第8話 「これから」
【1】
ソレラに手を引かれ、私は状況を何も理解できないままに山を降りる。
久しぶりの自分の脚にももう慣れきっており、荒れた山道でも少し足元に気をつけておけば転ぶことなく走りきることができた。
山を下る間、ソレラとは大した会話ができなかった。
緊張していたということもあるし、彼女の慌てる表情の前でうかつに声を出せなかったということもある。
彼女はやっぱり怒っているだろうか。
私が魔女だったことも、姉妹でなかったことも、嘘を吐き続けていたことも、全部怒っているだろうか。
当たり前だ、そんなの、答えは訊くまでもないだろう。
それでもやっぱり訊くのは怖かった。
【2】
村の中が異様な雰囲気に包まれていることはすぐに感じ取れた。
村人達はもう、私が魔女であるということを知っているのだろうか。
裁かれる覚悟はしている。
けれど心の準備はまだできていないような気もする。
しかしそれも仕方がない。
審判は自分のタイミングで行われるものではないだろうから。
「こっち!」ソレラが大きな声を出す。
「え……? そっちは村のはずれじゃ……」
「今、クラウがその姿を色んな人に見られちゃうと、村がより混乱しちゃうから」
そう言うソレラに連れられてたどり着いた場所は、列車の駅の裏側。
人の寄り付くことなんてほとんどないはずの、見晴らしの良い建物の中。
螺旋階段を駆け上り、その最上階へとたどり着く。
【3】
こんな場所があったのか、と少し驚きつつも、見晴らしの良いその屋上から、村の方に目を向ける。
「…………っ!?」
真っ先に見えたのは、これまで広場には無かった大きな木のさらし柱。
人間一人分よりも大きなそれが地面に打ち付けられ固定されていた。
そして、その柱に鎖で繋がれていたのは、血を流す赤い髪の少女。
「ミーア……!?」
そんなさらし柱の前には老人を始め、魔女を憎む他の人々が数十人集まっていた。
そして魔女の正面には、鞭を持った村長がいた。
「この悪魔がっ!」
そう叫びながら、彼はもう一度手に持ったそれを振り回してミーアに叩きつける。
魔女の見た目が細くか弱そうな少女だということなど何のお構いもなく、既に赤くなっていたむき出しの背中に追い打ちをかけた。
叩かれるたび、彼女は鈍い悲鳴を上げる。
怒りながらもどこか嗜虐的な表情で、彼は何度も何度も柔肌に傷を付けた。
ここから遠い場所であるにも関わらず、広場の声は全て鮮明に耳に入ってくる。
それはミーアの魔法か、それとも自分が無意識に魔法を使っているのか。
そんなことを気にする余裕も無かった。
おかしい。
彼女は本当はこの村の魔女ではないということが判明したのではないか。
ソレラとアレシオさんは、少なくともそのことを知っているはずだ。
なのに、どうして彼女が掴まっているのだろう。
「千年、あるいはそれ以上、お前はこの村を苦しめた!
それまでに何人の人間が不幸に苛まれた? 何人の人間が飢えて死んだ?」
彼だけではない。
村中の人々が、彼女が一番の敵だと認識していた。疑っていなかった。
そんな、どうして。
私が悪いのに。
あなたたちは何も悪くないのに。
どうして本当の事を言わないの。
あなたが石を投げられるの。
「……………………」
「何とか言え悪魔!」
そう言われ、だんまりしていたミーアは疲れきった表情のまま、やっと声を出す。
「生憎ね、あたしは簡単には死なないの……」
死なない、と言うには到底心もとないような、掠れた声が傷だらけの少女から発せられる。
しかし私はよく知っていた。
死ねないからといって痛みが無いわけではない。
彼女は鞭で打たれる度、意識が飛ぶほどの痛みを感じている。
石が当たる度に血が流れて肌がじんじんする。
彼女の痛覚は、嫌というほどにその使命を発揮しているはずだ。
それなのにずっと、耐えている。
死ねないというのは死よりも苦しい拷問だ。
それを知っているのは、魔女である私と彼女だけだった。
「この村にこれ以上、災厄をもたらすんじゃない!」
「……言われなくても、こんな村じきに出て行くわよ」
すぐに死ね。
どうしてまだ死なないのか。
死んでしまえと何度も言われる。
何百人もの人から一斉に罵声を浴びせられる。
軽蔑の眼差しを向けられる。
けれど死なない。彼女は死なない。
当然だろう、魔女だから。
私達は自分自身の欠陥に生かされているから。
あなた達の殺意も、そして私達自身の意思も関係がないのだ。
「死ねないのなら早く出て行け!」
「やめて、みんな……」
自分の口から震えた声が漏れる。
それ以上、彼女を苦しめないで欲しい。
彼女がどんな魔女なのかは知らないし、人々にどのくらいの迷惑をかけてきたのかもわからない。
けれど、死ぬことができないというその一点においては、責任の所在は神様にあるのだから。
「ねえ、ソレラ……こんなの、おかしいよ……なんで私じゃないの……?」
それに。
少なくとも、彼女がこの村で裁かれることだけはお門違いだ。
本来ならば、この役目は私のはずだろう。
村人を騙し続けていたのは私だ。
苦しめていた魔女というのは、『嘘の魔女』である自分のことだろう。
彼女はアレシオさんの知り合いであり、以前に公国の方でアレシオさんと一緒にいたところを見られている。
ならば、ニーヴェリタの周りの山々に住んでいたわけではない。
その無関係な筈の彼女が、どうしてここにいるのか?
