第2話 「違い」

【1】


「そんな……どうして……?」


 予想しない来訪者を、私はもう一度見つめた。


「きっと、僕に訊きたいことがあるだろうと、そう思ったからです。

 そして……僕自身、クラウさんと話をしなければならないと思いました」

「それは、魔女狩りとして、ですか……?」

「いえ……あなたの友人として……だと信じたいです」


 いつもと同じ表情。

 穏やかで、けれどどこか遠くを見て哀しんでいるような表情。

 全てに逃げず向き合っているのに、一番大切なものだけは諦めているような眼。


 私は再び、そんな彼を前にしていた。 


 最初に一言だけこちらに挨拶をしてから、彼は黙っている。

 私の言葉を待っているのだと気付いた。


 身がすくむ理由は何だろう。

 彼の底知れない視線のせいか、あるいは自分自身の抱えた罪悪感か。

 そんなことを気にしている場合ではない、そう思い直して何とか意思を固めた私は、口を開く。


「単刀直入に訊きます。あなた達は、どうして私が魔女であると村の人たちに言わなかったのですか」

「言ってしまえば、あなたが危険に晒されると思ったからです」

「なら……どうしてミーアさんが、私の代わりに『山奥の魔女』を演じていたのですか」

「そうすれば、あなたが疑われることがなくなると思っていたからです」


 違う。私はその先が聞きたいのだ。


「どうして、あなたたちはそんなことをするんですか」

「今、お伝えした通りですが」

「そうじゃなくてっ!」


 思わず声が大きくなってしまう。


「わからない……わからないんですよ……!

 私は魔女で、病理がある……それは、人間として間違っているということのはずですよね、それは良くないことのはずですよね」


 彼は何一つ表情を動かさない。


「だったらなぜ、庇うような真似をしたんですか?

 そんなことをしても、あなた達が代わりに苦しむだけです。

 しかも、本来裁かれるべき私は野放しにされたままじゃないですか。

 こんなその場しのぎみたいなことされて、誰が喜ぶんですか、誰が報われるんですか……!」

「少なくとも、あなたは村を追い出されたり、危険に晒されたりすることはなくなるでしょう、当面の間は」

「得られるのがそんな上っ面の価値だけなら、そんなもの私は欲しくない!」

「そうかもしれません。ただ、それを決める権利を持つのはあなただけではないんです」


 その通りだ。

 魔女であるのを隠していること、それが彼に露呈してしまったその瞬間から、私が救われるかどうかを決める権利は、彼にある。

 確かにその通りだ、だけど。


「なら、それで……それでアレシオさんは満足なんですか」

「満足かはわかりませんが、自分のすべき仕事をしているつもりです」

「どうしてですか……!

 それがあなたの考える正しさなわけがない!

 あなたみたいに誠実で優しい人間が、私なんかのために尊厳を捨てないでくださいよ!

