通用しない存在なのだ。
「調子はどう? なんて……良いはずがないわよね」
「………………うん」
「けど、良かった。ご飯もちゃんと食べてるみたいだし、身体にまで影響してなさそう」
「……え?」
「だって、普段はクラウが食事担当だったんでしょ? だから料理できなかったらどうしようって」
「……そんなことまで話したっけ」
何故か心配されていた。
「……ねえ。クラウは、帰ってくるの?」
「うーん、わからないなあ。どうするかはあの子自身が決めることだし、村が決めることだし、そして傍にいることを許可するのはあなた自身じゃない」
「そう、だね……でも、いざクラウが帰ってきた時にどうすればいいか、わたしはわからない。
ずーっと迷ってる。自分の感情にすら、折り合いがつけられてないのに」
「そもそも、帰ってこない可能性もあるけど。あなたはそれでいいの?
そうなった時は、どうしたいの?」
「……どうすべきかなあ」
「失礼、それを考え続けてるのよね、あなたは」
ミーアは確かなことは何も言わない。
当然だ。そんな都合よく、誰かに答えを乞うことなんて浅ましい考えだ。
アレシオさんやミーアならなんとかしてくれるって、縋ろうとするけど……
これはきっと、自分自身で見つけなくてはならないことなのだ。
わかっているけれど……簡単には見つからないんだ。
「ああ……そうだ、ねえミーア」
クラウのことがわからなくても、他にも訊きたいことは沢山ある。
「あなたは……どうして、アレシオさんと一緒にいるの?
魔女を狩るのがアレシオさんの仕事なのに、どうしてあなたは魔女狩りの標的にならないの?」
ふふ、とミーアは薄く笑う。
「あたしが簡単に人間に戻れるような魔女じゃないからよ。
あの男は方法さえわかれば、すぐにあたしにも『魔女狩り』を行うでしょうね。
要するに、監視しながら機会をうかがってるの、あの男は」
「つまり……決して魔女狩りを諦めてるわけではない、ってことなのね」
機会を伺っているのだとしたら、共に行動するのはある意味で理にかなった行動なのかもしれない。
「そして皮肉にも、あたしとアレシオが一緒にいることは、双方にとって都合が良かった。
彼にとって、あたしの魔法は魔女狩りにとても役に立つ。
そしてあたしにとっても、魔女とあたしを引き合わせてくれる彼の存在はとても便利」
「なにそれ」
「理由は違うけれどね、あたしも魔女を探していたの。利害の一致よ」
「……本当にそれだけ?」
「どうしてそんなことを訊くの?」
だって、そんな風に理屈を並べても、一緒に過ごしたくないことはよくある。そういうひとはたまにいる。
「誰かと一緒に過ごすのって、利害の一致とか、それだけじゃやってられないじゃん。
わたしは、ミーアとアレシオさんの間に、それ以上の理由か関係か……
そういうものがあると思う、上手く言えないけど……」
「鋭いなあ、ソレラは」
子供を褒めるような調子でミーアが手を叩く。ぱちぱち。
「確かにその通りよ。あたしとアレシオの間には、それ以上の関係性がある。ここでは言えないけど」
「やっぱり……」
ミーアは勝手に取り出したティーカップに手をかざし、どこからともなく現れたコーヒーに口をつける。
それから、ほう、と息を吐いた。
「……たった一人、その人でないと成り立たない関係性がある。
物理的な利害だけじゃなくて、精神的にも互いが必要な関係がある。
そんな人がいるのは、あなたも同じでしょう、ソレラ」
「え?」
「……今のクラウを救えるのは、彼女よりも強い人間じゃない。
そして……ただ、彼女の異常に対する答えを知っているだけの人間でもない」
いつになく真剣な表情で、ミーアがわたしの方を見る。
「結局、あの子に最後の最後で手を差し伸べられるのは、あなただけなんだと思う」
「わたしが……クラウを助けられる……?」
「そう。そしてあたしも彼も、そのお膳立てをしようとしているだけ。見方を変えたら邪魔者だし」
つまり、アレシオさんじゃクラウのことは本当の意味では助けてあげられないってことだろうか。
「けど、そんなの、全然実感わかないよ……
だって、ずっと頭がぐるぐるしてて……自分のことで手一杯で……」
「そんなの、みんな一緒よ。
みんな自分のことで手一杯なの、こんな状況じゃなくても、きっとね」
「……じゃあ、どうしてるの、みんなは?
