第3話 「出会い」



 下手くそな駆け足で、山道を下っていく。

 その最中、私はまた昔のことを思い出していた。

 何百、何千年生きている私にとっては、ほんの少しだけ前の話だけれど。

 それでも、数年前のあの日は遠い昔の出来事のように感じる。


【1】


 孤独な日々を、数千年過ごしていた。


 山奥に一人で住んでいると、微かな物音にも気が付くようになった。

 それが人間のものか、それとも他の動物のものかくらいは判別できた。

 多くの動物の足取りは不規則だ。

 それは自身の行動を簡単に読まれてはならないからだろう。


 対して、人間の足取りは気味が悪いほどに規則的だ。

 それは彼らが規則の中を生きているからだろう。


 その日は数年ぶりに人の足音が聞こえた。


「……人なんて、珍しい」


 魔女の伝説が村中に流布してから久しく人間は見ていない。

 果たしてどんな行動を取るのが正解だっただろう。

 脅すか、諭すか、それとも別の何かだったか。

 そんなことを考えながら、ドアを開き外へ向かう。


「……っ!?」


 一人、少女が地面に膝を付けていた。


 少女がこちらをちらりと見る。

 これまで訪れた他の人たちとは違い、怯えることもなく、敵意を向けることもない。

 というか、他の感情すら、ほとんど抱いていない。そう見えた。


 まるで、自らの天命が終わるのを静かに待っているような。

 少し明るいこの場所を見つけたから、最後の拠り所にしようと思っているような。

 そんな眼差しをしていた。


「……あなたは?」


 問いかける。

 少女は返事をしない。

 言葉を知らないのか、と一瞬思った。けれど違った。

 彼女の虚ろな瞳がそうではないことを物語っていた。

 やせ細った身体、その温度はとても低くなっている。


「……用が無いなら、早くここを去って。ここは人間が来ていい場所じゃないの」

「……………………」


 案の定、少女は何も応えない。

 いや、応える気力さえ、残っていないのだ。


 この子はこのままだと死んでしまう。それはわかりきったことだ。

 誰かが手を差し伸べなければならない。

 その『誰か』は他に誰もいない。


 それでも、最後まで迷っていた。

 もしかすると、そんなことを望んでいないのかもしれない。

 魔女に命を助けられるのは恐怖かもしれないし、恥かもしれない。

 このまま死んでしまうほうが、私なんかに優しくされるよりずっといいのかもしれない。


 それでも悩んだ末に、私は彼女に手を差し伸べた。

 自分が誠実であると証明できる、最後の機会が欲しかったのだ。


【2】


 少女を小屋に入れ、毛布を与える。

 しばし逡巡したのち、魔法を使って部屋を暖めた。

 身体から放たれた光が、部屋を包む。

 魔法なんて使ったら彼女を怖がらせてしまうのではないかと思ったが、なりふり構ってもいられないと感じたからだ。


 体温の問題をひとまず片付けると、次は栄養の問題だ。


 人間と違って、魔女は空腹でも病気でも死なない。

 私は食事を取らなくても生きていけるから、食事のことを気にしたのは本当に久しぶりだった。

 興味本位で育てていた小屋の周りの植物の中で、食べられるものだけを採る。

 魔法で火を起こし、長年使っていなかった鍋に食材を入れる。

 料理の方法なんて思い出せないけれど、火を通しさえすれば食べられると信じた。


「……熱っ」


 指先を火傷してしまう。

 そういえば自分は器用じゃなかったな、と思い出す。


【3】


 部屋で温まりながら食事をすると、彼女は段々と生気を取り戻してきた。


 下手な料理だったと自分でも思う。

 この日ほど、自分が食事をしなくても済む身体であることを呪った日は無かった。

 それなのに、少女は美味しそうに食べてくれた。


「おいしい」


 彼女のわずかな微笑みだけで、救われた気がした。


「……本当に? 無理する必要なんて、ないよ」

「ううん」


 調理中の火傷は、食べ終える頃には治っていた。

 焼け跡一つない指先を眺め、私はやはり自分が化け物であるということを実感する。

 醜い。


 しかし、今日はそれでも気分が晴れやかだった。


 目の前の少女は、一心不乱に食事を口に運んでいる。

 ぽろぽろとこぼれていることや、顔についていることなんかはお構いなした。

 なんだか年相応で可愛らしいな、と思う。


 悍ましい怪物だけど、それでも、私は誰かのために動くことができた。

 誰かの腹を満たし、身体を温めることができたのだ。

 それだけで、久しぶりに充足感でいっぱいになった。

 こんな気持ちになったのは、いつ以来だろう。


「……ほんと、わかりやすいな」


 ああ、何百年経っても、根本は何も変わらない。

 私は誰かに笑顔を向けられたかった、誰かに必要とされたかった。

 喜びよりも痛みの方がずっと多い世界で生きていたから、交わることを諦めただけで。

 こうやって、誰かに求められること、ちゃんと幸せに感じていたんだ。