 自分の価値を乏しめるようなことをしないでくださいよ!」


 それではなんだか、私があなたを汚してしまったみたいじゃないか。

 善良な人間を騙して犯罪を行わせたような、そんな気分になる。

 彼は優しいふりをした魔女に充てられて、少しずつ自らを歪めていく。


 そうだ。もとより私と彼の優しさは全く違う。

 私の優しさは全てがつくられたものだった。

 誰かに優しい言葉をかける時、必ず『優しくする自分』を客観的に見てどこか満足している。


 けれど、彼の感情は純粋だ。

 心から誰かに手を差し伸べる。

 そこに打算なんてこれっぽっちもない。

 そう見える。


 だから彼といると、自分の偽物の振る舞いが、嘘の優しさが、浮き彫りになってしまう。

 出会ってから、ずっとそう思っていた。


 そう思うと、感情や言葉は想像よりも簡単に湧き上がってくる。


「……私はずっと嘘を​ついていたんです。

 あの日だってそうです。

 夜中にあなたが、歩こうとしていた私を見つけた時だって」


 アレシオさんが帰って来た日の真夜中、どうして私が車椅子から降りようとしていたか、そのことを思い返す。


「あの日、私は歩いて山奥に行こうとしていた。

 隠したいものがあったから。

 ……なのに、久しぶりだから上手く歩けなかった」


 車椅子に乗ったまま外まで出て、宿の裏に行った。

 そして試しに立ち上がろうとしたら、上手くいかずに倒れてしまった。


「アレシオ、さん……私、足、動かなくて……」

「わかっていますよ、大丈夫です」

「私、立ちたかった、のに、なんで……」



 彼女がそう言ったのは、決して脚が不自由だからではなかった。

 ただ、歩き方を忘れているだけだった。


「そんな中で物音がして、あなたが来たから慌てて……必死になって演技して、あなたを騙した」


 あの日の後もずっと歩く練習をしていた、誰かに見られたくないと思って、夜中にこっそりと。

 しかし、村人達の記憶は『嘘』で消すことができても、魔女狩りのアレシオにそれが通用するのかはわからない。

 それを恐れた私はあの日の夜、咄嗟に彼に歩こうとする姿を見ないように約束させた。

 彼の事はある意味では疑っていたけれど、約束を破らない人間だと理解していた。

 だから、そう言ってしまえば大丈夫だという打算が心のどこかにあった。


「あの時、私はあなたの優しさを利用したんです。

 あなたは約束を守って、夜中に私が外に行っても、疑うことなく信じ続けた……

 嘘をついて騙した私のことを」

「そうですか……」


 あの日の約束は、自分の嘘がバレないようにするためのものだった。

 彼の誠実さを利用して、嘘にさらなる嘘を重ねた。


「つまり、あの日あなたが真夜中に外に出かけた時……あなたは一人であの小屋に向かおうとしていた」

「はい」

「それは、ミーアが見せた一通の手紙が目的ですか」

「……はい、そうです」


 あれは私が大切に持っているものだった。

 私が裏切ってしまった友人からの、最後の言葉がそこに記されていた。

 だから取り返したかった。


 けれど、だからと言って、あんな下劣な選択を取った自分を肯定できるわけがない。


「そう、だから私は嘘まみれで、汚れてるんです……

 おかしいんです、わかってるんです、けど治らないんです、何も変わらないんです……」


何百、何千年と悩み続けたことに、今も苦しめられている。

それが魔女である何よりの証なんだと、自分は思う。


「そんな私に情けをかけて満たされないでくださいよ、優しくしないでくださいよ……」


 単なる八つ当たりと捉えられても仕方のないようなことを言っている。

 けれど、もうわからないのだ。

 こんなに感情がぐちゃぐちゃになって、わけがわからない。


【2】


 彼女の言葉を最後まで聞いてから、しばらく間を置いてアレシオは口を開く。


「あなたは、ずっと揺れていますね」

「え……?」

「自分は裁かれるべきだと感じている反面、心のどこかで救われたいと思っている。

 ソレラさんと一緒にいる資格がないと口にする反面、もう離れたくないと思っている」


 彼の言葉を聞いたクラウは少したじろいで、それから反論する。


「そんなの、そんなの当たり前じゃないですか。

 私だって本当は幸せでいたかった、ソレラともずっと一緒にいたかった。


 ……でも、わがままが通用する時間はもう終わってしまったんです。

 揺れていることなんてわかっていますよ、けど、それくらい許してくださいよ……」

「はい、僕が知っているクラウさんは、そういう人です。

 あなたは善人でも悪人でもない。

 自分のためだけに生きることも、他人のためだけに生きることもできない」

「……それが、何だって言うんですか」


 どこか勿体ぶったような言い回しをする彼に、クラウの口調がさらに強くなってしまう。

 それから少しの間があって、アレシオは小さく息をつき、言葉を紡いだ。


「……初めは、似ていると思ったんです。僕とクラウさんが」

「え?」


 意外な発言にクラウは動じてしまう。


「色々と中途半端なんですよ、僕も。

 けれど、似ているのに少しだけ違うから、あなたのことを羨ましく思った」

「どういうことですか、わかりません」


 説明することは難しいな、と思いながら、アレシオは言葉を紡いだ。


「この行為は……僕の魔女狩りは偽善であるとしばしば言われます。

 殺す方が楽なのに、良心の呵責に耐えられないからそんな周りくどい方法を取っているんだと言われます。

 そして自分自身、この『魔女狩り』は自分のための行為だと、思っている部分があります」

「けれど……あなたは心から誰かに手を差し伸べている。

 そこには私情なんて何もない、私にはそう思える」

「そんなことはない。沢山のエゴが混ざっているんですよ。

 目の前の行為の中では純粋に誰かを救おうとしているのかもしれませんが、元を辿れば『魔女狩り』をしていること自体が自分のためでしかない」

「自分のため?」

「はい。僕が魔女狩りを始めたのは、自分自身が何者かを理解するためです」


~~~~~~~~~~~~~~


「あなたは誰かを救うよりも先に、自分自身を救いなさい」


「人間はね、自分を大切にできて、初めて他人のために生きることを許されるの」