どうやって他人に手を差し伸べるの?」
「一つ簡単なのは、自分のことを諦めちゃうこと。
けどそれは……とても悲しいことだと思う」
「そうだね」
「だから、もう一つはね……頑張ること。
頑張って、それで無理なら泣いて怒って不貞腐れて……
それでもいつかまた頑張ってみる、そういうことを繰り返すこと」
「え……? そんなのでいいの?」
「そうよ。大成功なんてどうせ無理だから。
たとえ自分のことだけ考え続けて生きたとしても、完璧な人生なんて送れないでしょう?」
「うん」
「あたしだって、あなたの百倍は生きてきてるのに、失敗ばっか。
今回だってそう。もっと綺麗に全部片付けれるなら、そうしたかった」
「そうやって一生懸命に生き続けたら……いつか、全部大丈夫になるかな?」
「厳しいことを言うとね、それもわかんないよ」
「そうなんだ」
「例えば戦争なんかがそう。
正しいかどうかはわからないけれど……互いに自分だけじゃなくて、誰かのために争うことがある。
どちらも懸命に考えて生きたはずなのに、少なくともどっちかは道半ばで死んじゃう。
文字通り命をかけたところで、全部大丈夫になる保証なんてない」
そして当然、この村のことだってそうなのだろう。
みんな、この村が死んでしまわないために……
貧しさから目を逸らすために必死になっていて……
けど、それはあまり正しい方向には向かっていない。
頑張ること、なんて言ったけれど……みんなずっと、頑張っているんだ。
「……この世界は残酷だね」
「うん、だから無責任なことは言えない。
ソレラが頑張っても、あたしが手伝っても……それが全部裏目にでる可能性だってある。
もしかすると、何を選んでもすべて不正解になることが決まってることだってあるかもしれない」
「成功や幸せなんて、初めからなかったのかもしれない」
「そう。幸福なんて虚像だった、そういう話」
どこまでも冷たい世界の話を、ミーアは淡々と語り続けた。
「……それでも、例え手が届かないところにあるかもしれなくても、結末が真っ黒でも、それでも生きていてよかったと思えるようにするべきなんだ」
「そのために、懸命に生きて……最期の最期でも『良かった』って思えるようにするって……そういう話?」
「そう。結局さ、これからのことが不確かなんだし、あたし達が確かなものとして抱えられるのは思い出だけ。そして、思い出をつくるのは今ここだけ」
「……うん、そうだね」
「それで、話がやっと戻ってくるんだけど……
良い思い出を抱えるためにはね、懸命に生きることの他に、もう一つだけ大事なことがあるの」
ああ、ミーアの話は難しいけど、そこだけはわかる。
自分のこれまでの記憶を辿れば、その『大事なこと』は簡単に理解できた。
「……誰かといること、大切な思い出を、できる限り紡ぐこと」
「そう。だから結局ね、誰かと一緒にいるべきなんだよ」
「けど……いつか別れる日が来る。わたしたちは同じ時間を生きることはできないから。
「自分から別れようと思っていなくても、先にどっちかが死んじゃうからね」
「その日はきっと、とても辛い。
それならいっそ……自分から離れてしまう方が、辛くないのかもしれない。
……そう思うこともあるんじゃないの」
「そう思う人もいるかもしれない、けれど、やっぱりあなたたちは違うと思う」
「どうして?」
「それは幸福とか、そういうのとは少しだけ違うのかもしれないけれど……
けど、例え最期がどれだけ悲しくても、自分から別れるよりも辛くても、それでも……最期まで側にいることの方が大切なんだと思う。
あなたはきっとそう思ってる」
上手く言葉にできない。
けど、どっちがいいって言われたら、わたしの中で答えは多分初めから決まっていたように思える。
それを後から、敢えて言葉で阻んで……なんだか自分で自分を信じられていないみたいだ。
「結局、ソレラにとっても、大切な誰かが傍にいることが必然なのよ。
だからこそ、あの子に手を差し伸べることができるはず」
「……………………」
「向き合うことも怖いし、いつか別れることも怖い。けど……
それでも、大切なものを大切にすることが、あなた達にとって一番価値のあることだって、あたしは信じてる。
そういうのをきっと、強さって言うんだと思う。だからあなたはきっと大丈夫」
そう言って彼女はわたしのおでこを小突いた。
「痛っ! え……何?」
「勇気が出る魔法」
そう言ってミーアは笑った。
嘘。なんの輝きも現れていない。
きっとおまじないみたいなものなのだ。
魔女なのに、魔法を使わないおまじないだなんて。