 そんな部分は少しだけ人間らしいな。

 なんて、他人事のように思っていると。


 不意に目頭が熱くなっていることに気づいた。


「え……」


 無意識のうちに、気付いたら涙が出ていた。

 そんなつもりは全くなくて、ただぼんやりと物思いに耽っていただけのつもりだったのに。

 涙が流れるのもとても久しぶりで、だから上手く自分で抑えることができない。


「泣いてるの? どうして?」


 少女が戸惑う。


「わからない……」


 曖昧に返す。本当に分からなかった。


 少女は私に不安そうな眼差しを向ける。


「あの……お腹すいてるなら、どうぞ」


 そう言って少女は皿を私の前まで持ってくる。


「別に、私は、お腹が空いてるわけじゃ」

「いいの。わたしはもう、おなかいっぱいだから」


 嘘だ、そんなはずはない。瘦せこけたその身体が物語っているじゃないか。


「……泣いてるのはお腹がすいたからじゃないよ。私もお腹いっぱいだから、あなたが食べて」

「えー、でも、いいのかな」

「どうして?」

「こんなにたくさん食べられるの、はじめてだから」


 言葉を失う。

 それほど多くない量のはずだ。

 彼女はこれすら与えられて来なかったのだろうか。


「あなた、村で普段は何を食べていたの?」

「みんなが要らないって言ったものとか、捨てる前の物とか。でも、何ももらえない日も多かったよ」


 子供に何も与えない大人。それは私自身の過去を思い起こさせた。

 あの蔑むような眼差し。理不尽に不満をぶつけ、暴力を振るう両親。


 私自身が理不尽な扱いを受けたことについてはずっと昔に諦めることができていた。

 けれど、目の前の少女がそうであるというのは話が別だ。

 自分の事なんかより、よっぽど心に刺さった。


「じゃあ、もう一つ訊きたいんだけど……どうしてこんなところに来たの?」

「おじさんとおばさんが、この辺りで待ってろって」

「両親は?」

「いないの、知らない」

「そう、なんだ……」


 特に悲しむ様子もなく、当然のことのように彼女は口にする。


 つまり、こういうことらしい。

 彼女の両親は彼女が生まれてすぐに亡くなっていて、だから親戚の叔父さんと叔母さんが彼女を引き取った。

 けれど、あの貧しい村のことだ。

 その親戚とやらにこの少女の面倒を​満足に見る余裕はなく、結果として彼女は忌み子のような扱いを受けてしまった。


「こんなところまでどうして来たの?」

「あのね、さいきんはあんまりけーきがよくなかったんだって。だから、ここでごはんを探すといいかなって」


 要するに、口減らしだろうか。

 村の食料が限られてきたのだとしたら、人は少ないほうがいい。

 そうなると、他人の子なんて真っ先に捨てられるだろう。


「……そしたら、まいごになって、お腹もすいて。

 食べ物、なんにもないし、寒いし、死んじゃうかと思った……」


 さっき、私が初めてこの子を目にした時。

 この子は既に、自分が死ぬことを受け入れたような目をしていた。

 世の中はどうしようもなくて、だから自分が死ぬのも仕方が無くて、できれば死にたくないけれど、かといって生きることも許されていないのだ、とでも言いたげな。

 そんな諦めを、表情一つで体現していた。


「……でもね、ちょっとだけ、お父さんとお母さんに会えるかもって思ったの。そしたら、少し怖くなくなった」

「……そっか」


 なんて残酷な話なのか。

 あの村は……ニーヴェリタは今、こんな小さい子供を見殺しにしている。

 もともと豊かではなく、心も貧しい村だったことは知っている。

 でも、これだけ時が経っても何も変わっていないらしい。


「でも……あなたが助けてくれたから、お父さんとお母さんに会うのはまだお預けだね。まだ会うつもりじゃなかったから安心」

「なら、良かった」

「……けど、ほんとはわたし、もう死んじゃってるのかもしれないって思う。

 そんなに都合よく、山の中で人に助けてもらえるはずないし」

「……」


 今が都合のいい妄想かもしれない、そう思っているみたいだった。


「もし、そうだとしたら、あなたは私を天国に連れて行く天使なのかなあ」

「ううん、天使なんかじゃないよ」


 むしろ逆だ。

 私は魔女。かつては悪魔とも呼ばれた存在。

 そして、もっとも天国から遠い罪深き生き物なのだから。


【4】


 食事を終えると、彼女はそのまま眠ってしまった。

 安心したのだろうか。

 それとも、単にお腹が膨れて眠くなっただけだろうか。

 このくらいの年の子だと、よくあることだろう。


 少女の寝顔を見つめる。

 時折顔を歪ませていた。怖い夢でも見ているのだろうか。

 その頬をそっと撫でる。

 本来ならすべすべのはずの少女の肌は、過酷な日々によって汚れ荒れてしまっていた。



 そうだ、お風呂に入れてやらないといけない。

 その後、ぼろぼろの格好も着替えさせてやらないと。

 あと、それから……


 待て。

 私はどこまで面倒を見ようとしているんだ?


