第4話 「優しい嘘」

【1】


 それから数日、小屋でソレラと一緒に過ごした。

 久しぶりの他人との生活は心配事ばかりで、けれど凄く幸せだった。


 ソレラが私のご飯を美味しそうに食べてくれる度、

 朝起きたとき、「おはよう」と言ってくれる度、

 夜眠る時、同じ布団で温もりを感じさせてくれる度、

 私は幸せを感じていたのだ。


 人間の元を離れた私が、再び人間の愛情に心を動かされてしまうのはなんだか情けない気もする。

 けど、そんな葛藤すらすぐに吹き飛んでしまうほど、目の前の純粋な少女は可愛かった。

 たった数日、それなのに、彼女のことをとても愛おしく思った。

 我が子を前にした幸せな親たちが『目に入れても痛くない』なんて言い方をするのも、決して大げさではないのかもしれない。


 この幸せがずっと続けば良い。そう思っていた。

 けれど、こんな不安定な状況は、そう上手くいかない。


【2】


 数日後、ソレラは体調を崩してしまった。


 ここには病気を治す薬もないし、私には知識もない。

 魔女は簡単には死なない。というより死ねない。

 だから、そんなもの必要としていなかった。

 けれど、普通の子供が医者も無しにこんな山奥で生きてはいけない。

 もとより彼女はこれまで満足に食事が摂れておらず、そのせいでいつ壊れてもおかしくない身体なのだ。それが祟ったのだろう。


 彼女の額にタオルを巻く。


「ありがと……クラウディナさん」


 そう言って彼女は必死に笑顔を作ろうとする。

 誰かが無理に笑おうとするのを見るのは、とても辛いことだった。


 一日、二日と時が過ぎる。

 彼女の体調は少しずつ悪化していく。

 なけなしの知識で身体を温め額を冷やしても、一向に容態が回復する気配は無い。

 

 どうして、病を治す魔法は使えないんだろう。

 こんなに沢山の魔法ができるのに。

 それくらいしか、できないのに。


 肝心な時には何の役にも立たない、やっぱりこれは呪いだ。


 魔法も使えない私と、何の医療道具も無いこの場所では、彼女を救うことはできない。

 そんなことはわかりきっていた。

 そして、もう選択肢は一つしかないということも、わかっていた。



【3】



 横になって眠っているソレラの額に手を置くと、彼女は苦しそうな表情で薄く目を開く。


「ん……クラウディナ、さん。どしたの……?」

「ねえ、私と一緒に村に降りよう? そうすれば薬もあるだろうし……」


 しかし彼女は弱々しく首を横に振る。


「いいよ、私、あそこに帰っても、うっとうしいとおもわれるだけだよ」

「それでも、死んじゃうよりマシでしょう」


 皮肉なものだった。

 自分自身は死んだ方がどれだけ楽か、なんてことを考えているのに。

 生きることがどれだ辛いか知っているのに、それでも生きていて欲しいと、心から願った。

 幼い彼女は首を横に振る。


「いいの。むしろ、ここまで幸せだった。

 本当なら、誰とも会わないまま、森の中で死んでしまうはずだったんだから。

 けど、クラウディナさんが……見つけてくれた。

 最後に、今までで一番、笑えたんだよ、わたし……」

「……………………っ!」

「最後に、誰かに優しくされて、良かった……」


 彼女は力なく笑う。

 そんな姿は見ていられなくて、私は感情が抑えられなくなり、涙が溢れてしまう。


「最後なんかじゃない……!」


 そうだ、最後なんかじゃない。

 最後にはさせない。


「村に帰るの。

 そうすれば、治療できる、ご飯も食べられる。

 確かに貧しい村かもしれないけど……」

「……でも、また、同じ生活に戻るのも怖いんだ、やっぱり……」


 それは当然だろう。

 ここに来た時の彼女を見ると、ろくな暮らしをしていないことは一目瞭然だった。

 戻ったところで自由な暮らしはできない。

 それどころか、彼女にとっては生きるよりも辛い日々だったのかもしれない。


「それでも、村に降りよう」


 そう決めた。

 そうしなければ、彼女は生きられないから。


「あなたを傷つける人がいたら、私が絶対に守る。もう二度と、一人にさせない」


 やっぱり皮肉なものだな、と思う。

 人間を避けるために山に籠った私が、人間の少女を助けるために、かつて憎んだ村へと戻ることを決める、なんて。

 けれど、ソレラがこうなるまで放っておいた自分への嫌悪感が勝る。

 なんの罪もないこの子を見殺しにしてしまえば、私は芯まで本物の怪物になってしまう。


 あれだけ苦しんだ場所で、それでも生きていくことを選ぼうとしている。

 それは、自分自身にとっても、最後のチャンスだった。


「でも……クラウディナさんはどうするの……?