身代わり?
何のために?
「ミーアも、アレシオさんも、二人とも何も言ってないよ、クラウのことは、村の人たちに何一つ明かしていない」
ソレラの話によると、私と別れて村に戻った数日後、「自分が魔女である」と言って、ミーアが村人達の前に現れた。
ミーアも自分がこの村の魔女であると言われることについて、何一つ否定しなかった。
当然村人たちは彼女に怒りをぶつける。
抵抗しなかったミーアは、そのまま捕らえられ、そして広場で晒しものにされた。
初めのうちは、それでも物理的に傷つけられることはなかった。
手足を縛ろうと、魔女が何をするかわからない彼らは、露骨に傷つけるようなことはできなかった。
特に暴れる気配もなかった彼女に対し、初めのうちは尋問のような取り調べを行っていた。
ついにしびれを切らし、村長が怒りのままに彼女を傷つけ始めた。
しかしミーアは何一つ抵抗しない。
それどころか、敵意のある視線さえほとんど浮かべていなかったのだ。
磔にされ続け、そしてついに傷つけられ始めた彼女は、それでも何一つ反抗しない。
きっと、魔法を使えば簡単に彼らを全員殺すことさえできるというのに。
見下ろした村の喧噪は鳴りやまない中、二人の間だけは刺さるような沈黙が訪れた。
「あ、あの、ね……ソレラ……」
私はゆっくりと、震え声のまま、彼女に話しかける。
「言い訳みたいだし、信じられないかもしれないけれど……
私、今日ね、村を降りて、全部正直に話すつもりだったの」
「村の人たちに、自分が村の魔女だって?」
「そう……そのつもりだった……
けど、こんなことになってるなんて、思わなかった……」
ソレラは下唇を噛んでから、今まで見たこともなかったような表情をして、口を開いた。
「まだ、何にもわかんないけど……
アレシオさんやミーアが今あそこにいるのはきっと、クラウに名乗り出てきて欲しいからじゃない。
もちろん、ただ身代わりになったわけでもない」
「なら……どうして……」
「けど、必ず意味があると思う。
それを、あなたも、わたしも……考えなきゃ。
わたしはそれが言いたくて、ここまでクラウを連れてきたの」
「……………………」
「クラウは、自分のことを全部村人たちに言って、上手く行くと思ったの?
それとも、せめて自分の中の罪悪感が無くなるとか、そう思ったの?」
「……そんなの、思わないよ。
自分には助かる資格なんてないって、そもそも、何一つ許される資格なんてないって、そう思ってる……」
全てを白日のもとにさらけ出せば、それで胸のつかえが全部取れる、なんて都合のいい話、あるわけない。
待っているのはきっと地獄のような日々だ。
村にどう裁かれるかわからない、どんな仕打ちを受けるかはわからない。
千年前よりもよっぽど苦しい目に合わされるだろう。
けれど、問題はそんな肉体的な物だけではない。
他人の罵詈雑言に晒されて、憎しみの目を向けられる。
そんな日々がずっとずっと続いていく。
身体の痛みは死なないから耐えられる。
けれど、心は簡単に死んでしまう。とりわけ、私は弱い人間だから。
「でも、そうしなきゃだめだって、私はこれまで、嘘をつき続けてきたから……」
そうだ、たとえどんなことになろうとも、自分は裁かれるべきなのだ。
そう思っていた。
だからこそ、こんな光景を見た今、自分はどうしたらいいのかがわからない。
ソレラが少し潤んだ綺麗な瞳を私に向ける。
「答えがわからないのは、みんな同じだよ」
「……なら、どうするのが、正解なの。
みんな、答えが見つからないまま、どうやって生きているの。
私は……どうすればいいの?」
「わたしもわかんないけど……
自分が何者なのか、どうすればいいのか。
向き合うべきなのか、逃げるべきなのか。
何にも見えてこないけど……それでも、もう少しだけ、もがいてみる」
無理だよ。
そんなこと言われても、わからないよ。
ここまで、必死に生きてきて、それでも不正解だと言われて……
「きっと、今見ているこの光景は、無価値じゃない。
だから、もう少しだけ考えよう。
クラウが、わたしが、そしてこの村が……これからどうするべきなのか」
「そんなの、そんなの……っ!」
「だから、わたしもわかんないんだよ。きっともう少し考える時間が必要だよ、お互いに。十分苦しんだのかもしれないけど、」
そう言ってソレラは背を向け、螺旋階段を下りて行く。
茫然と世界を眺めながら、私はただ立ち尽くしていた。
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