「……これからあの子、どうするんだろう」


 どうするのだろう、ではない。

 この暗い山の中で、一人で生きていけるはずがない。

 迷っているうちに衰弱し死んでしまうか、猛獣に食べられてしまうか、そのどちらかだろう。

 運よくニーヴェリタに戻ることができたとしても、口減らしとして追い出された彼女に居場所があるとは到底思えない。

 彼女の選択肢なんて、存在しないようなものなのだ。


「なら、私が世話をするの……?」


 自分で思い浮かべておきながら、なんてことを考えるのだと思う。

 人を殺す魔女こそ存在するけれど、人を育てる魔女なんて聞いたことが無い。

 だってそうだ。魔女は歪んでいるのだ。

 だから人間社会から排斥された。私自身も例外ではない。

 だというのに、今更そんなことを思い浮かべるなんて、それだけで重罪だ。


 けれど、そのまま見殺しにすることもできない。


 一体、どうするのが正解だというのだろう。


【5】


「……んぅ」


 少女がゆっくりと目を開く。

 一瞬「ここはどこ?」とでも言いたそうな表情をしたが、その後すぐに状況を理解する。


「おはよう」


 そんな少女に挨拶をする。


「お、おはよう、ございます……」


 なんだか気もそぞろだ。

 一体どうしたのだろう。


 心配しながら、私は彼女に視線を向けていた。


「……行かなきゃ」


 少女はぽつりと呟いた。


「どこに?」

「わかんない。けど……どこかに」


「自分が満たされるような気持ちになってしまうと、それは間違いなんだ、って気分になっちゃう。

 そしてだいたい、本当に間違いなの。

 そういう時はその後にもっと酷い目に会うんだ。

 ……これまでは、ずっとそうだったから」


 少女の人生は、ぬか喜びと苦しみの繰り返しだったのだという。

 それは、ただ絶望の中で感情を無くすことよりも辛い日々だと思う。

 だからこそ、過去の私は最後に喜ぶことを諦めた。

 そして今、目の前の少女も同じ道を歩もうとしている。


 長い時を生き続けてきた私はもう取り戻せないかもしれない。

 けれど、この子ならまだ、幸せになれるかもしれない。

 そう思った。


 私がかけられる言葉は、あるのだろうか。

 そんな不安を頭の中で振り払って、必死に絞り出す。


「あなたは生きてて良いんだよ。

 これから先、まだ沢山の良いことが待ってるはずだからね。

 おとーさんとおかーさんに会うのは、もう少しだけ生きてからにしよっか」

「……でも、おじさんもおばさんも、わたしのこと要らないって思ってる」


 やっぱり。

 これまで口にはしていなかったけれど、彼女はちゃんと自分の境遇を理解していたのだろう。

 とても賢くて、けれどもとても可哀想だ。


「じゃあ、やっぱりここにいなよ」

「え?」

「ここならその叔父さんと叔母さんもいないだろうし、森の中で動物に襲われることもないから」


 彼女にとっては、願ってもいない提案だと思う。

 そのはずなのに簡単には頷かない。

 落ち着いた暮らしをすることを、本能が許せていないのだ。


「でも……あなたの邪魔じゃない?」


 そんなことない、と私は首を横に振る。


「だって、こんな山奥で一人で寂しかったんだもん。だから話し相手が欲しいの。なってくれるかな」


 彼女は暫く黙って考える。

 きっと、凄く悩んだのだろう。


 悩んで悩んで、本当にそれが許されるのか考えて……けれども最後に、


「…………よろしくおねがいしますっ」


 彼女は私に向かって頭を下げ、それからにかっと微笑んだ。


「……うん」


 その顔を見ただけで、私はまた泣きそうになってしまう。

 涙をぐっと抑える。

 だって、これからしばらくはこの子の保護者なのだ。

 だから、簡単に泣くわけにはいかない。


 これまで何度も何度も、何千回と自分の身体を、自分の不幸を呪ってきた。

 けれど、もういい。私はもう、自分が幸せじゃなくたっていい。

 これからの願いはただ一つだ。


 この少女を救いたい。

 ただそれだけ。

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