 守るって言っても、一緒に住む場所も、理由もないし……

 ニーヴェリタは……外から来た人の世話をする余裕のある人なんて、いないよ……」

「……そうだね、考えなしに村に行っても、守れないよね」


 だから、私には考えがあった。

 彼女に出会った時から、ずっと考えていたことだ。

 彼女も、そして私自身も、村で暮らせるようになる秘策。


 『嘘』をつくことだ。


「お姉ちゃんね、特別な魔法が使えるの」


「特別な魔法……?」

「うん。魔法を使えば、私たちは村で一緒に暮らせる。

 ううん、それだけじゃない。それを使えば……私たち、姉妹になれるんだよ?」


 そう。

 村中に嘘をつき、私がソレラの姉として認識させる。それが私の作戦だった。


「そうなんだ……それは嬉しいな……

 わたし、ひとりっ子だったし……親もいなくなっちゃったから……

 家族、なんて、いなかったから……」

「……………………」


 つい、また言葉に詰まってしまう。

 こんなんじゃいけないな、と思う。

 だって、理想の姉は、妹の前で簡単に涙を流さないはずだから。


 一度深呼吸をする。


 もう一度、嘘をつこう。

 今度は自分のためじゃない。

 ただ、この愛すべき女の子のために。ソレラのためだけに使おう。


「……私はクラウディナ。そして、あなたはソレラ。私たちは、姉妹だよ。」


 ”嘘”が生まれる。

 真実を飲み込む。

 赤の他人である私たちは、その瞬間から姉妹になった。


【4】


 そうして私は大嫌いな村へと降りる。


 数千年経った今も、村がどの方向にあるのかは、なんとなくわかっていた。

 鐘の音が聞こえるのだ。

 私が居なくなってから造られたであろう鐘が、毎晩毎晩鳴っていた。

 その音はぼんやりと、私の住む山奥まで聞こえてくる。


 どうして真夜中に鐘を鳴らすのだろうか、なんていう疑問も今日はよそにして、私はいつも聞こえていたその鐘の音の方角へと駆けた。

 背中には、ひどく身体を熱くしていた少女。

 ただ、助けたかった。


【5】


 むせかえるような人の臭い。

 忌むべきこの村にもう一度帰ることがあるなんて、思いもしなかった。


 それは確かに私の大嫌いな村だったけど、見てくれは昔のものと大きく違う。

 何やら大きな鉄の塊から人々がぞろぞろ降りてきた。あれは何だろう。

 知っている村のはずなのに、何もかもが知らないもので、不思議な気分だ。

 しかし、本質的な部分は何も変わっていない。

 村の形はほとんど同じだし、村人たちの薄幸そうな表情もあの頃のままだった。


 冬の村、ニーヴェリタ。

 そう呼ばれていた所以は、春が来ることを諦めたこの村人たちにあるのではないか、とさえ思えてくる。


 貧しいこの村でも私たちの古臭い格好は目立つようで、ちらちらと視線を向けられる。

 気分の悪くなるようなそれらの眼差しをくぐり抜け、私は医者のいる建物を目指す。


【6】


「ん……おい、アンタ、その背中に抱えてんのは……!」


 医者は私の背中を見ると言葉を止めた。

 恐らく明らかに衰弱しているソレラに驚いたのだろう。

 彼らが向けた眼差しは心配ではなく、どちらかと言えば警戒だった。

 少しでもスムーズに話が進むよう、私は魔法を使う。


「どうして、生贄に差し出されたその子供が……」

「すみません……妹が、病気になってしまったんです。薬を出して貰えませんか」

「何を言っているんだ、その子供は死んだはずじゃないのか……!?

 貴様は一体誰なんだ……!」


 警戒が一層強くなる。魔女ではないかと疑われるのも時間の問題だろう。

 ああ、また一つ嘘をつかなくてはならない。


 魔力を込める。


「あれ……忘れちゃったんですか?

 私です、クラウディナですよ。この子の姉の」


 嘘を真実のように語る。

 それだけで嘘が真実になる。

 いや、初めからそうだったのではないだろうか?

 自分自身すら錯覚しそうになるくらい、強い意志を持って事実を塗り替える。


「クラウ……ディナ……?