~~~~~~~~~~~~~~


 かつて、赤髪の魔女が自分にそう言ったことを思い出す。


「かつての僕には『自分』というものがなかった。

 誰かを救った結果、自分が死んでしまっても構わなかった。

 誰かの目標のためなら、自分の目標を全て捨てることだってなんの躊躇いもなかった」

「それは……」


 それはとても悲しいことだと、クラウ​は​思う。


「けれど、あなたは僕と違う。

 あなたは自分を大切にできる人だ。

 似ているけれど違うと言ったのは、そういうことです。


 ……僕もあなたも等しく愚かです。

 自分を選ぶことも他人を選ぶこともできない。

 けれど、同じなのは表面だけで、その理由は真逆だ。

 僕は自分がわからないから迷っている。

 けれど、あなたは自分があるからこそ、迷っている」


 彼の言葉は痛みを伴っていた。

 それも、クラウに向けてのものではない。

 自分自身に突き刺さり、その劣等感をいたずらに刺激するような発言をしている。

 それは言葉の自傷行為だった。


「だから、あなたが羨ましくもあった。

 あなたは決して、自分自身を蔑ろにはしなかった。

 魔女について調べ、人々に語っていたこともそうです。

 あなたが魔女の話をするのは、魔女の恐怖を植え付けることが目的だと思いましたが、それだけではないですよね」


 自分を捨てない、ただそれだけ。

 自分が言われなければ気付かなかったことを、言われてもできていないことを、彼女は初めからできていた。アレシオにはそう見えた。


「あなたはきっと、自分のことを知りたかった。

 魔女のことを知って、自分が何者かを知れば、何かが救われる気がした。

 その感情はとても大切で尊いものだと、僕は思います」

「……わからないですよ、そんなの。あなたの創り上げたマシな私です。

 本当の私は、ただ自分のことをひた隠しにしようとしていただけかもしれない」


 それに、とクラウは付け加える。


「自分を大切にすることと、自分が可愛いことは、違うと思います。私はきっと後者だったと、そう思います」

「二つの境界なんて曖昧ですよ。そして、僕はあなたがただ自分の可愛さに生きている人間じゃないことを知っています」

「どうしてそんなことを言い切れるんですか。

 あなたが私と関わったのは、私が生きている中のほんの一瞬です。

 数千年のうちの、たった数十日です。

 それなのに、わかったような言い方ができるのはどうしてですか」

「確かにほんの少しかもしれません。

 けれど、あなたの優しさを知るには十分な時間だった。

 思い出してください。あなたが魔法を使う理由を」

「魔法を使う理由……」


 そこで言葉を止めた彼女に、アレシオは語る。


「あなたは自分一人のために、魔法を使ったわけじゃないはずです。

 嘘をついたわけじゃないはずです」

「……………………」

「誰かのために生きること、そして自分のために生きること……

 あなたは、それが同時にできる人だ。

 歪んだ自己犠牲を抱えていただけの、かつての僕とは違う」


 彼の言葉の意味を必死に手繰り寄せる。


 ああ、そうか。はっきりと言葉になった。

 この人も欠けていたんだ、と気付いた。


 この人は、自分可愛さに行動することさえもできないのかもしれない。

 私が自分の嘘の悪意に気付かないのと同じように、この人も自分自身を蔑ろにすることの異常に気付けなかったのだ。そしてやっぱり、今も、もがいている。


 ほんの一瞬だけ、彼が自分よりも可哀想な生き物に見えた。

 