けれど、ミーアなりにわたしを励ましているのだということがよくわかった。
やっぱり彼女は優しい魔女だった。そしてクラウもそうだ。
たとえ何かが壊れているとしても……それでも魔女は、優しさでできた存在だ。
ミーアの話は色々難しくて、まだあんまり飲み込めてないかもしれないけど……
それでも、なんとなく気がほぐれたような感覚があった。
「それじゃ、あたしはもうちょっとだけ仕事があるから。ソレラも頑張ってね」
「……待って!」
背を向けたミーアを引き留める。
「洋服屋での話、思い出したんだけど……」
「ん」
かつて洋服屋の先祖のもとを魔女が訪れて、そのお礼を渡したって話、それを思い出す。
「クラウは魔女になって、村を追い出されてから、きっと一度も村に降りたことはなかったはず……」
「……………………」
「だとしたら、やっぱりあそこを訪れたのは、クラウじゃなくて他の魔女だと思う。
それってやっぱり……あなたなんじゃないの?」
長い時間を生きている中で、ミーアは過去に一度、ニーヴェリタを訪れた。
その時に偶然、一人の少女に助けられた。そういうことなのではないか。
「あなたはかつて、本当にここを訪れて……あの洋服屋さんのご先祖と、出会っていたんじゃないの?」
ミーアは再びわざとらしく首をかしげる。
「さあ、何千年も生きてたから忘れちゃった」
そう言ってミーアが舌を出したその直後、目元に風が吹いたソレラは反射的に目を瞑ってしてしまう。
その一秒にも遠く満たない時間で、ミーアはソレラの視界から姿を消した。
破天荒で、人間が嫌いで、けれど人間を決して見放さない。
大人で子供な不思議な魔女。
やっぱり、次に会う時には友達になれる気がする。
それが何年後でも、構わない。
【3】
「……関わりすぎだったかも」
柄にもないお節介を焼いてしまったな、とミーアはため息をついた。
けれど思い返してみれば、最近の自分はしばしばそういうことをしている気がする。
歳を取ってお節介になってきているのだとすれば、お婆さんみたいでなんだか嫌だな、と思う。
この村のことはさして好きではない。
それは遠い昔、訪れた時から変わらない。
そもそも人間という存在がろくでもないというのに、とりわけニーヴェリタの人間はたいそう冷たく暗かった。
村社会の閉鎖的な居心地の悪さをひしひしと感じる。
けれど、嫌いにもなれないのは、こんな人たちがいるからだ。
目の前にいるソレラという少女や、何百年も前に自分を泊めてくれた女の子。
不思議なものだ。
悪意やそういった冷たさの中に、ほんの少しの暖かさがあるだけで、悪くないと思えるのだから。
「んー、悪意があるからこそ、なのかもしれないわね」
辛い世界だからこそ、ほんの少しの優しさを糧にできる。
願わくば、この村の魔女とその家族も、同じように感じてくれればいいな、と思う。
「はぁ。決断は見届けるだけでいいのに、どうしてあたしは干渉しちゃうのかねえ」
【4】
ソレラはクラウを待ち続ける。
彼女がこの宿の扉を開けるのを、ずっと待っている。
確証なんてないけれど、彼女はいつか帰ってくるのだと、信じている。
ゆっくりと何度も同じことを考える。
何度も何度も、今までの状況を整理する。
そこには少しの不安が残されていることを再確認し、その度に自分の勇気を信じようとする。
クラウがやって来た時、自分が取るべき行動は何だろうか?
彼女になんて言葉をかけてやればよいだろうか?
彼女はどんなことばをわたしにかけるのだろうか。
怖いけれど、きっと大丈夫だと思った。
わたしには、生きる意味を与えてくれた人も、勇気を与えてくれた人も居た。
彼女達が少し人間とは違うからって、一緒に居られないだなんて、そんなわけがない。
そう思えるなら、自分はきっと大丈夫だ。
そして、息も絶え絶えのクラウが眼前に映る。
彼女が走って息を切らしているのは、珍しい光景だった。
当然だ。
車椅子の姉だったのだから。
走ったところを見るのも、初めてだったのだから。
「ソレラ……っ!」
やらなきゃいけないことがある。
話さないといけないこともたくさんある。
この村がどうなるのか、明日の生活がどうなるのか、それさえわからない。
わたしも、ニーヴェリタも、この嘘つきの魔女を受け入れることができるのか、全部なにもわからない。
「……おかえり、クラウ」
それでも、見慣れたその顔を見ると、わたしは少しだけ安心してしまうんだ。
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