 ……あ、あぁ、そうだった」

「そうですよ。そしてこの子は、ずっとこの村で一緒に暮らしていた。

 ……とにかくこの子をお願いします」

「ん……これはいけない、早くこっちへ」


 最初の反応は嘘のようで、医者は真剣な眼差しをしてソレラをベッドに横たわらせる。

 しばらく処置をしたり、薬のようなものを与えたりして一時間ほど経った頃、彼は大きく息をついた。


【7】


「栄養失調からくる複合的な病気だ。もう少し遅かったら、危なかったかもしれない。

 家族なのに、どうしてここまで放っておいたんだ」


 そう言って怒られたが、とりあえず一命は取り留めたようだ。

 よかった、と息を吐く。

 けれど、ちくりと胸が痛む感覚があった。

 何だろう、これは。



【8】


 ソレラの体調は少しずつ回復してきたらしい。

 今は病院に居るが、じきに退院するだろう、とのことだ。


 ソレラが病院にいる間に、私は一つ一つ、自分達の存在を否定する矛盾を嘘でかき消していった。


 村の全ての人々に、ソレラを捨てたことを忘れさせた。

 ソレラのことを見捨てた叔父と叔母には、ソレラの他に姉をひとり世話していたことを思い出させた。

 彼女を見捨てた人々と一緒に暮らすことは絶対に嫌だったため、彼らから離れて、使われていない宿屋で生活をしていると嘘をついた。


 村の人達と話しているうちに、わかったことが一つある。

 現在のこの村では、身体の不自由な人間のために、生活を補助する制度があった。

 私達はまだきっと、自分たちの力だけでは生きていけない。

 だから、その制度を使って日々の生活の足しにしようと考えた。


 外傷を作ったところで、この魔女の身体はすぐに再生してしまう。

 そう思い、私は自分の脚が動かないという『嘘』をついた。


【9】


「ふぅ」


 使われていなかった宿屋の掃除をしたあと、綺麗になったベッドに倒れ込む。

 気を張っていた分、それが一気に抜けていくような感覚がした。

 色々なことが片付いて、やっと私たちが暮らす準備ができた。


「……いや、まだだった」


 あと一つ魔法をかけ忘れていたことを思い出す。

 相手は自分自身。

 そう、最後の嘘の対象は、私だ。


 鏡に向かって、私はゆっくりと語りかけた。

 優しい姉になるために。

 かつて私に優しくしてくれた、あの子の顔を思い浮かべながら。


「私は優しい人間。あの時、私に手を差し伸べてくれた、あの子のような優しくて素敵な人間です」


 偽りの身分、偽りの姉妹。

 そして、偽りの自分自身が生まれた。


【10】



 それからソレラの体調は戻り、彼女と私の二人での生活が始まった。

 矛盾が生まれるたび、私の『嘘』でそれを否定した。

 村は少しずつ、私の生きやすい姿に変わっていった。


 彼女の背が伸びたことに気付くたび、なんの変化もない自分が悲しくなった。

 そんな悲しみを抱えつつも、目の前で大切な少女が成長することを心から祝福した。


 少しずつ違和感は覆いきれないものになっていく。


 私の「嘘」は周りの人間の間の事実を変えることはできるものの、世界そのものの理屈に嘘をつくことはできない。

 要するに、私の見た目が変わらないことを本気で訝しむようになれば、自分が魔女であることを隠すことはできないのだ。

 穏やかで幸せな日々の中でも、焦りは少しずつ増幅していった。


 ソレラは恐らく魔女の怒りを鎮めるための生け贄であったということに気付いた。

 この山の中には、同じような理由で生け贄に捧げられた後に死んでしまった少女が沢山居たのだろうか。

 そう思うと再び自責の念に駆られる。


 けれど、だからこそ、この子が一人で生きていけるようになるまでは、守り続けなければならない。

 それが自分の義務であるようにさえ感じた。


 きっと、これが自分に与えられた最後のチャンスなんだと思った。

 誰かのために生きる最後の機会で、自分が人と関われる最後の機会だ。


 だから、必死に生きた。

 初めのうちは、ただ必死に生きてきた。


 けれど、段々と時を過ごしていくうちに、私の中に『この子を守る』以外の感情が生まれていることに気付いた。


 ソレラと本当の家族になりたい。姉妹になりたい。

 彼女に偽り続けることと、彼女の本当の姉でないことが、心苦しくなった。


 贅沢な悩みだと思う。

 だって、自分が決めたことだ。それに覚悟もあったはずだ。

 本当の家族になれるわけがないとわかっていて、それでも選んだ道だ。

 なのにどうして、こんなに胸が苦しくなるのだろう。


 いくら姉らしく振舞おうと頑張っても、それが偽りであることに気付くたび、どうしようもない無力感に襲われる。

 いっそ、自分が偽りの姉であることを明かそうか、なんてことを考えた。

 そうすれば、偽り続ける痛みだけはましになるのではないか、そう思った。


 けれどできない。

 そうすれば、自分が魔女であることも知られてしまうからだ。

 村で何度も何度も語られた化け物に育てられたということを知れば、彼女はどんな顔をするだろうか?


 だから、それも必死に抑えた。

 自分は今が幸せなんだから、これ以上の何も求めてはいけない。

 そう言い聞かせて、ソレラと一緒の時間を過ごした。

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