 ああ、なんか駄目だ。

 それに気付いただけで、急に彼が味方のように思えてきてしまった。

 私は単純な人間だな。

 傷の舐めあいを欲してしまっている。


【3】


「すみません。混乱させることを言ってしまいました」


 彼が微妙な表情で謝罪をする。


「いえ……」

「……ですが、僕が話せるのは、ここまでなんです。

 なんの価値もなかったかもしれませんが、これ以上の価値は持ち合わせていません」


 ここで私と向き合った理由、自分の仕事はほとんど終わったということだ。

 そして、それはつまり……


「結局、あなたは自分の行動の目的を、教えてくれないんですね。

 どうして私をかばったのか、ということの答えは、説明しないんですね」


 そうする理由はわかっている。

 彼の行為の意味は、私自身が見つけ出さないと無意味だということだ。

 それは口で説明されたところで、なんの価値もない。


「あなた達が罪を背負ったところで、私の異常が消えるわけではない。

 私が魔女をやめることはない。

 だとすれば……やっぱり、あなたの行動の意味は掴めません……

 もしかして、私は今、試されているんでしょうか」


 いいえ、とアレシオは首を横に振る。


「あなたの考えと僕の考えが違ったって、構いません。

 それは誤りでも失敗でも、何でもないからです」

「失望しませんか」

「しませんよ。ただ、互いの正解が違っていた、それだけです」

「私の選択が、あなたの考えと違っていたとして、それは本当に正解なんでしょうか」

「わかりません。正解であるという確証は、どこにもないんです。

 クラウさんが考えたことでも、僕が考えたことでも、それは同じです。

 神様だって、自分の行動が本当に正しいかなんてわかっていないんですから」

「……そう、ですね」


 そうだった。

 神様が善意のつもりで行ったことの結果が、私達『魔女』という存在だ。

 人間よりも優れた存在のはずなのに、神様だって間違える。

 そう思うと、自分のことも少しくらいは仕方ないと思えるかもしれない。


「ここから先、あなたがどんな決断をしようと、僕は受け入れます。

 ……大丈夫ですよ、あなたは大丈夫です」

「私は、まだ何の自信も持てません……答えが見つかる気もしません」


 今更何かを変えられるなんて都合の良い話、信じられない。

 だって、これまでも、ずっと考えてきたつもりだったのだから。


「では、僕からあと一言だけ、良いでしょうか」

「………………はい」

「そう言う時は、優先順位を一度考え直すんです」

「優先順位?」

「僕の行動の理由を考えるよりも、村の不安を消すことよりも、自分の病理よりも、大切なものは何か、一度考えてみるのが良いと思います」


 また、漠然とした言い方だ。

 彼が何か大切なことを伝えていることはわかる。

 その意味を理解するため、必死に手繰り寄せる。


「それに、極端な話をすると……

 僕は確かに『魔女狩り』ですが、魔女をやめることだけが、唯一の幸せではないと考えています」

「え?」

「あなたにとっての幸せのうちの一つは……もっとも大切な生きる理由は、魔女であるかどうか、なんて関係無いと思います」

「……到底、魔女狩りさんとは思えない発言ですね」

「僕は魔女狩りですが、魔女という存在を否定したいわけでも、なんでもありません。

 それに……世の中には、魔女のまま幸福に生きている人だっているんですから」


 重要なのは答えを探すことだ、とアレシオは思う。


「あなたが『生きていてよかった』と思える、その確かな物を見つけて下さい。

 それは案外、ずっと近くにあるのかもしれません」

「……はい」


 一番大切なものを、クラウは考える。

 これまでの彼との会話を思い出しながら。


 幸せとか、生きる理由とか、わざわざ言葉にしたら難しいけれど。

 私の行動全ての行き着く先は、何だっただろうか。


「……アレシオさん。私、何よりも先に……やらなければならないことがありました」

「そうですか」


 ああ、姉として恥ずかしくない姿、なんてことを考えてしまったけれど……

 私はもっと単純な存在でしかないんだ。

 それは悲しい事のように思えるし、さっきアレシオさんが肯定してくれた私自身のようにも思える。


「まだ、何もまとまっていないけど……

 何も答えは出ていないけど……

 それでも、行きます」

「はい、それまで待っています。僕も、ミーアも」

「待っていてくださいね」

「ええ」

「約束ですよ?」

「はい」

「破ったら、怒りますから」

「意外と心配性ですね」


 つい、笑ってしまう。


 優しさを持って、他人のために生きている……

 そんな理想を描いているのに、どこか欠けているように見えた彼。


 ああ、だから。

 私はずっと、信頼してしまっていたのだ。

 自分の天敵である『魔女狩り』であると判った後も、彼を求めてしまっていたのだ。

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